【第2部4章】少年はいつ、大人になる (4/4)【拝謁】
【出迎】←
「グラトニオ・グラトニウス皇帝陛下。征騎士候補、フロル・デフレフどのが参られました」
「お通しなさい。陛下は待ちわびておられますので」
少年を案内した官僚の形式ばった言葉に対して、謁見の間のなかから皇帝とは異なる女の声が聞こえてくる。上級役人は扉を押し開き、フロルをなかへとうながす。
謁見の間を自分の目で見た瞬間、フロルは息を呑んだ。赤を基調とした古代グラトニア様式の荘厳な内装……それだけではない。
ダンスホールのように広い部屋の奥、フロルが立つ扉から対面する位置にしつらえられた玉座に腰をおろす男性から、圧倒的な存在感があふれ、空間に満ち満ちている。
赤地に金糸の刺繍の刻まれたトーガをまとい、アメジストを思わせる色合いの髪を持った偉丈夫──それが、この国の指導者、グラー帝の姿だった。
「よく来てくれました、フロル・デフレフ。なかへお入りなさい……陛下も、わたシも、あなタを歓迎していますので」
皇帝に代わって、玉座のかたわらに控える側近と思しき女性が少年へ声をかける。血の色のような深紅のローブを目深にかぶり、表情はうかがえない。
彼女の言葉は、鈴の音のごとく耳に心地よく、それでいてときおりノイズのように耳障りな抑揚の混じる奇妙な声音だった。
「遠慮は不要。入るがよい……汝を招いたのは、ほかならぬ余の意志である」
立ちすくむばかりのフロルに対して、玉座の主が重々しく声を発する。少年は瘴気に当てられたようにふらふらと謁見の間の中央まで歩み、無意識のままひざをつく。
「このたびは拝謁の機会を与えていただき、ありがとうございます……恐悦至極でございます……」
フロルは震える声で舌をかみそうになりながら、どうにか挨拶の口上を述べる。顔をあげることもできなかったが、皇帝が満足げにうなずいた気配はわかる。
「フロル・デフレフ。先日はセフィロト残党の犯罪者を鎮圧し、臣民を救ったそうですね。わたシタチも、すでに聞き及んでいるので」
「臣民たちは、一言以ておおうのならば、余の血肉。正式なる征騎士の任につくまえより、大儀である」
「……恐縮でございます。陛下」
少年は息が詰まりそうになりながら、かろうじて返事をする。見えない力で後頭部を抑えつけられたように、顔をあげることができない。
(これが、グラトニア革命の立役者……グラー帝!)
ほとんど土下座のような姿勢になりながら、フロルは畏怖と戦慄の感情を抱く。テレビや新聞でその顔は知っていたが、対面でのプレッシャーはけた違いだ。
いや、少年はそれよりも以前にグラー帝の姿を見たことがあった。
セフィロトの『社長』の死に乗じた一斉蜂起の日、フロルたちはまだ敵の拠点であったこの都市へと攻めこんだ。
だが、レジスタンス活動を警戒していたセフィロト社が事前に多くの企業軍を配備していたこともあり、敵の防備は堅く、市街戦は苛烈を極めた。
以前からいけ好かない先輩の頭蓋を、敵兵の銃弾が貫いた。朝に出会ったばかりの年下の同志が、爆発で半身を失った。
仲間たちが次々と倒れ、フロルも足を負傷して身動きがとれなくなり、蜂起は失敗に終わるかと思われた。そのときだった。
銃火の嵐をものともしない偉丈夫が、一個小隊ほどの部下とともにフロルの眼前を横切っていった。はじめて見たその男こそが、グラー帝だとあとで知った。
まるで、弾丸が偉丈夫を避けていくようだった。その部下たちは、被弾してもひるむことなく前進していった。立ちふさがる敵兵は、無造作になぎ払われた。
後にグラー帝と知る男が、硝煙の向こうに消えて数時間後、セフィロトの支社ビルにグラトニアの国旗が掲げられた。
──カツ、カツ、カツ。
自分のもとへと近づいてくる足音で、少年は我にかえる。わずかばかり首をあげて、床と水平になった顔の視界から、かろうじて女性の脚が見える。
女性のつま先は、フロルの背後に回りこむ。肩になにか、大きな布のようなものをかけられる。
「グラトニア征騎士であることを示す外套なので。これより、あなタは偉大なるグラー帝の直臣となりました」
深紅のローブの女の声が聞こえる。足音は、少年を中心として左回りに一周して、ふたたびフロルの前面に戻ってくる。
今度は右肩になにか硬く長いものを、軽く当てられた感触がある。フロルは、ようやく顔をあげる。
側近の女がグラー帝とのあいだに立ち、プレッシャーをいくぶん遮ってくれたおかげだった。そして、己の肩に乗せられていたものは、両刃の剣だとわかる。
「そして、征騎士フロル。あなタは、この剣を使いなさい」
深紅のローブの女は、いったん剣を手元に引き寄せると鞘のなかに納める。それを差し出されて、少年はうやうやしく受け取る。
片手で使うにはやや長く、両手で振るうには少しばかり短い、それはバスタードソードと呼ばれる剣種だった。
「これは……?」
精緻な細工の施された鞘を掲げながら、フロルは尋ねる。刀室のなかに隠された刃から、空気の震えるようなただならぬ気配が伝わってくる。
「セフィロト社がイクサヶ原に存在する『龍剣』を技術<テック>で再現しようとした、その試作品です……制圧した研究施設から、接収したものなので」
少年は側近の女の説明を半分も理解できないまま、わずかに鞘のなかから刀身を出してみる。刃の放つ鈍い輝きは、人の流す涙に似ていた。
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