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【第2部1章】戦乙女は、方舟に出会う (1/4)【漂着】


【目次】

【第1部】

(ぬふふふ……我ながら、良い仕事をしたものだわ……)

 リーリス──『淫魔』と呼ばれる女は、意識をまどろみのなかにたゆたわせていた。心地よい疲労感が、羽毛布団のように全身を包む。

 緊張が弛緩した安堵感に快適さを覚える。まるで揺りかごのように、穏やかに身が揺れている。まぶたが重く、とても開く気にはならない。

(……私、なにをしていたんだっけ?)

 たるみきった思考力で、リーリスは自問する。泥のような倦怠感が、思索の邪魔をする。それほどに、いまの状態は居心地がよい。強いて言うならば──

(少し、寒くない……?)

 リーリスは、指先を動かそうとする。末端の感触がない。気温が低いというレベルではない。かじかんでいる。

(これって、もしかして……臨死体験? ヤバ──ッ!!)

 濃紫の髪の女は生命の危機を覚え、反射的に上半身を起こす。

「──い?」

 目を開けば、そこは薄暗い空間だった。窓のたぐいはなく、非常灯がわずかな光源となって、かろうじて周囲の様子をうかがえる。

 リーリスは、自身のトレードマーク (だと本人が思っている) ゴシックロリータドレスをはたきながら立ちあがる。自慢の衣装は、ところどころほつれてぼろぼろだ。

 濃紫の髪の女は、金属質の床のうえに倒れこんでいたらしい。寒い、を通りこして冷凍庫のなかのような鋭い空気が周囲に満ちている。

 リーリスは、混濁する記憶をたどる。確か──敵対するセフィロト社の本拠地に仲間とともに乗りこんで、見事、社長を討ち倒した。

 その後、崩壊する本社から必死で脱出を試み、ララという少女の手引きで次元跳躍艇に乗りこみ、そして……

「……はい、全員起床! いますぐ、まぶたを開けるのだわッ!!」

 リーリスは、大きく柏手を打ちながら、甲高い声を張りあげる。次元跳躍艇『シルバーコア』の操舵室に、黄色い声音が反響する。

 サイズのあわない船長席に身を沈めていた小柄な少女が、目を開く。操舵輪にもたれかかっていた赤毛の女ライダーが、身をよじる。コンソールパネルに突っ伏していた狼耳の獣人が、頭を上げて左右に振る。

「シルヴィア、ナオミ、ララ……全員いる!? えっと、リンカは……」

「リーリス、リンカは……」

 同乗者全員の点呼をとるゴシックロリータドレスの女に対して、ミリタリージャケットの獣人娘が口を挟む。

「……ああ、ごめんなさい。そうだったのだわ」

 リンカという名の灼眼の女鍛冶は、本来であればともに脱出するはずだったが、船の出航のさいに犠牲となった。生死不明、ではあるが……

 いまにも泣き出しそうな顔のシルヴィアに対して、リーリスはわすかのあいだ目を閉じて、無事を祈る。

「バッド……そもそも、ここはどこだ? 寒すぎだろ」

 赤毛のバイクライダー、ナオミは操舵輪に体重をかけつつ、両腕をさする。体感ではあるが、どんどん室温が下がっている。

「同感なのだわ、ナオミちゃん……ララちゃん! 毛布とか積んでない?」

 リーリスの問いかけに、名前を呼ばれた水色のワンピースの少女は力なく首を振る。ララもまた、鳥肌をたてている。

「ごめんなさい。ないってことね。水も、食料も……こんな急に処女航海することになるなんて、思ってもいなかったから……」

 ちょこん、と船長席のうえに座る少女は申し訳なさそうに顔をうつむける。ゴシックロリータドレスの女は、強がるような笑みを浮かべる。

「責めているわけじゃないのだわ。あの状態じゃあ、仕方ないもの……ただ、この寒さはやっかいだわ。このままじゃ、最悪、全員が凍死しかねない」

「必要なものは、現地調達するしかないということだな。あるいは、もう少し安定した環境の次元世界<パラダイム>に再転移するか……」

 狼耳のシルヴィアが、沈着冷静な様子で意見を述べる。リーリスは眉間にしわを寄せつつ、指を当てる。

「再転移たって、そんな気軽にできるわけじゃないだろうし……って、そうだわ! アサイラは!?」

 リーリスは、もう一人の同乗者の名前を叫ぶと、慌てて操舵室を飛び出していく。獣人娘が、そのあとに続く。

 しばしののち、一人の青年が二人の女に両肩を支えられてブリッジに引きずられてくる。ぐったりと脱力しており、意識はない。

 シルヴィアは、ミリタリージャケットを脱ぐと金属質の床に広げる。リーリスは、そのうえにアサイラの身を横たえる。呼吸と脈はある。

 意識不明の黒髪の青年は、次元跳躍艇の機関室に直結され、船にエネルギーを供給を担っていた。

 セフィロト本社において『社長』との戦いで前面にたっていたのも彼であり、この場にいる面々のなかではおそらく消耗がもっとも酷い。

「問題は山積だわ……」

「バッド。そもそも、いまウチらがどこにいるのか、ってことが重要だろ? 再転移するかはともかく、安全な場所に移動せにゃ……」

「グリン。データベースのなかでは、居住可能環境にカテゴライズされていた次元世界<パラダイム>のアドレスだったのだわ」

「サブ電源から、センサー類の再起動を試してみるってことね。もしかしたら、転移中に虚無空間で擱座したのかもしれないし……」

 アサイラの顔をのぞくリーリスと操舵手のナオミが言葉を交わすなか、船長席のララは震える指で手元のキーボードを叩きはじめる。

 すぐにモニターが再点灯し、ブリッジも照明を取り戻す。窓の代わりに壁面を埋め尽くす液晶画面に、無数の数値と文字列が流れていく。

「たたっよたったたた……えーっと、システム系のダメージはほぼなし。大気組成は標準、こちらも問題なしってことね。外気温……マイナス51℃」

「グリン……寒いわけだわ」

 リーリスは肩をすくめつつ、ブリッジの天井を仰ぐ。吐き出す呼気が白くくもる。凍死による全滅が現実味を帯びてきた。早急に手を打たねばならない。

「ララちゃん、外の様子は見られないのだわ?」

「ちょっと待ってってことね。外部カメラの再起動に手間取ってて……」

──ガコオンッ!

 突然、船体が下から突き上げられるように揺れる。リーリスはうつ伏せに転倒し、ナオミは操舵輪にしがみつく。

「ララ! 側面カメラだけなら、動かせそうなのだな!!」

「モニターに映像を回してってことね! シルヴィア!!」

 一瞬のノイズののち、前方のモニターの表示が切り替わる。画面いっぱいに映し出されたのは、カメラをのぞきこむ巨大な瞳。

「グリン……なんなのだわ、これ」

 床に突っ伏した状態で、顔だけあげたリーリスが呆然とつぶやく。再度、ブリッジが大きく揺れて、今度は船全体からきしむような音が響いてくる。

「たぶん、この次元世界<パラダイム>の現住生物ということね。この船のことを、エサと勘違いして……わあっ!?」

 船体が大きく傾き、船長席からララが転がり落ちる。リーリスは、慌てて少女をキャッチした。

【藻屑】

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