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【第2部19章】終わりの始まり (6/8)【張手】

【目次】

【醜足】

「軍事演習で、戦闘機を墜としたことならあったが……城ほどの大物は、初めてだってことよ。なるほど、なかなか手強い」

 ライゴウは、激しくタービンをまわす蒸気機関のように白く熱い吐息をふく。

「だが、なに……手応えは、あった。一発で墜ちぬなら、何度でも踏んでやるまでのことよ……ッ!」

 スモウレスラーは、先ほどとは反対側の脚を高々とあげる。一拍の間を置いて、勢いよく振り下ろす。

「どっせい……ッ!」

 ライゴウの叫び声ともに、凍原のうえに小さなクレーターができる。周囲の岩山から近海の浅瀬まで、浮遊感を伴う面妖な振動が響きわたる。

「……どっせい、どっせい!」

 右、左、とスモウレスラーは、くりかえし四股を踏む。低周波の地震のように、周囲の地面が止まることなく鳴動し続ける。

 雪の粒すら浮力を失い落下して、いつしかライゴウの周囲では吹雪が止まる。

──ドオオ……ンッ。

 ライゴウの背後で、落下音が響きわたる。スモウレスラーは、振り返らない。獲物の浮遊城にしては小さすぎる。

 実際、それは『失落演武<フォーリンガン>』の影響範囲に運悪く入りこんでしまった浮き島だった。ライゴウは、延々と四股踏みを続ける。

「故郷の……幕下のころの、稽古を思い出すってことよ……どっせい!」

 異常を察知した凍原のグリフィン、戦乙女の家畜であるヒポグリフ、さらにいくつかの浮き島が、『失落演武<フォーリンガン>』に巻きこまれて墜落してくる。

 スモウレスラーの筋肉が真っ赤に熱を帯びて、極寒環境にも関わらず玉のような汗が噴き出す。その肌に、びりびりとした空気が震えるような感覚が伝わってくる。

「どっせい……ッ!!」

 ライゴウは、ひときわ力強く四股を踏み、上空をあおぎ見る。灰色の雲に左巻き方向の渦ができたかと思うと、大きな穴が開き、ゆっくりと巨岩の塊が落下してくる。

「ついに……本丸のおでましってことよ」

 グラトニア征騎士であるスモウレスラーは、にやりと野蛮な笑みを口元に浮かべる。大規模な儀式魔術によって構築された天空城の浮力は破られ、ライゴウの正面の海上へ墜ちていく。

──ザバアアァァァ……ンッ。

 巨大質量体を受け止めた海面に、大波が立つ。腰を落としたスモウレスラーに向かって、潮水の壁が迫り来る。

 ライゴウは、山のような波濤に呑みこまれる。人間はおろか、グリフィンでも水没すれば凍死をまぬがれえない氷結世界の海水を、全身に浴びる。

 やがて、波が引く。スモウレスラーの小柄な体躯が、液体窒素を思わせる潮水のなかから現れる。

 ライゴウの身体は、氷づけになっていなければ、凍死してもいない。水をかけられた焼け石のごとく、もうもうと全身から湯気があがっている。

 深く息を吐き、呼吸を整えたスモウレスラーは、基部が水没し、凍海のうえに浮かんだ状態の天空城を見据える。

 やがて蜂の巣をつついたがごとく、白亜の城から戦乙女たちが飛び出してくる。なにが起こったのか、理解できていないのだろう。混乱したように、城の周囲を飛びまわっている。

「ヴァルキュリア。女ではあるが、武人の一族だともと聞いている……なに、手加減は無用ってことよ」

 ライゴウは、吹き荒む風に赤い外套をひるがえしながら、自分に言い聞かせるようにつぶやく。天高く右脚を突きあげ、永久凍土をえぐるように四股を踏む。

「どっせい──ッ!」

 スモウレスラーを中心に、周囲へ鳴動が広がっていく。空間の震えに呑みこまれた戦乙女たちは、即座に双翼の揚力を失い、ひとり残らず氷海へと落下していく。潮水のなかから浮かびあがってくるものは、いない。

 おそらく、いまので全戦力と言うことはないだろう。ライゴウは、失墜した天空城をにらみつつ、ヴァルキュリアたちの次の出方を待ち受ける。

「……なに?」

 スモウレスラーの目が、戦乙女の城の尖塔にきらめく複数の光点を視認する。

「弓兵か……!」

 相手は、海岸線に位置どる自分のことを把握したらしい。なかなか、素早い状況判断だ。接近戦を避け、飛び道具を選ぶ選択も悪くない。

「だが……無駄ってことよ!」

 ひゅおっ、と風を切る音を響かせて、魔法<マギア>によって強化された矢が輝きながら飛来する。弓の弦を放つとほぼ同時に、ライゴウは左脚を振りあげている。

「どっせい……ッ!」

 四股踏みと同時に、無数の矢が海上で浮力と推進力を喪失し、魔銀<ミスリル>の鏃から海へと垂直に落下していく。

「へっぴり腰で、このおれをしとめられると思うな……ってことよ。タイミングさえ合わせられれば、『失落演武<フォーリンガン>』は銃弾とて無力化できる……!」

 ライゴウは、蒸気のごとき白い吐息を吹く。海面に赤い染みの浮かぶ様子が見える。魔法<マギア>による強化が仇となり、矢は皮肉にも海中に沈む同胞たちを貫通した。もっとも水没した時点で、ヴァルキュリアの命はないだろうが。

「さあ、次はどうするってことよ……それとも、城を捨てて逃げ出すかッ!?」

 スモウレスラーが、苛立ちの混じった咆哮をあげる。応えるように、浮遊城より先発部隊の数十倍はいるだろう戦乙女たちが飛び出してくる。

 ヴァルキュリアたちは、左右に散開していく。ライゴウの位置から見れば、城が巨大な双翼を広げたようにも見える。

 戦乙女たちの群は筋状の雲のように伸びながら、大きくまわりこみつつ包囲するようにスモウレスラーへと迫る。

「なに……『失落演武<フォーリンガン>』の範囲から逃れつつ、巻きこまれたとしても全員が犠牲となるのは避けようという魂胆か……だが、空のうえから見下ろし続けている時点で、甲斐性なしってことよ!」

 ライゴウは、すぐには四股を踏まず、空駆ける騎士の大群を待ち受ける。やがて羽虫の集団におおわれたかのごとく、スモウレスラーの頭上がヴァルキュリアたちで埋まる。

「……どっせい!」

 戦乙女たちが一斉に滑空攻撃をしかけようとした瞬間、ライゴウは目にも止まらぬ速度で四股を踏む。とたんに浮力を失ったヴァルキュリアの大群は、固い氷の大地へと落下し、身を打ちつける。

「アがアひ!!」

「グあはヴッ!」

「ごアがハ!?」

 数百名におよぶ戦乙女の苦悶の声が、凍原に響きわたる。ほとんどが、一瞬で継戦不能の状態に陥った。そう判断しかけたスモウレスラーが、近づいてくる人影をひとつ、視界のすみに見つける。

 ライゴウは腰を落としたまま、敵に対して向きなおる。相手の背後には、鷲の頭と翼の生えた馬が倒れている。ヒポグリフ騎兵だ。乗騎がクッションとなって、落下のダメージが最小限で済んだのだろう。

「貴様……ドヴェルグか?」

「違う。おれは、グラトニア征騎士のライゴウ」

「どのみち、敵という認識でかまわんのだろう……!」

 誰何が済むや否や、ヴァルキュリアは腰に差した剣を引き抜き、一息に間合いを詰めて斬りかかる。

「よい剣筋だ。日頃の鍛錬が見て取れるってことよ……だがッ!」

 ライゴウが、動く。戦乙女の動態視力は、スモウレスラーの反応を捉えきれない。盛りあがる筋肉におおわれた首筋に魔銀<ミスリル>の刃が届くよりも早く、男の張り手が女の顔面を捉える。

「……がっぷりよつの間合いで、そうそう、おれを出し抜けるとは思わないことよ」

 次の瞬間、ヴァルキュリアの頭部は消失していた。首なしの胴体が、ぐらりと揺れてライゴウの足元へ倒れこむ。赤い鮮血が、白い雪原に無数の染みを作る。

 装甲車ですら擱座させられるスモウレスラーの強靱な身体<フィジカ>能力が、戦乙女の頭部を易々と、ザクロのように破裂させていた。

【失落】

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