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【第2部31章】落ちてくる、この空の下で (9/24)【横槍】

【目次】

【領有】

「グオラッ」

「ウラア!」

『塔』の壁面に直立するふたりの男は、同時に踏みこみ、それぞれ右の拳を振りかぶる。上空から戦場を見守るリーリスが、両目をおおい隠そうとして、しかし視線をそらすこともできず、顔をかきむしるような格好になる。

「アサイラ! なにをやって──」

 ゴシックロリータドレスの女の悲鳴が、途中から遠くなる。いま、この瞬間へむかって、黒髪の青年の神経が極度に収束し、かぎりなく体感時間が遅くなる。

 リーリスの言いたいことは、わかる。徒手空拳を得意とするアサイラだが、グラー帝との身体<フィジカ>能力の差は、一度、拳をぶつけあって一方的に砕かれていることからも歴然だ。同じ行為を繰りかえすなど、愚の骨頂。

 しかし、ただでさえ凄まじい拳速と対するに、大振りになりがちな両手剣では、とうてい間にあわない。くわえて、動態視力で追うことすら困難な踏みこみによって、間合いの決定権は相手にある。諸肌をさらす偉丈夫は、当然、それをわかって動いている。

(──ならば、どうするか?)

 黒髪の青年は、自問する。鈍化した時間感覚のなかでも、グラトニアの専制君主の右ストレートは、なお速い。ふたつの拳が、正面衝突する。

「ム……」

 ぱあん、と空気の破裂する音がする。グラー帝は、いぶかしみ、眉を動かす。手応えが、ない。先刻の同様のシチュエーションとは異なり、アサイラの右腕は無事だ。粉砕していない。

「打ちつけあう刹那。拳を止め、腕を引き……余の衝撃を、受け流したか」

 利き腕を伸ばしきった姿勢のまま、グラトニアの専制君主は冷静沈着な声音でつぶやく。最後の指摘は、少し違う。黒髪の青年に、そのことを口に出す余裕はない。

「──ゥゥウラアッ!」

 アサイラは、己の利き腕を弾き飛ばしたグラー帝の拳圧を利用して、円運動に転化する。突き刺した『龍剣』を支柱として、『塔』の壁面と平行に回転する。

「ァァアアア──ッ!!」

 脚が360°の軌跡を描いたところで、黒髪の青年は足場から大剣を引き抜く。身をひねり、相手の勢いと遠心力を乗せて、蒼銀に輝く刃を偉丈夫の首筋へ叩きつける。

「ぐ……ッ」

 グラトニアの専制君主は、わずかにうめく。だが、それだけだ。体勢を崩すどころか、足元すら乱れていない。剣の柄を握りしめるアサイラの両手に、鋼鉄の鋳塊を叩きつけたような反動が伝わってくる。

(どれだけ……ダメージを、負わせられたか?)

『塔』の壁面に着地し、ふたたびグラー帝と対峙するアサイラは、自問する。諸肌をさらす偉丈夫は、表情から察するに、おそらく蚊に刺されたくらいにしか感じていない。黒髪の青年とグラトニアの専制君主には、それほどの差がある。

(それでも……かまうものか!)

 アサイラは、ぎりと奥歯をかみしめ、決意する。何度でも、これを繰りかえす。そう思った刹那、ボクシングの構えをとり、2、3度ステップを踏んだグラー帝の姿が消える。

 黒髪の青年は、すぐ隣に大剣を突き刺すと、右手で小さな円を描く。側面にまわりこんだ偉丈夫のボディブローが、まるで動作を予期していたかのようにいなされ、専制君主は双眸を見開く。

「ウラアッ!」

 アサイラはグラー帝の手首をつかみ、引くと同時に脚を払い、投げ飛ばす。偉丈夫はよろめいた程度の動きで、超巨大建造物の側面に転がることすらなく、即座に体勢を立て直す。

「先刻、余の首に刃を突き立てたときに……糸を巻きつけ、我が動きを振動で予期したか……」

「そうだ。なかなか便利な剣だと思わないか? さすがは、ディアナどのの謹製だ」

「愚者と思っていたが、汝、戦闘に関しては、なかなか……一言以ておおうならば、機転が利く。蛮人ゆえの感性である、か?」

「俺から見れば……なんでも殴る蹴るで解決しようとするほうが、野蛮じゃあないか。裸の王さま?」

 軽口を叩きつつも、アサイラは背中に冷たいものが伝う。人は、天災に立ち向かうことができるのか? 自分と眼前の相手を比較するならば、その程度の差がある。

(……できる)

 黒髪の青年は大剣を構えなおしつつ、独りごちる。たとえば、治水、土木工事、天気予報……技術<テック>に限定しても、人間は様々な手段を編み出し、天災という次元世界<パラダイム>の暴威に、対抗策を講じてきた。それが人の歴史であり、文明の発展だ。

(俺も……同じことを、する、か)

 グラトニアという広大な次元世界<パラダイム>と一体化した存在であるグラー帝。これを倒すことは、どれほどの困難か。その敵意が振るわれれば、いかほどの厄災か。

 針の穴を通すような、糸のように細い、しかし確かに『存在』する可能性。ならば、つかむ。たぐり寄せる。

(そもそも、『蒼い星』への帰還だって、似たような難易度か……だったら、これくらい、できなければ……な!)

 黒髪の青年の口元に、ひきつった笑みが浮かぶ。眼前に立つ偉丈夫が、また姿を消す。アサイラは、『塔』の壁面に突き刺した大剣の柄を、左手で握りしめる。

「ほどけろ! 『星辰蒼尾<ソウル・ワイアード>』ッ!!」

 使い手の意志に応じて、蒼銀のきらめきを放ちながら、『龍剣』の刃が無数の糸へと姿を変じて、四方へ広がる。

「く……一言以ておおうならば、小癪であるッ」

 グラー帝が、拳の間合いの外で姿を現す。おそらく、ワイヤーを通じて動きを読まれることを嫌った。だが、アサイラの目は、偉丈夫の見立ての一歩先を捉えている。

「ウラアーッ!」

「……ぐッ」

 強靱な蒼銀の糸の1本が、グラトニアの専制君主よりも向こう側の壁面に引っかけられ、黒髪の青年の身体を引っ張る。アサイラは、グラー帝に背中からの体当たりを叩きこむ。偉丈夫の足裏が、1歩、退く。

 グラトニアの専制君主の構成導子量──存在の強度は、圧倒的だ、並の次元転移者<パラダイムシフター>では、誤差程度にしかならないだろう。上位龍<エルダードラゴン>のクラウディアーナですら、なお足りない。

 しかし、存在の強度だけで、物事を一元的に測れるほど、宇宙は単純にできていない。人間のほうが構成導子量が大きいからといって、魚のように水中で息はできず、鳥のように空は飛べず、モグラのように地面に潜れない。

 さらに言えば、体内に『蒼い星』の断片ともいえる導子力を宿したアサイラならば、グラー帝の暴虐的な存在強度に、ほんのわずかながら対抗できる。

「グオォォラアァァーッ」

「ウララアアァァァー!」

 諸肌をさらす偉丈夫は、なおも反抗を止めぬ蛮人に対して、無数の拳を放つ。黒髪の青年は、全身で円を描くよう動きをもって、暴風のごとき打撃をことごとくいなしていく。

 アサイラは、己の内的世界<インナーパラダイム>で邂逅し、一時のみ教えを乞うた白髭の老師との組み手を思い出す。流水のごとき円と螺旋の動きは、あのときに教わった。

 あの老人は、何者だったのか。『蒼い星』の虚ろなる住人とは、明らかに気配が違っていた。いや、そんなことは、どうでもいい。いま、この瞬間に集中する。ただ、できることを繰りかえす。

「そうじゃて」と笑う老師の声が、黒髪の青年の耳に聞こえた気がする。グラー帝は破滅的な打撃を際限なく放ち続け、アサイラはもらすことなく紙一重で受け流していく。

「ぐ……?」

「グヌッ?」

 黒髪の青年と偉丈夫は、同時に飛び退く。数匹の甲蟲が弾丸のように飛来し、石材との衝突によって潰れて、『塔』の壁面に体液の染みを作る。

 同時に横を向いたふたりの視線の先では、真紅のローブを目深にかぶった女が、人差し指を伸ばしている。

「エルヴィーナ。一言以ておおうならば……手出し無用である」

「ご無礼は、承知のうえ……皇帝陛下の支援は、万事に優先される事項なので」

 抑揚のない、それでいて、かすかな苛立ちを匂わせる声音のグラー帝に対して、『魔女』もまた、みじんの動揺も見せずに返答する。

 アサイラは、荒く息をつきつつ、舌打ちする。敵は、ひとりではない。ようやく、グラー帝のリズムをつかみかけてきたところで、さらなる不確定要素を思い出させられた。

【惑乱】

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