190922パラダイムシフターnote用ヘッダ第03章06節

【第3章】魔法少女は、霞に踊る (6/10)【刃魚】

【目次】

【厳戒】

「……今晩は、すごい濃霧なのね」

 マンホールのなかから這いだしたメロが、つぶやく。すでに変身は解除しており、飾り気のない灰色のレインコート姿になっている。

 少女が、地上に脱出したポイントも、いつもよりもかなり離れている。市庁府の再開発が失敗して生じた、『廃屋街』と呼ばれる無人のゴーストタウンだ。

 メロは、シスター・マイラと綿密に検討して、状況に応じたいくつもの逃走経路を設定している。

 いま進んでいるルートは、もっとも慎重を期す場合のもので、廃屋街を突っ切り、ふたたび下水道に潜って、孤児院のある街区へと戻る。

「暗いし、霧は濃いし、逃げるには打ってつけだけれども……逆に、尾行されていても、気づきにくいってことなのね。それに……」

 メロは、動くものの気配が全くない朽ちた通りに歩み出る。何かを気にするように、しきりに周囲を見回す。

「まだ、何かに見られている気がする……」

 少女はいやな予感を覚えながら、レインコートのフードを目深にかぶり、濃霧のなかを走り出す。

「あわわ……ッ!?」

 メロは、夜霧のなかに無数の動く影のようなものを見て、思わず足を止める。

 はじめは幽霊かと思い、次に恐怖のあまりに見えた幻覚かと考え直す。正体は、そのどちらでもない。

「──ッ!!」

 少女は、反射的に後ろに飛び退く。明らかに質量を持った『何か』が、メロに向かって体当たりを仕掛けてきたのだ。

「なに……これ……!?」

 メロは、周囲の濃霧を見回す。見間違いでは、ない。霧のなかになにかがいる。しかも……

「……囲まれているのね。これ」

 夜闇の霧海を泳ぐように、無数の影が少女を中心に飛び回っている。正体不明の影は、スモッグのなかから飛び出し、今度は三体同時に突進をしかけてくる。

「あわわ──ッ!!」

 メロは、前方に倒れこみながら、どうにか回避する。顔が水たまりにつっこみ、泥にまみれる。

「魚……?」

 交錯する瞬間、少女は攻撃の正体を見る。メロの目には、少なくとも、霧のなかを海のように泳ぎ回る魚──のように見える。

 黒い魚影が五体、転倒した少女に上方から狙いを定める。冷や汗を額に浮かべつつ、にらみ返すメロにかまうことなく、怪魚は突撃してくる。

「──きゃあ!?」

 水たまりのうえを転がりながら、少女は身をかわそうとする。避けきれない。鮮烈な痛みが、肌に走る。浅いが、レインコートのうえから皮ふを斬り裂かれる。

──斬られた?

 泥だらけになりながら、メロは、一瞬まえに自分がいた場所を見る。血の付いた黒い刀身のナイフが、水たまりに五本、突き刺さっている。

「魚じゃ──ない?」

 少女がそう思った瞬間、硬質な黒い刃がぐにゃぐにゃとゆがむ。次の瞬間には、ナイフは魚へと姿を変えて、冷えた蒸気の濃霧へと潜りこんでいく。

「魚じゃなくて、ナイフだけど……ナイフじゃなくて、魚……!?」

 メロは混乱しつつも、立ち上がり、身構える。

「とにかく、この状況を切り抜けないと……なのねッ!」

 少女は、右腕のブレスレットを外すと、軽く振るう。リングは、フラフープのサイズまで大きくなる、メロは、空中回転するように、フラフープの内部をくぐる。

「希望を手に、慈愛を胸に──魔法少女、ラヴ・メロディ!」

 輝く鱗粉を周囲にまき散らしながら、パステルピンクの装束に身を包んだ魔法少女が、深い夜霧のなかに着地する。

 ふたつのリングを構え、見得を切るメロに対して、スモッグの海を泳ぐ黒魚がふたたび突進の態勢に入る。

「七匹、なのね……ッ!」

 魔法少女は、自らをターゲットとした相手を捉え返す。左右のフラフープが、手の内で高速回転し始める。

「──えぇいッ!!」

 メロは、身をひねりつつ、両手のリングを振るう。接触の直前に、闇色のナイフへと変転した怪魚と、スピンするフラフープが接触し、火花を散らす。

──ガギイィンッ!!

 甲高い耳障りな金属音を立てつつ、リングの遠心力がかろうじて刃を弾き飛ばす。

 バランスを崩したナイフの群は、空中で魚に変化し、濃霧のなかへと逃げこんでいく。入れ替わるように、別の怪魚どもが突っこんでくる。

「あわわ──ッ!?」

 予想よりも早い追撃に、魔法少女は対応しきれない。フラフープを振り回しつつ、横っ飛びで回避を試みる。

 どうにか、突進する黒魚をリングで払いのけるも、一匹、撃ちもらす。変転した刃が、右腕をかすめ、ピンクのリボンが切り裂かれる。

「ひょっとして、もしかすると……大ピンチ、なのね……」

 メロは、息を荒げながら、自身の状況を再認識する。かろうじて、防御しつつも、魔法少女は追いつめられ、廃屋の壁を背にしている。

 霧のなかを行き交う魚影たちは、半円状に展開し、メロに対して逃げ場のない攻撃の機会をうかがっている。

「あわわ……来たッ!?」

 怪魚の群が、獲物の魔法少女に対して、一斉攻撃をしかける。メロがさばききれる数を軽く越えており、逃げ場もない。

「えぇい──ッ!!」

 魔法少女は、とっさに右手のフラフープを背中に回す。魔法のリングは、廃屋の壁に張り付き、亜空間の穴を作り出す。

 メロは思いっきりバックステップし、半ば倒れこむような体勢で、リングが作り出した穴のなかに転がりこむ。

 間一髪、ナイフの群が到達するまえに、魔法の抜け穴は消滅する。廃屋の壁には、無数の黒い刃が突き立てられた。

───────────────

「はあっ、はあっ、はあ──」

 天井も朽ちかけて、濃霧と雨粒が吹きこむ廃屋のなかで、仰向けに倒れこんだメロは、すぐさまひざ立ちになって、荒い息をつく。

「どうにか……体勢を立て直さないと……」

 魔法少女は、現状を打破するための方策を必死に思案する。可憐なコスチュームの内側は、霧雨と汗でぐっしょりと濡れそぼっている。

「え──ッ?」

 第六感に導かれるように、メロは首を傾げる。リボンで飾り付けられた頭部があった場所を、ひゅんっ、と黒いナイフが通り抜けていき、床に突き刺さる。

「なんなのね……これ!?」

 魔法少女はリングを握りなおしつつ、背後を振り返る。暗闇に慣れ始めた視覚が、どうにか、何が起こっているかを見定める。

 異物は、玄関や窓、あるいは崩れた隙間から、入りこんできたわけではない。その可能性は、メロだって当然警戒している。

「壁を……通り抜けている……ッ!!」

 一匹、また一匹と怪魚が、石壁をすり抜けて、室内に侵入してくる。さえぎるものなど何もない、と言いたげな様子で、黒魚はメロの周囲を遊泳する。

───────────────

「もう終わりか? さすがに、チョロすぎるかもな」

 トレンチコートにつば広の帽子を身につけた、セフィロト社のエージェント──ダルク・ヴィニオは、タブレットデバイスを片手につぶやく。

 細身のエージェントは、ターゲットである魔法少女の現在地点から数区画ほど離れた『廃屋街』の投棄アパート、その二階に潜んでいる。

 ダルクは、タブレット型のデバイスに、『刃魚変転<ソード/フィッシュ>』の攻撃プログラムを入力しつつ、あらためてターゲットのプロファイルを開く。

「遊びでやっているのか? クソガキが」

 ターゲットの容姿を捉えた画像は、どれも、仮装行列かコスプレパーティを思わせるひらひらの衣装に身を包んだものばかりだ。

 ずいぶんと余裕があることに、なかには、カメラ目線で決めポーズを取っているものまである。

「本当の戦闘というものを、教育してやる必要があるかもな……このクソガキが、生きていられれば、の話だが」

 ダルクは、枠の朽ちた窓から、メンテナンスも放棄されて久しい往路に唾を吐き捨てる。あくびをしそうになって、思わず、自身を律する。

「クソが……つまらない任務だ。とっとと終わらせて、ボーナスを受け取って、次の戦場を探すべきかもな」

 タブレットデバイスの画面の輝きが、闇のなかでダルクの顔を照らす。

 周辺の地図データと重ね合わせるように、ターゲットである『魔法少女』と展開した『刃魚変転<ソード/フィッシュ>』の現在位置が表示される。

 ターゲットが盗み出した宝石には、あらかじめ導子発信器が仕込んである。どこに逃げようが、居場所は手に取るようにわかる。

「……ん?」

 ダルクは、少しばかり興味深げに、デバイスの画面へ視線を落とす。『魔法少女』は道路ではなく、廃屋のなかを突っ切るように移動している。

 窓から顔を出したダルクは、デバイスが指し示す方向に耳をそばだてる。破壊音は、聞こえない。屋根のうえを移動している気配もない。

「なんらかの『シフター・エフェクト』か……? まあ、いい。どっちみち、結果は変わらないかもな」

 若手のエージェントは、ふたたび廃アパートの壁の影に身を隠す。

『刃魚変転<ソード/フィッシュ>』は、ターゲットをダルクのいる側に追い立てている。生け捕りにするなら、対面したほうがやりやすい。

 このまま、追い立てて疲労させ、死なない程度に痛めつけ、そのうえで捕縛する。

「──ッ!?」

 細身のエージェントが、反射的に顔をあげる。任務完遂の算段を立てていたダルクの五感が、何らかの気配を察知する。

 つば広帽の影からのぞく双眸は、窓ではなく、廊下の側に向けられる。ダルクは、懐から三本の投げナイフを指に挟み、かまえた。

【虚言】

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