190929パラダイムシフターnote用ヘッダ第03章07節

【第3章】魔法少女は、霞に踊る (7/10)【虚言】

【目次】

【刃魚】

「気のせい、で済んでくれれば、ラクかもな。だが、クソが……確かに、聞こえた」

 ダルクの瞳は、猟犬の輝きを放つ。立て付けの悪い扉が開く時のようなきしみ音がわずかに響くのを、男の耳は聞き逃さない。

 一瞬、廃アパートのドアが風で動いた可能性を考慮したが、自身のなかで即座に却下する。

 吹きさらしになって久しい廃家屋は、湿気に満ちた環境も手伝って、木製の部品はことごとく朽ち果てている。

「いるかもな、じゃない……確かに、なにかがいる」

 ダルクの全感覚は、ドアが取り付けられていた場所の向こう側、廃アパートの廊下に注がれる。

 タブレットデバイスを小脇に挟み、投げナイフを構えたまま、ゆっくりと立ちあがる。細心の注意を払って、ようやく捉えられるほどの小さな足音が、近づいてくる。

「チィ──ッ!!」

 黒い人影が、ダルクの潜む廃屋の一室へと踊りこんでくる。エージェントは、即座に三本のナイフを投擲する。

「ウラアッ!」

 侵入者のあげた叫び声が、廃アパートに反響する。左腕の手刀が一閃し、正確無比に急所を狙う投げナイフを打ち払う。

「な……!?」

 唖然とするダルクをよそに、正体不明の人影は速度をゆるめることなく、一直線に駆けこんでくる。一瞬でゼロレンジまで踏み込んだ男の右手は、拳が握りこまれている。

「ウラァ──ッ!!」

「──げふうッぐ!?」

 ダルクの顔面に鉄拳がたたきこまれ、窓から往路へ向かって吹き飛ばされる。

「おぅグ……ッ」

 うめき声をあげながら、ダルクは硬質な石畳のうえを転がる。つば広の帽子とタブレットデバイスが手元から離れ、路上の離れた地点に落下する。

「クソが……なにが、起きた!?」

 不完全ながらも受け身をとって、落下の衝撃を逃がしたダルクは、血の混じった唾を路上に吐き捨てる。

 とっさに立ちあがろうとするも、ひざ立ちが精一杯だ。三半規管が、揺さぶられている。殴られたダメージが予想以上に、重い。

「……何者だ!!」

 ダルクの誰何する声が、無人の往来に響く。エージェントが潜んでいた部屋の窓から、侵入者が悠々と石畳のうえに飛び降り、着地する。

「おまえ……セフィロト社のエージェントか?」

 正体不明の男が、ぎらりと眼を輝かせつつ、ダルクに質問をかえす。若手のエージェントは、二重の意味で背筋が凍りつくのを感じる。

 まず、第一にこの次元世界<パラダイム>において、セフィロト社はコクマー商会を隠れみのに活動しており、その名を知る人間がいるはずはない。

 そして、第二はもっとシンプルに、眼前の男の凄みだった。

「あんたも……パラダイムシフターか、なにか、か……?」

「セフィロト社のエージェントか、と聞いているッ!」

 男は、ダルクの襟首をつかむと、強引に身を吊りあげ、頭突きを叩きこむ。

「ぐオぅ……ッ」

 ダルクは頭部への衝撃で仰け反りつつも、男の手は離れない。

(……まずい)

 若手のエージェントは、状況を認識できぬまま、死を覚悟する。そのとき、ダルクの聴覚が、第三者の接近を感知する。

「あわわ……こんなときに、暴行事件!?」

 それは、『刃魚変転<ソード/フィッシュ>』によって、このストリートまで追い立てられた『魔法少女』の声だった。

 濃霧に沈む深夜の廃屋に不釣り合いな少女の声音を聞いて、ダルクの脳裏は、自身に逆転の妙案を提示する。

 命の危機にさらされた若いエージェントは、とっさに自らのアイデアにすがった。

「助けて、くれ……ッ!」

 正体不明の男が何事かを口にするその前に、ダルクは『魔法少女』に向かって、救難を乞う。少女の瞳に、義憤の輝きが宿る。

「義を見てせざるは、えーっと、なんだっけ……ともかく、そこの人! 手を離しなさい!!」

 人差し指を突きつけた『魔法少女』は、ダルクの襟首をつかむ男の手首に狙いを定め、リングを投擲する。

「グヌウ……ッ!」

 高速回転しつつ迫る輪を回避するために、男は捕らえたエージェントを解放せざる得ない。ダルクは、もんどりを打って、石畳のうえに倒れこむ。

「魔法少女ラヴ・メロディがいるかぎり、この街に、悪は栄えない!」

 魔法少女は横方向に走りながら、もう片手の側のリングを、さらに男に向かって投げつける。

先に投擲された転輪が弧状の軌道を描きつつ、ブーメランのように持ち主のもとへと戻ってきて、男は十字射撃型の攻撃にさらされる。

「……ヌギギッ」

 男は、くやしげにうめき声をあげる。魔法少女のリング攻撃にさらされて、男はさらにダルクから距離をとらざる得ない。

 ダルクは、男の視線が自分のほうをにらみつける様を見る。それでも、魔法少女から執拗な攻撃に対処するのが精一杯で、手出しはできない。

 よろめきながらもダルクは走り、タブレットデバイスを拾い上げる。耐衝撃処理を施してあるデバイスは、二階からの落下程度では問題など生じない。

「しまった……もう、追いつかれちゃったのね!」

「なんだ……あれは?」

 魔法少女当人と、対峙する男は、それぞれ同じ方向を見やる。廃屋のなかから幾つもの魚影が飛び出し、夜霧のなかを勢いよく泳ぎ回る。

「そこの人! 逃げて!!」

 メロは、被害者と思しきトレンチコートの男に向かって、必死の形相で叫ぶ。

 魔法少女から声をかけられたダルクは、タブレットデバイスを操作しながら、にやり、と笑みを浮かべる。

「……その必要は、ないかもな」

 スモッグのなかを泳ぎ回っていた怪魚の群が、一斉にメロへと狙いを定め、突進する。速度をあげつつ、魚体は漆黒の刃へと変転する。

「チィ……ッ」

 呆然とする魔法少女に向かって、正体不明の男が駆ける。降り注ぐ刃をまえにして、男は少女を突き飛ばす。

「きゃあッ!?」

 メロは、石畳の往路のうえに仰向けで倒れこむ。男は、魔法少女をかばうように、おおいかぶさる。

「グヌウ──ッ!!」

 少女のすぐ目の前で、男は苦悶のうめき声をあげる。男の身体の裏側から、肉をえぐる生々しい音が聞こえる。

「一時はどうなることかと思ったが……ふたを開けてみれば、パラダイムシフターの二人抜きか。査定ボーナスの上乗せも、期待できるかもな」

 往路のどこからか、もう一人の男の冷たい声が響く。

 メロは戸惑い、左右に視線をさまよわせる。自分をかばい、四つん這いになった男の身体にさえぎられ、周囲の様子はほとんどわからない。

 ただ、少女を守る男の腕は痛みに耐えるように震え、目と鼻の先の口からは苦しみをこらえる荒い吐息がもれている。

 男の身体の隙間からわずかに見える往路のうえには、無数の黒い刃が突き刺さり、鮮血の飛び散った跡が見て取れる。

「──……ッ!!」

 メロは、自分の背中とでこぼこの石畳のあいだにフラフープを滑りこませる。円輪の内側に、亜空間の穴が開く。

 魔法少女は、自らを護ってくれた男の身体をつかみ、地下へと伸びる避難口のなかへと逃げこんだ。

【妖精】

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