【第1章】青年は、淫魔と出会う (27/31)【蒼星】
【問診】←
「とりあえず、まずは情報整理だわ」
ナースコスの女は、右手の指のうえでペンをくるくると回転させる。
「年齢も、出身地も、いままでなにをしてきたのかもわからない。ただ、名前だけは覚えている。あと、シャワーを浴びたところを見ると、日常生活に支障はなさそう」
女は双乳の狭間に、ペンをしまいこむ。青年は、女をにらみつける。
「俺は、帰るぞ」
「場所も、わからないのに? あてもなく、さまよって? まあ、私には深い関わりのない話だし、どうしても、っていうのなら止めないのだわ」
女は、青年の敵意を受け流しながら、ティーポットからカップへと紅茶を注ぐ。紅い液体の満ちたカップを、女は青年のまえにすべらせる。
「一服したらどう? どうせ、いついつまでに帰らなくちゃいけない、なんてタイムリミットはないんでしょう?」
女は、紅い唇にティーカップを運ぶ。青年も、少し遅れて女の動作をなぞる。カップのなかの液体を一口すすり、男は顔をしかめ、女は笑みを浮かる。
「なんだ、これは……蜂蜜の原液か……?」
「んーっ、美味しい。重労働のあとには、甘味が一番なのだわ」
『甘い』という概念が具現化したような液体を、味覚と嗅覚で味わうと、女は真剣な眼差しを青年に向ける。
「あなた、パラダイムシフターね」
「パラダイム……シフター……?」
記憶喪失を差し引いても聞き慣れない言葉を耳にして、青年は思わず復唱する。女は、右手の人差し指をくるくると回してみせる。
「この宇宙には、無数の世界が存在するのだわ。誰が言い始めたのか、次元世界<パラダイム>なんて呼んだりする」
女は、自分の目の前で左右の人差し指をくっつける。
「多くの人間にとって、自分が住んでいる以外の次元世界<パラダイム>を観測することはできないし、そもそも存在自体も知らないのだわ。でも……」
くっつけていた左右の人差し指を、女は離してみせる。
「……ごくまれに、自分が住んでいたところから、別の次元世界<パラダイム>へ、独力で移動してしまう人間がいる。それが……」
「パラダイム、シフター……」
「その通りだわ。次元世界<パラダイム>間の移動は、本来、とんでもないことなの。ショックで記憶喪失になっても、不思議じゃない」
青年の返答に、女は満足げにうなずきかえす。
「あなた、さっき、『蒼い星』って言ったでしょう? それが、あなたの出身次元世界<パラダイム>じゃないかしら」
「……確証は、ない」
「否定する理由もないのだわ。少なくとも、貴重な手がかりではある」
確信に満ちた女の口調に反して、青年の表情はくもる。女の言っていることは、さっぱっり理解できないが、少なくとも帰還が困難なことだけはわかる。
がたん、と音を立てて、女はテーブルから立ちあがる。
「それじゃあ。あなたの『蒼い星』が、どんなものか調べてみましょうか」
女の言葉を聞き、青年は目を丸くして、反射的に顔をあげる。
「できるのか……そんなことが?」
「ぬふふ。できるのだわ。これがね」
女は、青年を見下ろしつつ、にやり、と笑って見せた。
→【天文】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?