見出し画像

【第2部19章】終わりの始まり (5/8)【醜足】

【目次】

【扇動】

──ヒュオオォォォ……

 モノクロームの凍原に、吹雪が舞いおどる。この次元世界<パラダイム>の地表では、あたりまえの風景だ。

 白い根雪に、黒い岩石。厚い灰色の雲に空をおおわれてしまえば、唯一の色彩は氷海の蒼くらいのものだが、それすらいまは荒天に阻まれて見通せない。

 海岸を見通せる凍原、吹き荒れる暴風雪のなか、人影がひとつ仁王立ちしている。背にはためくは赤い外套……グラトニア征騎士だ。

「なに……心頭滅却すれば、火もまた涼し。逆もまた真なり……ってことよ」

 吹雪の風音に混じって、男のつぶやき声が響く。零下50℃を下まわる極寒環境にありながら、その声音はいささかのかじかみも感じさせない。

 そもそも、男の赤い外套の下は、とても局地に対応した服装とは思えない。上半身は筋骨隆々の腕をむき出しにしたタンクトップ、下半身はトレーニングウェアを思わせるゆったりとしたスラックス。靴のたぐいもはかずに、裸足で凍土を踏みしめている。

 小柄で筋肉質の男の体格はドヴェルグにも似ているが、彼はこの地の人間ではない。イクサヶ原出身のスモウレスラーにして、グラトニア征騎士……ライゴウだ。

 ライゴウの首にぶら下げられていた導子通信機が、バイブレーションで着信を知らせる。スモウレスラーは相変わらず不慣れな機械を手に取り、耳にあてる。

「おれだ。なにかあったか、プロフ?」

『逆だよ。こちらの状況は、つつがなく動き始めた……ライゴウ卿も、行動を開始してもらってかまわないだろう』

「……了解ってことよ」

 スモウレスラーは、曇天の空をあおぎ見る。ぶ厚い雲の天蓋と荒れ狂う吹雪に視界をふさがれ見通せないが、あのさらにうえに戦乙女たちの拠点、天空城が浮かんでいる。

 雲のうえを周遊するヴァルキュリアの城は、ひとつ所にとどまっているわけではない。しかし、複雑ではあるが、魔法陣を描くように規則性のある軌道を描いている。

 インウィディアに駐屯するグラトニア征騎士とその部下たちが観測したデータをもとに、白衣のプロフェッサーは浮遊城の軌道周期を算出した。いままさに曇天のうえ、ライゴウの頭上付近を、巨大な岩の塊が漂っているはずだ。

『ああ、そうだ。これは、確認なのだが……ロック卿の『死禁錠<デス・ジェイル・ロック>』は、取りつけているかい?』

「なに……そいつは、不要ってことよ。戦の覚悟が鈍る」

『そうか……ライゴウ卿の意志ならば、尊重すべきだろう。そう言えば、トリュウザ卿も似たようなことを言っていたな。イクサヶ原気質というものだろうか……?』

「プロフ。ほかに、なにか伝えておくべきことはあるか?」

『いや、以上だ。それでは、健闘を祈る。ライゴウ卿』

 導子通信が、切断される。スモウレスラーは、小さくため息をつく。口元からこぼれた白い吐息が、たちまち極寒環境で凍りつく。

「……女子供に手をあげるのは、好まんが」

 無人の雪原に立ち、誰に言うでもなくライゴウはつぶやく。戦乙女は、その名が示すとおり女だけの種族だと聞く。おそらく天空の城には、その子供たちとているだろう。

「だが、いまのおれはグラトニア征騎士がひとり。そして、これは……皇帝陛下の勅命ってことよ」

 本来、浮遊城攻撃作戦には、技術<テック>による対空兵器を用いる予定だった。しかし、威力偵察部隊から効果が薄いとの報告を受けて、急遽、作戦は変更となった。

 白衣のプロフェッサーを中心とする技術局長の面々がデータを検討した結果、白羽の矢を立てられたのがライゴウだ。イクサヶ原出身のスモウレスラーは、上空に位置する相手に対して極めて有効な転移律<シフターズ・エフェクト>を持つ。

「飛ぶ鳥を落とす、とはよく言ったことよ……なに、おれのまえで雲のうえに浮いていたのが運の尽きだ」

 ライゴウは大きく股を開くと、どっしりと腰を落とす。片足を天高く振りあげる。『四股踏み』と呼ばれる、スモウの所作のひとつだ。

「墜とせ、『失落演武<フォーリンガン>』……どっせい!」

 スモウレスラーの裸足の裏が、凍原へと勢いよく叩きつけられる。

──ドゥオオォォォ……ン。

 ただ地を強く踏みつけるだけとは異なる、奇妙な鳴動が雪原に響きわたる。

「ピギャア──ッ!?」

 縄張りへの侵入者に対する攻撃の機会をうかがい、上空を旋回した野生のグリフィンが、突然、浮力を失ったかのように不自然に落下する。

 頭から凍原に叩きつけられ、首の骨を折って絶命した鷲獅子を気にとめる様子もなく、ライゴウは目を細め、灰色の厚い雲のうえをにらみつける。

 イクサヶ原出身のスモウレスラーの転移律<シフターズ・エフェクト>である『失落演武<フォーリンガン>』は、強く地を踏みしめることで一定範囲の揚力を喪失させる。

 かつて、旧セフィロト社の企業植民地だったグラトニアに次元転移<パラダイムシフト>したライゴウは、次元間巨大企業に捕らえられ、観光都市の地下闘技場に放りこまれた。

 故郷でおこなわれるスモウの興業とは、まったく異なる殺人エンターテイメント。スモウレスラーは、生き延びるために張り手をふるい、両腕を対戦相手の血に染め続けた。

 勝ちすぎた、と言うことなのだろう。ある日の対戦相手は、人間ではなかった。別の次元世界<パラダイム>から連れてこられた、ワイバーンと呼ばれるドラゴンの下位種だと、あとで知った。

 ライゴウは、必死に戦った。対人戦闘を前提とし、神への奉納という儀式的側面も持つ格闘術、スモウでは、悠々と宙を舞う翼竜には歯が立たなかった。

 スモウレスラーの身体は、ワイバーンの爪と牙に引き裂かれて血まみれになった。地下アリーナの客席を埋める特権階級の観衆たちが、蛮族の無惨な死を期待して嘲笑の混じった歓声をあげた。

 死にかけのライゴウは、己のうちから聞こえる声にしたがって、力強く四股を踏んだ。一見、無意味な行動だった。

 だが次の瞬間、翼竜は落下し、闘技場の敷石へと叩きつけられた。スモウレスラーは、もがくワイバーンの頭蓋を張り手で粉砕した。

 空を舞う相手を、文字通り自分の土俵へと『引きずり落とす』異能……『失落演武<フォーリンガン>』に、ライゴウが覚醒した瞬間だった。

【張手】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?