【第15章】本社決戦 (5/27)【爆破】
【電脳】←
「グリン──ッ!」
新たな攻性プログラムが、左巻きの螺旋を描きながら侵入者を狙う。ノイズまみれの『淫魔』の精神体は、先刻までと比べてあきらかに動きが鈍い。
反応する間を与えられることもなく、文字列の鉄条網が白い柔肌を絡めとろうとする。とっさに『淫魔』は、フリルがひらつくドレスを脱ぎ捨てる。
紫色のゴシックロリータドレスがおとりとなって、攻性プログラムに引きちぎられる。それでも、セフィロト側の攻撃の手はゆるまない。
黒いレース生地のランジェリー姿となった『淫魔』に向かって、命令文の触手が伸びる。黒翼を羽ばたかせる精神体は、苦々しく舌打ちする。
「……引き際だわ」
精神体の『淫魔』が、眉間をしかめ、うごめく攻性プログラムとメインシステムのグリッドをにらむ。実体の側が、口にくわえたケーブルの端子を吐き出す。
ひときわ大きなノイズ電脳空間から精神体がかき消えると同時に、意識がいつもの部屋へと復帰する。室内を一瞥して、『淫魔』の表情はますます険しくなる。
「本当、悪い冗談だわ」
床に所狭しと設置されたコンピュータたちが火花を散らし、焼け焦げた臭いの煙を吐き出している。眼前のモニターは、意味不明な文字列で埋め尽くされている。
部屋の主である『淫魔』の額を、冷や汗が伝う。指を置いたキーボードから、火花が爆ぜて、あわてて両手を引く。
自らの狙いがそうであったように、電脳戦での損傷は物理的なものにとどまらない。付け焼き刃の電脳潜行を駆使する『淫魔』であっても、それは理解できた。
「確実に、こちらのアドレスを抜かれたのだわ。これは……」
独りごちつつ、『淫魔』は愛用のいすから立ちあがる。『アドレス』という言葉は、次元転移に用いる座標情報を指し示す。
それは、いままで安全圏であった『淫魔』の部屋が、セフィロト社側から次元転移可能となったことを意味する。その気になれば、いますぐにでも。
──ブオォ……ォン。
聞き慣れない、不快な高周波音が円形の部屋に反響する。冷たい汗が背筋を伝うのを感じながら、精神体がそうしたように、実体の『淫魔』も黒翼を広げる。
にらみつける『淫魔』の視線の先、天蓋付きのベッドの向こう側に、緑色に輝く楕円形の光が現出する。セフィロト社の、次元転移ゲートだ。
「覚悟なら、とっくの昔に決めているのだわ。来るのなら……いつでも来いッ!」
緑光の表面が安定する。次元間接続が、確立した。『淫魔』は、セフィロト企業軍の突撃部隊を待ち受ける。
だが、輝くゲートの向こう側から転がり出てきたのは、兵士の一団でもなければ、エージェントでもなく、自律型戦闘機械ですらなかった。
「なんなの、だわ……これ?」
次元を越えて現れたのは、人間の子供ほどのサイズを持った円筒状の機械装置だった。放りこまれたようで、自ら動き出す兆候は見あたらない。
警戒を維持しつつも、戸惑いを隠せない『淫魔』は、見慣れぬ物体を観察する。側面に、カウントダウンの表示。残り、5秒を切っている。
「まさか、核爆──ッ!?」
敵の意図に気がついた『淫魔』の叫び声は、白い爆熱のなかに呑みこまれた。
───────────────
「……やってくれるのだわ、セフィロト社ッ!」
次元を越える『扉』から、転がり出てきた『淫魔』は、冷たい廊下に倒れこむ。
自分のくぐった『扉』が高熱と爆発のエネルギーにひしゃげる様を見て、『淫魔』はとっさに手をかざし、次元世界<パラダイム>間の接続を切断する。
「はふう……慣れないことはするもんじゃない、ってことかしら?」
ウェーブのかかったロングヘアを揺らしながら、『淫魔』は頭を左右に振る。額から伝い落ちる冷や汗を、手の甲でぬぐう。
荒い吐息をつきながら、ゴシックロリータドレスの女は立ちあがる。まだ、ひざが笑っている。気を抜けば、腰が砕けてしまいそうだ。
「……正直、死を覚悟したのだわ」
いま、『淫魔』が立っているのは、セフィロト本社内の一画、無機質な造りの業務通路だ。部屋に投下された核兵器が起爆する直前、とっさの転移を成功させた。
攻撃のため、セフィロト本社を守る次元障壁にわずかな隙間があいていたおかげで、どうにか『扉』をくぐり、敵地に転がりこむことができた。
「さて、と。どうしたものだわ……」
即席で構築したものとはいえ、軍用コンピュータ群を破壊された以上、セフィロト本社制御システムへの電脳攻撃はおこなえない。
さらには、根城である『部屋』までも爆破された。あそこには、『淫魔』が次元転移するための要である『天球儀』があった。
「完全に、退路を断たれたってことだわ。ま、後戻りする気もなかったけど」
住処を失ったことよりも、『天球儀』の喪失が痛い。あれがなければ、『淫魔』は次元転移のための『扉』を作り出すことができない。
いま自分に残されたもの、できることはなにか。『淫魔』は、あらためて反芻する。
中枢部をのぞく、セフィロト本社内の構造は、およそ記憶している。アサイラとの精神接続も未だ維持されており、どこにいるのか、おおよそなら把握できる。
「グリン。状況的に、アサイラと合流するしかないかしら……ん?」
通路の前後から、ばたばたばた、と複数の軍靴の足音が近づいてくる。あっという間に、十名弱の警備兵が『淫魔』を包囲する。
「……フリーズ」
小隊長らしき、先頭の男が機械的につぶやく。サブマシンガンの銃口が『淫魔』をにらみ、レーザーポインターの赤い光点が身体中に模様を作る。
「当然といえば、当然なのだわ。感知されるわよね、そりゃあ」
ホールドアップする素振りを見せながら、『淫魔』は兵士たちを一瞥する。
バイザー付きのヘルムにおおわれた頭部からは、表情がわからない。右手の人差し指は、すべからずトリガーに添えられている。
次の瞬間、警備兵たちが全身をけいれんさせ、糸の切れた人間のように、ばたばたと倒れこんでいく。
なかには悪あがきするかのように、短機関銃のトリガーを引く者もいる。だが、まともに照準も合わせられず、弾丸は床と天井に穴をうがつ。
「やっぱり、電脳よりも精神をファックするほうが、私にはあっているのだわ」
ふうっ、と『淫魔』はため息をつく。緑色に輝く双眸によって心を揺さぶられ、倒れ伏す兵士たちを、悠然と見おろす。
とはいえ、あまりのんびりもしていられない。敵の増援はすぐに、無尽蔵にやってくるだろう。アサイラが、いつまでも無事でいる保証もない。
「手詰まりだけは、勘弁なのだわ……待っていなさい、アサイラ!」
走りにくいハイヒールをその場に脱ぎ捨てて、裸足になった『淫魔』は、冷たい廊下のうえを駆けはじめた。
→【決闘】
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