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【第2部29章】至高の騎士、最強の刃 (1/16)【斬撃】

【目次】

【第28章】

「──むぐっ!?」

 魔銀<ミスリル>の大盾の内側にうつ伏せの飛翔体勢のアンナリーヤは、逆手で口元をおさえる。肺腑を焼かれるような熱波にあおられて、思わずうめく。

 上昇乱気流に翻弄されて体勢を崩しかけるも、どうにか有翼の姫騎士はバランスを保ち、失速をまぬがれる。

 地面からの輻射熱は魔銀<ミスリル>が、遮断してくれる。おかげでヴァルキュリアの王女は、左右に大きく揺さぶられながらも、どうにか滑空状態を維持できている。

「なんだ、この熱風は……およそ、人の暮らす次元世界<パラダイム>の自然現象とは思えないからだ」

 自らに問うように、アンナリーヤはつぶやく。あの『魔女』が根城にしている土地だ。煉獄のような環境であっても驚きはしない。

 しかし、つい先刻まで眼下に広がっていたのは、牧草地を思わせる丈の短い草原だった。だとすれば、この熱波は何者かの手による人為的な現象の可能性が高い。

「だが厄介だぞ、この高温は……進むも戻るも、かなわなくなってしまったからだ」

 背中から伸ばした己の双翼が、ちりちりと焦げる音を聞きながら、戦乙女の姫君は周囲を見まわす。淀んだ高熱を孕んだ空気は、蜃気楼のごとくゆらめき、視界を大きく制限している。

 目指せ、とリーリスに言われた「空飛ぶ船」の影も、先ほどまでは視認できていたが、いまや完全に見失った。かといって、敵の根城である『塔』へ、おずおず戻るわけにもいかない。

「自分の逃走を防ぐためだけ、とは思えないが……これほどの高温、なんらかの儀式魔術か、未知の技術<テック>の産物か……ともかく、どこかに熱源があるはずだからだ。それを、潰せば……」

 周囲の空気は、ドヴェルグの溶鉱炉のなかを思わせるほどに熱せられている。魔銀<ミスリル>の防具が外気から守ってくれているとはいえ、ヴァルキュリアの王女も、そう長くは動き続けられないだろう。

 熱波の風上を目指して、アンナリーヤは飛翔進路を向ける。熱源へ近づくにつれ、眼下の地面はマグマのごとき光を放ちはじめる。まるで地獄の光景だ、と戦乙女の姫騎士は思う。

 額に浮かぶ汗が、即座に蒸発するほどの高温環境のなか、やがてヴァルキュリアの王女は異変の発生源らしきものを見つけだす。

「なんだ、あれは……?」

 アンナリーヤは、呆然とつぶやく。巨大な鉛色の塊が、どくんどくんと脈打つ腫瘍のごとく地面に張りついている。空気の揺らめき越しの遠目にも、はっきりと視認できる。

 巨大な蛭のようにも見える異形の背には、人影はひとつ。近づくにつれ、風貌が露わになる。見たことのない装束に身を包み、赤い外套を羽織る初老の男。

 鉛色の巨塊の腹は赤く発光し、周囲の地面に熱をまき散らしている。その背に細く長い刀剣を杖のように突き立てながら、涼しい顔で初老の男は直立している。

「魔獣のたぐいを飼い慣らして、使役しているのか……? どのみち、灼熱地獄の中心に立つ人間が、まともな存在とは思えないからだ」

 戦乙女の姫君は、眼下の男が、高温環境を発生させている元凶だと判断する。鎧の隙間から熱が入りこみ、身体の水分を奪い続ける。遠からず干からびてしまうだろう焦りを覚える。

 滑空体勢のヴァルキュリアの王女は、魔銀<ミスリル>の大盾の内側に仕込んでいた、あらかじめ矢をつがえたクロスボウをかまえる。上昇乱気流に揺さぶられながら、初老の男の頭部に狙いを定める。

「悪く思うな。外しはしない……グリフィン狩りで、手慣れているからだ!」

 アンナリーヤは、弩の引き金を絞る。びぃんっ、と弦が鋭い音を響かせて、魔銀<ミスリル>製の矢が放たれる。秒と待たずに、鏃が男の脳天へと迫る。

──キインッ!

 刹那、灼熱の平原に甲高い音が響きわたる。戦乙女の姫君は、なにが起こったかわからなかったが、第六感に従って空中で身をひるがえす。

 なにか、鋭いものが翼の付け根をかすめた。ヴァルキュリアの王女は、乱気流に翻弄されて数回転したのち、どうにかバランスを立てなおす。

「馬鹿な……とても人間業とは思えないからだ……!」

 いましがた自分の身に起きたことを、遅れて理解したアンナリーヤは刮目する。

 戦乙女の姫君が射た矢は、狙いを違わずに飛んだ。同時に、眼下の男は長い刀剣を、目にもとまらぬ鋭さで振り抜いた。魔銀<ミスリル>製の矢は刃によって、ヴァルキュリアの王女へ向かって正確に弾き返された。

 とっさに回避運動をとらなければ、アンナリーヤの急所に矢が突き刺さっていただろう。高温の風にあおられながら、戦乙女の姫君は、背筋に冷たいものが走るのを感じて、ぶんぶんと首を振る。

「偶然だ……撃った矢を、狙いすましたかのごとく射手へ向かって弾き返すなど、人にできるはずがないからだ……ッ!」

 ヴァルキュリアの王女は、心がくじけそうになる自分自身に言い聞かせるように、吼える。

「だが、自分が甘かったのも事実……クロスボウで射抜いて済まそうなど、安直きわまりない一手だからだ……これほどの大事を引き起こしている相手なら、こちらも全力でしとめるべきだ!!」

 アンナリーヤは、突撃槍<ランス>の握りを確かめると、魔銀<ミスリル>製の大盾を前方に傾ける。上昇乱気流の隙間を見極め、急降下の姿勢に切り替える。

「──うおおぁぁぁ!!」

 雄叫びをあげながら、戦乙女の姫君は初老の男へ向かって、一直線に落ちていく。急降下の勢いを乗せた突撃槍<ランス>の一突きで、相手を脳天から突き刺しにする。

 刹那、ヴァルキュリアの王女は己の目を疑う。アンナリーヤのほうを見もしない初老の男の身体が、蜃気楼のごとく揺らぐ。ふたたび、第六感が命の危機を告げる。

 戦乙女の姫君は、突撃槍<ランス>による突撃を中断して身をひねり、魔銀<ミスリル>製の大盾の側を相手に向ける。

──ガキイィィンッ!

 盛大な金属音が、周囲に響きわたる。よどみなき半円を描く刀剣の一閃が、ヴァルキュリアの王女の身を守る魔銀<ミスリル>製の大盾を、したたかに打ちつける。

「……ふむ。斬れぬか」

 腹から背に抜けるような衝撃を受けて目をまわすアンナリーヤの耳に、初老の男の平静きわまりない声音が聞こえてきた。

【両断】

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