【第10章】工房にて (3/3)【限度】
【鍛刀】←
「善。まずは、ここまで……」
女鍛冶は、天井をあおぎ、深く息を吸って、吐き出す。魔人の姿をとる紅焔がほどけ、ひざもとの刀へと吸いこまれていく。
いまだ赤熱している龍の骨は、百分の一よりも小さく圧縮されていた。リンカは、加工した龍骨を鉄鋏でつかみ、水を張った桶のなかに入れる。
──じゅううぅぅぅ。
水面から湯気が立ち、周辺をおおう。やがて湯煙が晴れると、女鍛冶は加工した龍骨を水のなかから取り出す。
「ほらよ、アサイラ」
リンカは、冷却した龍骨の持ち手に布を巻き、アサイラに差し出す。
「もうできたのか?」
「まさか! まだ、浅鍛えなのよな!」
受け取りながら問うたアサイラに対し、からから、とリンカは笑う。
見れば、リンカの黒髪と白装束は、頭から水でもかぶったかのようにぐっしょりと濡れている。その姿が、作業に伴う負荷の強さを、なによりも雄弁に物語っていた。
「深鍛え、焼き入れ、研ぎ……ここから先が、長いのよな」
女鍛冶は、遠い旅路を見つめるようにつぶやきながら、右手に自分の刀を握り、若干、ふらつきつつ立ち上がる。
「だけど、試し振りをしてみるのも悪くはないだろう? アタシも、仕上げをするときの参考になるのよな」
「そういうこと、か」
アサイラは、『龍剣』へと生まれ変わりつつあるドラゴンの骨を、まじまじと見つめる。シルエットこそ刀だが、まだ刃も切っ先もなく、芯棒と呼ぶほうがふさわしい。
「刀になるにゃあ、まだまだだが、『龍剣』としての性質は、すでに備わっているのよな。扱い方を、講釈してやるよ」
ひゅんっ、と空気を切って、リンカは己の刀を片手で振るう。
「竹筒の水鉄砲は見たことあるかい? なけりゃあ、桶と底に空いた穴を想像すればいいのよな。『龍剣』と使い手の関係も、似たようなものさ」
滝のように流れた汗を吸い、ぐっしょりと肌に張りつく白装束を気にも止めず、リンカは無造作に刀を構える。
「アタシたちは、『気』と呼んでいたが……霊力とか、魔力とか……とにかく、人のなかに詰まった魂の力、そいつが外に噴き出すための穴が『龍剣』なのよな」
リンカは手首を返して、刀を小さく揺らす。赤い焔が、刀身から飛び散る。無人の方向へ剣を振れば、まばゆい炎の線が暗闇を切り裂く。
「使い手自身が持つ魂の力と、『龍剣』自体の性質が混じり合って、外部に顕現する。アタシの場合、この炎と『炉座明王<ろざみょうおう>』なのよな」
女鍛冶の額から、汗の粒が飛び散る。リンカは、刀の峰で自分の右肩を、とんとん、とたたく。炎のように赤い眼が、アサイラを見る。
「ま、百分は一見にしかず、なのよな。ほら、まずは構えてみな」
アサイラは、リンカに言われるまま、見様見真似の構えをとる。
「そうそう、なかなかに筋がいいじゃないか」
リンカは、からから、と笑う。
アサイラはまぶたを閉じ、精神を集中する。女鍛冶が口にしていた例え話を、自分のなかのイメージとして再構築する。
(俺自身が、水の詰まった袋だ。こいつは、そこに空いた孔……)
圧縮されたドラゴンの骨を握りしめる青年は、己の生命力──『淫魔』が『導子力』と呼ぶこともあるエネルギーを、芯棒に注ぎこむ。
──ぞわっ。
その場にいた女たちは、全員、奇妙な怖気を覚える。リンカは無意識に一歩引き、シルヴィアは耳と尾の毛を逆立て、『淫魔』は唇をかんで目を見開く。
暗がりより黒く、はっきりと認識できる禍々しい闇のオーラが龍骨からにじみ出る。アサイラは、かまうことなくエネルギーを流しこみ続ける。
──ギイイィィィ……ンッ。
刀身に加工される予定の芯骨が、鳴動し、まるで慟哭するかのようにきしみ音をあげる。ドラゴンの骨の表面が、小刻みに振動している。
「さもありなん……コイツは、やば……」
リンカがつぶやいた刹那、アサイラのエネルギーがほとばしり、奔流となって闇が弾け飛ぶ。
──カラン。
乾いた音が、工房に響く。急に手応えが無くなり、アサイラは眼を開く。
「な、な……なにをやっているのだわ、アサイラ──ッ!!」
少しの間をおいて、『淫魔』が叫び声をあげる。アサイラの手に握られていた、『龍剣』になるはずだった芯棒は、無惨にも根本からへし折れていた。
───────────────
「どういうことなんだ、これは……」
ソファに身を沈めたアサイラの、誰に対してでもない問いかけが、円形のリビングルームに響く。
「あー……すまないのよな。アタシの腕前が、未熟なばかりに……」
「ん。リンカのせいじゃない、と思うんだな」
謝罪する女鍛冶と、それを否定する獣人のメイドは、丸テーブルを挟んで対面していすに座っている。
リンカはシャワーを浴びて汗を流し、いつもの着流しに着替えていた。
「そうね。これはどう考えても、アサイラのせいだわ」
部屋の中央に置かれた天蓋つきのベッドのうえで足を伸ばす『淫魔』は、ソファに腰をおろす青年のほうを見やる。アサイラは、にらみ返す。
「俺のせいか?」
「あなたの噴出する導子力が規格外なのだわ! なんなのよ、ドラゴンの骨が耐えられないなんて……それも、熟練の職人が加工したもので……」
「さすがだな、マスター」
「シルヴィア、ほめていないのだわ!」
両手を後頭部に当てながら、『淫魔』は寝具のうえに仰向けになる。アサイラは、うつむき加減で、丸テーブルのほうに顔を向ける。
「リンカ。なにか工夫することで、どうにかならないか?」
女鍛冶は、渋い表情を浮かべて、首を横に振る。
「『龍剣』の強度は、浅鍛えの時点でだいたい決まっている。そこから先は、武器として、刀としての体裁を整える工程なのよな」
「ドラゴンの骨を複数本も集めてきて、さらに圧縮するのはどうか?」
「……試したことは、ない」
なおも食い下がるアサイラに対して、リンカは少し思案したのち、答える。
「ただ、『龍剣』を鍛刀する工程ってのは、先人の試行錯誤の積み重ねなのよな。秘伝、と言ってもいい……新しい方法を探るのは、そりゃあ、時間がかかる」
女鍛冶の見解に、アサイラは手を組んで床に視線を落とす。
「まったく……『龍剣』を使えば、上手く行くかと思ったのに……誰かさんのおかげで、また振り出しに戻ったのだわ」
「俺のせいか? クソ淫魔」
「誰とは言っていないのだわ!」
アサイラから顔を背けるように、『淫魔』はベッドのうえで寝返りを打つ。
「必要なら、何度でもドラゴンの骨はとってくる。もっと、良質のやつが必要か?」
瞳に妄執じみた輝きを宿しつつ、アサイラはリンカに尋ねる。つられるように、シルヴィアの視線も、対面の女鍛冶に向く。
「あー……」
女鍛冶は、困惑の表情を浮かべつつ、自分の額を指先でかく。
「最初に言ったかもしれないが、アサイラが持ってきた龍骨の時点で、相当な上物なのよな。大名に売りつければ、向こう十年は安泰さ」
アサイラとシルヴィアに見つめられ、リンカは打開策を思案する。作り笑いを浮かべつつも、女鍛冶の表情は晴れない。
「あれ以上の質の龍骨を求めるとなれば……それこそ、イクサヶ原の御三家が家宝にするほどの逸品なのよな。名匠だって、一生に一度、拝めるかどうか……」
「つまり、その御三家とかいうやつらから奪ってくる手もあるか」
アサイラが、顔をあげる。リンカは、あきれて言葉を失う。
「ちょっと、ちょっと!」
ふて寝していた『淫魔』が、あわてて上半身を起こす。
「アサイラ! あなた、イクサヶ原のサムライ全員と戦争する気!?」
「必要ならば、俺はやるぞ」
「あー、もう……この偏屈者! 死にたがりッ!!」
『淫魔』は頭を押さえて、ウェーブのかかった髪をかきむしる。やがて、あきらめたかのように脱力して、顔をあげる。
「……わかった。ひとつ、あてのある次元世界<パラダイム>があるのだわ。サムライと戦争するかは、そこを調べてから決めましょう?」
「どこだ、そこは?」
アサイラは、前のめりになりながら『淫魔』に尋ねる。リンカとシルヴィアも、興味深げな視線を、ベッドのほうに向ける。
「おそらく、最初の『龍剣』が産まれた次元世界<パラダイム>……私、あそこの管理者と馬が合わないから、できれば行きたくなかったのだけど」
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