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【第2部31章】落ちてくる、この空の下で (10/24)【惑乱】

【目次】

【横槍】

「グラトニア帝国に仕える一員として……偉大なる皇帝陛下の支配にあらがう存在は、決して看過できないので……」

 ぼそぼそとつぶやきながら、『魔女』は両腕を広げる。背負うように、左向きに回転する輪のような魔法陣が展開され、ここではないどこかから、生理的嫌悪感を覚える触手が這い出てくる。

「グリン。言葉だけ聞けば、大した忠誠心だけど……本当かしら? なーんだか、あなたの言うこと、イマイチ信用できないのだわ」

 どこか茶化すような調子の、別の女の声が聞こえる。ローブのすそを手で押さえつつ、エルヴィーナが振り向くと、そこには黒翼を広げたリーリスと龍態のクラウディアーナの姿がある。

「それに……アサイラは、ひとりじゃない。やるのだわ! 龍皇女ッ!!」

『そなたに命令されるいわれはないですわッ、『淫魔』! ルガア──ッ!!』

 ゴシックロリータドレスの女が、『魔女』に向かって人差し指を突きつけると、白銀の上位龍<エルダードラゴン>の開かれた顎から、まばゆい光の吐息<ブレス>が放たれる。

「うぐ……ッ!」

 真紅のローブの女は、召喚魔術の詠唱を中断して、急旋回で輝きの奔流を回避する。魔法陣から身の半ばまで這い出ていた触手たちが、灼光に呑まれ、一瞬で蒸発する。

『わたくしはフォルティアの管理者、龍皇女、上位龍<エルダードラゴン>クラウディアーナ……並のドラゴンと同じ覚悟で、この場にいるとは思わないことですわ……『明鏡』のッ! 魔法<マギア>!!』

 直線的な吐息<ブレス>の進行方向の先に、魔力で構成された巨大な反射板が現出する。光の奔流がはねかえされ、再度、『魔女』を狙う。

「……あが!?」

 白熱する光条にローブのすそを焼かれつつ、エルヴィーナは寸でのところで蒸発をまぬがれる。顔を隠すフードを神経質に気にしながら、龍皇女とは別の方向を一瞥する。

 クラウディアーナの放った吐息<ブレス>の向こう側に隠れるように、黒翼を広げたリーリスが飛翔している。もちろん白銀の上位龍<エルダードラゴン>は驚異だが、もうひとりの女も厄介極まりない。

「あのドロボウ猫の、能力は……危険なので!」

 エルヴィーナは、小さくつぶやく。ゴシックロリータドレスの女が持つ、精神干渉の技。幸い、グラー帝には効果を示さなかったが、真紅のローブの女に対しては、わからない。そして、喰らおうものなら、即座に無力化されかねない。

「絶対に……目を合わせるわけには、いかないので……ッ!」

『魔女』は、自身に強く言い聞かせると、あらためて真紅のローブを目深にかぶりなおし、顔を隠す。粘膜接触、あるいは視線交錯という発動条件を満たしさえしなければ、『淫魔』の技は無力だ。

「……とでも、思ったのだわ?」

「へ──ッ!?」

 エルヴィーナは、びくっと背筋をのけぞらせる。急に至近距離に現れたゴシックロリータドレスの女が、上下反転した体勢でフードのなかをのぞきこんでいる。

 見開かれた『淫魔』の緑色の瞳孔に、『魔女』の赤黒い目の視線が吸いこまれる。まずい。エルヴィーナは、とっさにリーリスの身体を振り払おうと、腕を伸ばす。

「グリン……」

『魔女』の手が触れた瞬間、ゴシックロリータドレスの女の肉体が、ばらばらに分解する。気づけば、先刻まで『淫魔』だったものが、無数の黒い蝶へと変じて、四方に散っていく。

「……してやられたのでッ!」

 真紅のローブの女は、うめく。首をめぐらせ、周囲の状況を確かめる。グラー帝や『塔』はもちろん、アサイラをはじめとする付近にいたはずの存在の姿は消え失せ、足元には黒バラの咲き乱れる花園が現れる。

 もっとも避けるべき幻覚に、囚われた。『魔女』は、焦りを押さえる。早鐘を打つ心音が、妙なリアリティをともなって耳に届く。

 エルヴィーナは、精神を包みこむ幻惑空間を仔細に観察しつつ、戦乙女<ヴァルキュリア>の王女として学習した魔法<マギア>の知識を検索し、脱出の糸口を探る。心象世界の虜囚を嘲笑するように、大輪の黒バラたちが咲き誇り、風に揺れている。

「……あガッ!?」

 真紅のローブの女は、右腕に鮮烈な痛みを覚え、悶える。周囲の幻覚がほどけ、現実の光景が戻ってくる。龍皇女の吐息<ブレス>を喰らい、四肢の1本を失っていた。

『命中の直前に、動かれました。もう正気を取り戻したみたいですし……幻覚のかかり具合が甘いですわ、『淫魔』?』

 龍態のクラウディアーナは、ふん、と鼻を鳴らし、黒翼を広げるリーリスは肩をすくめる。

「甘いのは、あなたの狙いじゃないの? 龍皇女……それはそうと、この娘、器は戦乙女<ヴァルキュリア>で間違いないんだけど、ほかの知的生物と比べて、精神構造が異質すぎるのだわ。いったい、なにものかしら」

 余裕ぶった調子で話す『淫魔』に対して、ぎり、と『魔女』は歯ぎしりする。エルヴィーナの腕の付け根から、血の代わりに、ぼとぼとと蛆や蛭のような軟体生物がしたたり落ちていく。

「なるほど……『淫魔』の視線を、龍皇女の光の魔法<マギア>で屈折させて、わたシの目とつなげたので……まんまと嵌められました」

『あら、もう手品のタネに気づかれたようですわ。どうするのです、『淫魔』?』

「いいんじゃないかしら。わかったところで、避けられるものでなし……私たち、ぜんぜん性格はあわないんだけど、能力の相性だけは最高なのだわ……荒っぽい殴りあいは男子たちに任せて、こちらは楽しい女子会と洒落こみましょう?」

 ぼろぼろになった真紅のローブが風に飛ばされ、謎めいた『魔女』の素顔があらわになる。赤みがかった黒髪を2本の三つ編みにまとめ、眼鏡をかけた、風貌だけを見れば、地味で大人しそうな顔つきだ。

「ぬふふ、ぎんぎらぎんにぴかぴかして自己主張の激しい龍皇女と比べると、清楚で真面目そうな娘じゃない。委員長タイプ、ってヤツ? 私、嫌いじゃないのだわ」

『わたくしとの比較は余計ですわ、『淫魔』?』

 おどけて見せながらも警戒を緩めぬリーリスとクラウディアーナに対して、エルヴィーナは焼却された肩先をおさえながら、屈辱に表情をゆがめた。

【供犠】

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