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【第2部29章】至高の騎士、最強の刃 (9/16)【殴蹴】

【目次】

【投擲】

──ゴンッ!

 鈍い音が、頭蓋骨を伝わって耳に届く。投げ棍棒のごとく、回転しながら飛来した鞘は、フロルの前頭部をしたたかに打ちつける。少年の体勢が、崩れる。

(油断していたつもりは、ないんだけど……マントのときの、轍を踏んだッ!)

 臨死状況における鈍痛を打ち消そうと、脳の奥からアドレナリンが過剰分泌される。つられて鈍化する時間感覚のなかで、フロルは悔やむ。

 自分は発想が固いな、と少年は他人事のように思う。トリュウザは剣士なんだから、刀を振るって当然だと思いこんだ。そんなことは、あり得ない。

 マントといい、鞘といい、初老の剣士は、使えるものをなんでも使う。だからこそ、最強の征騎士なのだ。序列1位なのだ。

(学ぶんだよ……失敗から!!)

 フロルは、己を叱咤する。泥のように流れる時間のなかで、ゆっくりと体勢を立てなおしながら、前方を見やる。コマ送りのような動きで、トリュウザが突っこんでくる。

(……?)

 少年は、初老の剣士の踏みこみ幅に違和感を覚える。鞘投げの失敗がなければ、気づけなかった。脚の動きが、大股に過ぎる。

(トリュウザさまの刀のほうが、長い……当然、それを活かした間合いで戦って来るものと思っていたけど……鞘に続いて、僕の思いこみの裏を、かこうとしている……?)

 彼我の間合いが、フロルのバスタードソードの外かつ長尺の刀の内に入っても、トリュウザは腕を動かさない。少年が剣を振るうと、最小の動きで斬撃を払う。

 ようやく初老の剣士が足を止めたのは、ゼロレンジ……格闘戦の間合いまで、踏みこんでからだった。小さな動きで、トリュウザは柄尻を振るい、フロルの側頭部を狙う。

「──ぬんッ!」

「ぎゃむうッ!」

 ネジが衝突した傷口へ重ねるように、初老の剣士の殴打が叩きこまれる。脳髄を揺らされながらも、少年は奥歯をかみしめ、踏みとどまる。心の備えができていたおかげで、耐えられた。

 にらみ返すフロルを見下ろしながら、トリュウザは腰を落とす。今度は、肘打ちが放たれる。少年は、両腕をコンパクトにたたみ、ガード姿勢をとる。鈍い音と衝撃が、同時に響く。

「うぐ……」

 急所を守る身代わりとなった腕の重い痛みに、フロルは表情をゆがめる。初老の剣士は畳みかけるように、下半身を動かす。次は、腹部を狙った膝蹴りだ。

 少年は、スリッピングアウェーの要領で腰をまわし、衝撃を逃がす。それでも、ともすれば嘔吐しかねない衝撃が、胃袋を揺さぶる。逆流した胃酸の味が、咥内に広がる。

「花は桜木、人は武士……昂揚、随喜、感悦、恍惚にて御座候ッ!! 若人の成長を待てぬなら……ここで刈り取る! 徹底的に、搾り取るッ!!」

 気むずかしさすら感じさせた、平時の口数少ないトリュウザからは想像できない、狂乱したかのような哄笑が響きあう。フロルに対して、容赦のない殴る蹴るをくりかえす。

 対する少年は、うめきつつも必死に身を守る。しっかりと足場を踏みしめ、体勢を保ち続ける。暴風雨のように叩きつける打撃の間隙から、勝機を見いだそうとする。

「ははは! 体さばきにライゴウの面影が見えて御座候!! 稽古を付けてもらっていたか!? とまれ……真龍殺しのときと遜色なき、愉楽なりッ!!」

 フロルの全身に、鈍重な痛みを積みかさなっていく。トリュウザの言葉に、返事をする余裕もない。右手の剣を取り落としそうになりながら、どうにか握力を維持し続ける。

(なぜ……この人は、いま、格闘戦をしかけてくる? どうして、さっきは鞘を投げた? 僕の思いこみが、隙になって見えていたのかもしれないけど……それだけなのか!?)

 狂乱する初老の剣士の暴虐に、ダメージの蓄積を覚えながら、それでも少年は冷静さを失わず、思考し続ける。得意とするはずの刀を、なぜ、使わない?

(もしかして……僕の剣が、トリュウザさまに届きかけていたからか? 斬りあいの間合いを……避けている?)

 うぬぼれるな、と否定する自分自身の声が聞こえる。同時に、不思議な確信を覚える。針の穴のような、勝機への道が見える。

(だとすれば……どうにか、もう一度……剣の間合いに、持ちこむことができればッ!)

 少年は、打撃の嵐のなかに一瞬のすきを見いだし、距離をとるためにアクロバティックな側転を繰り出す。初老の剣士の双眸が、鋭く光る。

「若人! 小細工は、無用にて御座候ッ!!」

「ぎゃむッ!?」

 天地反転した状態のフロルの支点となる腕を、トリュウザは脚で払う。バランスを崩しながら、かろうじて少年は着地する。

「花は桜木、人は武士……雀躍する宴もたけなわ。名残惜しくはあるが、そろそろ死舞いの頃合いにて御座候!」

「ぐう……ッ!?」

 トリュウザの腕がフロルの首もとに伸び、節くれ立った指が鷲爪のごとく襟首をつかむ。少年の小柄な身体が、初老の剣士に担がれて、両足が宙に浮く。背負い投げだ。

 初老の剣士のたくましい肩越しに、赤熱する大地が見える。フロルの身体が、空中に放り投げられる。溶鉱炉のなかに落下し、自分の肉体が跡形なく消滅する様を幻視する。

「少年──ッ!!」

 上空で、戦乙女の姫騎士が急旋回する姿が見える。少年を、拾うつもりか。だが、間にあわない。フロルは、非常な現実を確信する。

「……ぬおー!!」

 それでも少年は、生存の可能性にしがみつく。足場から四肢が離れた状態で、必死に身をひねる。空中で猫のように回転すると、巨蛭の背の端ぎりぎりに、どうにかひざをついて着地する。

「いまのは、ジャックの動きか! まったく、よく見て学んでいる! だが、その身のこなしは……あやつのバネ、転移律<シフターズ・エフェクト>ありきにて御座候!!」

「くぅ……ッ!」

 フロルは、苦々しくうめく。トリュウザの言うとおりだ。いまのは、悪あがき。足場からの落下こそまぬがれたものの、完全に体勢を崩し、攻めるも守るもままならない。

「……ぎゃむッ!」

 初老の剣士が放った、眉間を狙う必殺の刺突を、少年は横へ倒れこんで回避する。だが今度こそ、ここまでだ。これ以上、次の動きへ続けることができない。

 トリュウザの膨張する殺気を背中越しに受け止めながら、フロルはまぶたを閉じて、悔しげに歯ぎしりした。

【突風】

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