【第15章】本社決戦 (4/27)【電脳】
【屍兵】←
「グリン……グリン、グリン……」
中央に天蓋付きのベッドが設えられた円形の部屋に、『淫魔』の口元のぷっくりと膨らんだ唇から、軽妙な鼻歌が響く。
床のじゅうたんのうえには、インテリアと不釣り合いなコンピュータが幾台も置かれて、微細な駆動音を共鳴させている。
セフィロト社との先の会戦で鹵獲された軍用導子演算装置は、絡みあうケーブルによって並列接続され、『淫魔』が座る丸テーブルのうえへとつながっている。
「むふっ。セフィロト本社の構造もだいたい把握できたし、敵の注意は完全にアサイラに向いているし……そろそろ、私も攻撃開始だわ」
ケーブルの先の端子を唇でくわえながら、『淫魔』は卓上のキーボードに指を添え、眼前のモニターに対して淫靡な笑みを向ける。
紫色のゴシックロリータドレスに身を包んだ女のしなやかな指先は、ほとんど動かない。舌先で転がす端子から直接、『淫魔』の意志がコンピュータに流しこまれる。
セフィロト製のハイエンドCPUが、一斉にうなり声をあげる。
モニター上には、セフィロト本社の構造を示すワイヤーフレームと、アサイラの現在地点を指す光点が表示されている。
ただし、本社中枢部には強いノイズがかかっており、アクセスできない。
「ここまで入りこんでも、詳細を見せてくれないなんて……ガードが堅いにも、ほどがあるのだわ」
あきれ果てたようなため息が、『淫魔』の口もとからこぼれる。
「ま、いいのだわ。これから強引に、そのモザイク、はぎとってあげる」
システムのなかに、『淫魔』は己の精神を没入される。次の瞬間、ゴシックロリータドレス姿の精神体が、セフィロト本社の電脳空間に現出する。
ウェーブのかかった前髪越しに、緑色の瞳が眼前に広がるサイバースペースを眺める。巨大な水槽を思わせる空間に、格子状の光が輝き、文字列が泳いでいく。
「ただ見ているぶんには、まあ、そう悪いものじゃないんだけど」
次元世界<パラダイム>とも内的世界<インナーパラダイム>とも異なる空間の観光は、ほんの一瞬で終わる。
侵入者を関知した自動防衛プログラムの文字列が、『淫魔』に向かってオートメーションで襲いかかる。
茨を思わせる文字の鎖を、ゴシックロリータドレス姿の精神体は、空中を泳ぐように華麗に回避する。
続いて、警報を聞きつけたオペレーターによるものと思しき、マニュアルの攻性プログラムの命令文が、矢のように飛来する。
「グリン──ッ!」
細長い指を宙に滑らせ、『淫魔』は空間に魔法文字<マギグラム>を描き出す。螺旋状の文字列が、プログラムの矢を難なく弾きかえす。
「天下のセフィロト社の防衛プログラムも、この程度? なら、こちらの番だわ」
にやり、と口角を歪めつつ、『淫魔』の両手の人差し指が追加の魔法文字<マギグラム>を描いていく。
直接、電脳空間に書きこまれた文字列は、紫色の輝きを放ちつつ、稲妻のごとき奇跡を描きながら、光の格子の奥へと飛来する。
───────────────
「アびベ──ッ!?」
脳波操作ヘルムをかぶった防衛班の一人が、痙攣し、ディスクに倒れこむ。セフィロト本社のオペレーティングルームのモニターが、ノイズでかき乱れる。
オペレーターたちが、ざわめく。陣頭指揮をとる『ドクター』の眉根にしわがより、精密義眼が赤い光を放つ。
壁面を埋める画面が復帰したかと思うと、あざ笑うような、扇情的なポルノ映像が映し出される。
「なんとなればすなわち、これは『淫魔』の仕業かナ。あいもかわらず、悪趣味なことだ……この私も、他人のことは言えんか」
あきれたような嘆息が、『ドクター』ののどからこぼれる。オペレーティングルームのスタッフたちは、それどころではなく、システム復帰に躍起となる。
「あガガ──ッ!」
「……ぎゃビベ!?」
「ガへ、グ、はァ!!」
脳波操作ヘルムを装着し、精神とシステムを直結した防衛班の面々が、次々と痙攣し、よだれと鼻水をまき散らしながら失神していく。
立ちあがった『ドクター』は、脳への過負荷でダウンしたシステム操作者の一人から脳波操作ヘルムを取りあげ、自身の頭部に装着する。
「やれやれ。おいたの過ぎる乙女には、きつめのお仕置きが必要ということかナ」
指を動かすことなく再接続コマンドを実行すると、『ドクター』の精神が本社メインフレームのサイバースペースへ直結される。
幾何学的なグリッド状の輝きと、その秩序をかき乱す有機的な軌跡の文字列が、『ドクター』の脳裏に映し出された。
───────────────
「むふっ。どんどんイくのだわ」
楽しげに笑いながら、『淫魔』は攻性的な魔法文字<マギグラム>を矢継ぎ早に書き足していく。
マニキュアの塗られた指先から描かれた命令は、無数の黒い帳へと姿を変えて、セフィロト本社のシステムを構成する光の格子に群がっていく。
侵入者である『淫魔』を捕らえようとしていた蛇のようなプログラムの文字列は、目標にたどりつくまえに動きが鈍り、やがて停止する。
「正直なところ、セフィロト本社のシステムにも通用するかは賭けだったんだけど……どうやら、私の勝ちのようだわ」
かつて『淫魔』は、セフィロト社の小拠点に潜入したことがある。
そのとき、電脳の情報空間と人間の精神構造の類似性を発見し、自身の精神潜行能力と魔法<マギア>の知識を応用して、サイバースペースに干渉する術を見いだした。
体得してから間もない技であるため、今回の決戦に用いることも不安がなかったわけではない。だが、ナビゲート以外でアサイラを援護する方法は、これしかない。
「そろそろ、恥ずかしそうに隠している中枢部の内側を見させてもらうのだわ」
魔法文字<マギグラム>によって産み出された黒アゲハは、メインシステムに接触するとインクの染みのように広がり、やがて黒バラの茨へと変貌する。
輝きのグリットを、自身の花園へと組み替えようとした『淫魔』は、異常を察知する。システムを侵食する茨が、枯れている。少なくとも、そのように見える。
「なんなの、だわ……ッ!?」
メインフレームに寄生しようとするツタを枯死させる速度は、はじめこそゆっくりとしたものだったが、やがて侵食速度に追いつき、最終的に上回る。
光の格子から引き離されたバラの花弁が、『淫魔』の意志とは無関係にうごめき始める。蟲のような動きで、術者へ向かって高速で迫り来る。
「……速いッ!」
軍隊アリの群のように変貌した黒い塊が、『淫魔』に襲いかかる。あまりのスピードに、防御用の魔法文字<マギグラム>の書き出しが間にあわない。
身をひるがえして回避を試みるも、蟲どもはゴシックロリータドレスの一部をかすめ、引きちぎっていく。
「なんて早業だわ……私の魔法文字<マギグラム>を、ほんの一瞬で改竄したっていうの!?」
黒い蟲は、『淫魔』を中心として、カビのように伸び広がっていく。偉業の表面がさざめき、波のごとき動きで侵入者を呑みこもうとする。
精神体の『淫魔』は、背に一対の翼を広げて、敵の攻撃から逃れようと急上昇する。鞭のようにうねる不定形の漆黒が、わき腹をえぐる。
「あぐう……ッ!」
ルージュの乗った唇から、苦悶のうめきがこぼれる。リアリティを伴った痛みが、『淫魔』の精神体を苛む。
変幻自在に姿を変える黒い蟲の集合体は、クモの巣のごとく網を伸ばし、侵入者に対する包囲を急速に狭めてくる。
「……グリン!」
コウモリのような双翼で全身を防御し、『淫魔』は包囲網を強行突破する。当然、無傷ではすまない。神経を直接さいなむような痛みに、唇をかんで耐える。
同時に、自分の精神体をなにかがすり抜けていくような不快な感覚を、『淫魔』は味わう。セフィロト側の探査プログラムが、こちらのコンピュータに侵入したのだ。
「悪い冗談だわ……さっきまでとは、まるで別人の動きじゃない」
悪態をつく『淫魔』の精神体に、いくつものノイズが走る。電脳攻撃のための肝心かなめであるコンピュータたちが、逆に攻撃を受けている。
いくつもの演算装置が意図不明なプログラムに割りこまれ、致命的なエラーを吐き出し、次々と機能停止していく。その惨状が、どこか遠い感覚として察知できた。
→【爆破】
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