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【第2部1章】戦乙女は、方舟に出会う (2/4)【藻屑】

【目次】

【漂着】

「バッド……このままだと海の藻屑だろ! ララ、この船にはなにか武器とかついてないのか!?」

 ナオミは操舵輪を殴りつけながら、悪態をつくように声をあげる。名前を呼ばれた少女はリーリスの胸のなかで、ふるふる、と青ざめた顔を左右に振る。

「搭載兵器を積みこむペイロードの余裕はなかったということね……そもそも『シルバーコア』は軍船じゃないし。ついでに言うと──」

 ゴシックロリータドレスのリーリスと狼見のシルヴィアが同時に顔をあげる、天井から、なにかがぱらぱらと落ちてくる。ますます、きしみ音は大きくなる。

「次元跳躍技術って、精密機器のかたまりみたいなものだから……船体自身の強度も、それほど高くないということね!!」

「シルヴィア!」

「ひょこっ!?」

 ララが説明を言い終えるまえに、リーリスはミリタリージャケットの獣人娘の名前を叫ぶ。狼耳が、ぴん、と真上に伸びる。

「あなたの武器! どれだけ残っているのだわ!?」

「……コンバットナイフと拳銃が一丁ずつだな。予備弾倉は、ない」

 ゴシックロリータドレスの女は、胸中で舌打ちする。狼耳の獣人娘は銃火器の扱いに長けているが、眼前の大物に対処できる装備ではない。

「グリン! それじゃあ、私がやるしかないのだわ……シルヴィアも一緒に来て! 私の護衛をお願いッ!!」

「ん、了解だな!」

 リーリスとシルヴィアは、跳ねるように立ちあがる。ララとナオミに見送られながら、二人連れだって操舵室をあとにする。

 リーリス──『淫魔』とも呼ばれる女は、その二つ名の通り精神に干渉する能力を持つ。知性の低い生物なら、簡単に支配下に置くことが可能だ。

 ただし『目を合わせる』という発動条件を満たすことができれば、だが。

(深海生物とかって、目が退化しちゃったりするのかしら……?)

 ぶんぶん、と紫がかった髪を振り乱し、リーリスは不安な思考を追い払う。船長席の少女は、大気に問題はない、と言っていた。機密扉のロックを外す。

200526パラダイムパラメータ‗インウィディア

「……寒ッ!!」

 マイナス51℃の冷気が、船内に流れこんでくる。目の前には吹雪が荒れ狂い、ところどころに流氷が浮かぶ極寒の海が広がっている。

 無力な次元跳躍艇は激しく揺れて。あたりに波しぶきをまき散らす。リーリスの白い肌に、液体窒素を思わせる極低温の飛沫が飛びかかる。

「冷たい……を通り越して、痛いのだわ! ことを済ます以前に、全身凍傷で死んじゃいそう!!」

「……手短に片づけて、船内に戻るしかないのだな」

 狼身のシルヴィアは、悪態をわめき散らすリーリスを抱きかかえる。獣人特有の高い身体能力を活かして、わずかな足場を頼りに船体上部へよじ登っていく。

 きしみ傾く次元跳躍艇には、大蛇を思わせる巨大生物が巻きついている。ぬめる鱗をこすりつけて、船を砕き、海中に引きずりこもうとしている。

 極地環境にも関わらず、ふだんと変わらぬ力強い敏捷性を発揮するシルヴィアは、リーリスの体重を意に介することもなくブリッジの上面に到達する。

「……だめだわ」

 シルヴィアの腕から離れたリーリスは、力なくつぶやく。太く長い身を船体に何重にも巻きつける大蛇状の生物は、しかし、頭部にあたる部位が見あたらない。

「カメラには、眼球が映っていたのだな。おそらく、いま頭は海のなかに潜っている……見える範囲まで、引きずり出すッ!」

 リーリスと対照的に、みじんも動揺した様子を見せず、拳銃を引き抜く。揺れる足場にひざ立ちとなり、両手でオートマチックピストルをかまえる。

──パンッ。

 発砲音が、氷海に響く。大蛇から見れば豆鉄砲ほどの口径の銃弾が命中し、硬い鱗にはじかれる。銃を手にした獣人娘は、眼を細める。

 激しく揺れる船上で、シルヴィアは連続してトリガーを引く。不安定きわまりない足場にも関わらず、正確無比な連続射撃で銃弾を同じ場所へ叩きこむ。

 リーリスは、なにか小さな破片が輝きを放ちつつ飛び散っていくのを見る。一枚だけだが、大蛇の鱗が砕けた。

 全弾を撃ち尽くしたオートマチックピストルを投げ捨て、シルヴィアはコンバットナイフをかまえる。

「うおぉああぁぁぁ──ッ!!」

 肉食獣の咆哮をあげて、シルヴィアは疾走する。膂力のかぎりをもって、手にした刃を大蛇の体表にわずかについた傷へと突き立てる。

 次の瞬間、巨大な海蛇は驚いたように身をくねらせて、小舟を解放する。リーリスは、激しく揺れる船上から氷海へ転がり落ちそうになり、どうにか耐える。

(アサイラは──)

 ほつれだらけのゴシックロリータドレスの女は、意識を失い、ブリッジのなかで横たわる男の顔を思い出す。

(──自分の命を削っている。待ってくれている。私は、あいつを助けたわけじゃあ、ない)

「リーリス! 来るのだなッ!!」

 吹雪の荒む風音に混じって、シルヴィアの声が聞こえる。リーリスは目を見開く。海面に浮かんだ黒い影が見る間に大きくなっていく。

 一度は海中に逃れた大蛇が、ふたたび、こちらを狙ってくる。チャンスだ。おそらく『目を合わせる』ための唯一の機会。

 リーリスは、氷海を凝視し続ける。水面に渦が巻き、間欠泉のごとき勢いで蛇体が飛び出てくる。

 ほぼ同時に、吹雪が勢いを増す。大波の砕けるがごとく、零下の海水がまき散らされる。水と氷が、『淫魔』の視界を阻害する。

「うぅ……ッ!?」

「……リーリスッ!!」

 四つん這いの獣の体勢で駆けてきたシルヴィアが、リーリスの身体を押し倒す。二人の頭上を、大きく開いた大海蛇の顎が通過していく。

「──外したのだわッ!!」

 紫がかった髪を振り乱しながら、『淫魔』と呼ばれる女は背後をあおぐ。大蛇の頭部はすでに海面に潜り、代わりにいま振りおろさんと天に伸びる太尾が見える。

 もはや打つ手はない。リーリスとシルヴィアは、死を覚悟する。刹那──

──ヒュオッ!

 鋭い風切り音が、吹雪を切り裂く。つられて顔をあげたリーリスの目が、天から一直線に落ちてくる流星のごとき輝きをとらえる。

 蒼碧の光は、大蛇の頭部を追いかけるように海面へ落ちる。大波が立ち、船体が激しく揺れて、海蛇の尾は『シルバーコア』と逆方向に倒れていった。

【翼人】

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