【第2部29章】至高の騎士、最強の刃 (8/16)【投擲】
【幻滅】←
「いまのは、少年の転移律<シフターズ・エフェクト>か……? 肝を冷やしたぞ……どう見ても、死んだと思ったからだ……」
上空で、戦乙女の姫騎士が安堵の嘆息をこぼす。一度は両断された上下半身をつなぎあわせたフロルは、なにごともなかったかのように剣を握りなおす。
「花は桜木、人は武士……石破天驚とは、まさにこの光景にて御座候……某の齢になって、これほどの相手と死合えるとは、思わなんだ……」
トリュウザが、感極まった声をこぼす。高温環境に包まれていなければ、目尻から滂沱のごとく涙があふれ出していたかもしれない。
初老の剣士の身震いを、少年は醒めた瞳で見つめる。残心の構えをとっているとはいえ、渾身の大振りのあと。今のフロルは、達人相手でもわずかな隙を見逃さない。
「……たあッ」
小さく、しかし鋭く、少年は己の『龍剣』を振るう。当然、トリュウザとの間合いのはるか外だ。にも関わらず、初老の剣士が、上空のヴァルキュリアが刮目する。
「ぬう……ッ!?」
トリュウザが、うめく。初老の剣士の左中指が切断されて、宙に舞う。フロルの斬撃は小さくも、確かに『飛』んだ。
「……いまだ! 『機改天使<ファクトリエル>』ッ!!」
少年は、己の異能の名を叫ぶ。切断された中指が、くるくると空中で不自然に回転する。フロルの『龍剣』が持つ力によって、トリュウザの身体の一部が、乗り物の機械部品──1本の大ネジに造り替えられる。
「ぐうッ!」
少年と対峙して初めて、初老の剣士がうめき声をこぼす。大ネジは、右巻きの螺旋を描きながらトリュウザの左足の甲に突き刺さり、鉛色の巨蛭の背に縫いつける。
「トリュウザさま! 覚悟──ッ!!」
足場に固定された初老の剣士に向かって、フロルは駆けこんでいく。トリュウザは足元にこぼれる己の血を一瞥したあと、長尺の刀を握りなおし、脇構えの体勢をとる。
「花は桜木、人は武士。『魔女』めの言うところによれば……若人の『龍剣』の能力は、生物を技術<テック>の乗り物へと造り替えるものであったか? なるほど、『焦熱禍蛇<しょうねつかだ>』の熱波を乗り越えてきたのも……」
眼前に迫る命の危機をなんとも思っていない、あるいは涼風ていどに心地よい、といった声音で、初老の剣士はつぶやく。
「たあぁぁーッ!」
少年は、相手の心臓めがけて、踏みこみの勢いを乗せた鋭い突きを放つ。トリュウザは長尺の刀を無造作に振るい、フロルの一撃を払う。
「ぬんっ!」
「──ッ!?」
初老の剣士は返す刀で、少年の眉間へ向けて刺突を撃ちこむ。とっさにフロルは、まわりこむような動きで回避する。切っ先に触れた前髪が、飛び散る。トリュウザは、固定された足の傷が広がるのもいとわず、少年の正面を向き続ける。
「……剣さばきは、言わずもがな。半年足らずで龍剣解放の境地にいたり、さらには、その異能を使いこなす……見事、という一言で片づけるには、少々、もったいなく御座候」
優れた芸術作品をまえにして感極まったような言葉を聞き流し、相手を巧みに左右へ揺さぶりながら、フロルは剣撃を加えていく。
対する初老の剣士は、足を縫いつけられ、移動を封じられたハンディを感じさせぬ剣さばきで、若人の斬撃をことごとくはじいていく。
好機であることは、間違いない。それでも少しでも気を抜けば、トリュウザをしとめるどころか、反撃で命を落としかねない。最強の征騎士の底知れぬ剣技に、フロルはのどの奥まで乾く感覚を覚える。
「花は桜木、人は武士……某が『龍剣』、『焦熱禍蛇<しょうねつかだ>』を手にしたのは……たしか、5年ほどまえにて御座候。イクサヶ原ではろくな龍骨が手に入らぬ故、フォルティアなる次元世界<パラダイム>に出向き、真龍を狩った……」
(真龍……トリュウザさまの出身次元世界<パラダイム>であるイクサヶ原では、確かドラゴンのことを、そう呼ぶ……)
目にも止まらぬ速度で長尺の刀を操りながら、初老の剣士は孫に昔話でも聞かせるように、話しはじめる。バスタードソードを血のにじむ手で握りしめる少年は、いぶかしみ、眉根を寄せる。
「あの戦は、我が人生でも有数の快悦にて御座候。やはり真龍は、強い。現地の民が言うには、あの次元世界<パラダイム>においても有数の実力の持ち主だったらしいが……ともかく某は、首級をあげた龍の屍をイクサヶ原へ持ち帰り、刀鍛冶に『龍剣』を打たせた……」
「それが……」
激しい剣戟の音に混じって、フロルは思わず相づちを打つ。トリュウザは、刀さばきをゆるめることなく目を細め、小さくうなずく。
「左様。この『焦熱禍蛇<しょうねつかだ>』にて御座候。もっとも龍剣解放の境地に至るには、その後、1年ほどの鍛錬が必要だった……わかるか、若人? 其方は、某のわずか半分で、そこに至った……」
少年は、ごくり、と生唾を呑みこむ。激情の対象であり、いままさに命のやりとりをしている相手から、仔細に賞賛の言葉を投げかけられるのは実に奇妙な心持ちだった。
「花は桜木、人は武士。惜しい。あまりにも、惜しい……若人が、あと、5年、10年と研鑽と積めば、どれほどの境地へと至る? そのとき死合えば、果たして、いかほどの昂揚を味わうことができる? ただ、それだけが……某の無念にて御座候」
「だから……どうしたって言うんだよッ!」
フロルは、両腕に力をこめて、大きく踏みこむ。トリュウザの刃をはじき、首筋に肉薄する。序列1位の征騎士は、長尺の刀の柄頭で若人の剣を叩き、喉笛を狙った斬撃の軌跡をそらす。
「いまなら、まだ間に合う……ただ、それだけにて御座候。今一度問、おう。若人よ……帝国に、戻ってはこまいな?」
「いい歳して、未練がましいんだよ……! 僕はッ、いまのグラトニアにはッ、戻らないッ!!」
「左様にて……ならば、致し方なく御座候」
上背のある初老の剣士の死角へ潜りこむように腰を沈めながら、少年は肝臓を貫こうと刺突をかまえる。フロルの耳が、みしみしと巨蛭の背を踏みしめるトリュウザの足音を聞き止める。
「ぬぅん──ッ!」
「……ぎゃむ!?」
なにか長いものが、大きく振りあげられる。初老の剣士の刀ではない。方向が違う。同時に礫のようなものが飛来し、少年のこめかみをしたたかに打ちつける。
(なにが……起こったんだよ!?)
めまいを覚えるフロルは片目をつぶり、たたらを踏み、とっさに後退する。振りあげられたのが、固定したはずのトリュウザの左脚だと気づく。側頭部にぶつかったのは、足の甲に突き刺さっていた大ネジだ。
(無理矢理、足を引き抜いて……その勢いで、ネジを蹴り飛ばしてきたのか……ッ!)
「──ぬうんッ!」
初老の剣士の足裏が、相撲取りの四股踏みのごとく、巨蛭の背を叩きつける。その勢いを乗せて、断頭台の刃のごとき長尺の刀が振りおろされる。
「ぎゃむう!!」
少年は、反射的に後転して、どうにか刀の間合いの外へと逃れる。体勢が不完全だったおかげか、斬撃が『飛』ぶことはなかった。
(……危なかったッ!)
素早く立ちあがりつつ、フロルは胸をなでおろす。トリュウザの斬撃が『飛』んでくれば、後退に意味はない。緊急回避むなしく、身体は正中線にそって両断されていた。
少年のこめかみと、初老の剣士の足の甲からの出血は、乾いた熱風によって凝固し、すぐに止まる。ふたりは間合いを切った状態で、どちらからともなく刀剣を構えなおす。
息の詰まるような殺気のなか、1秒が永遠のようにも感じられる。まばたきも忘れて、フロルは剣先の延長線上にいる相手を凝視する。脇構えのトリュウザの左腕が、ぴくりと動く。
(来る……ッ!)
少年の脈拍が、加速する。いままでの斬り結びで見せた初老の剣士の技、あるいは未見なれど相手の取り得ると予測した動きが、無数に脳裏を去来する。
彼我の距離は、離れている。無条件に、斬撃を『飛』ばせられるわけではない。となれば長尺の刀の動きは、ある程度、制限される。
「ぬん──ッ!」
トリュウザの左腕が、振り抜かれる。フロルは、双眸を刮目する。なにかが、自分めがけて飛んでくる。刀では、ない。鞘だ。
初老の剣士は少年に向かって、腰に差していた鞘を、ブーメランのごとく投擲していた。
→【殴蹴】
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