さと

ここには私という人間を等身大で置いておきます。多分ちょっとカッコつけちゃうけど。

さと

ここには私という人間を等身大で置いておきます。多分ちょっとカッコつけちゃうけど。

最近の記事

マザーテレサになりたかった

マザーテレサになりたかった。 恐れと孤独のなかで死にゆく人、死んでいった人たちの手を握り、肩を懐き、愛してると抱き締めたかった。 ブチャでマリウポリで、横たわる一人ひとりに、声を上げて泣きながら、花を手向けたい。その躰を抱きしめたい。

    • 祈りすら

      お腹の上の方がずーんと沈み込んで、胸の背中側が平たく冷たくなって、息をはくとき肋骨の最後の辺りでつっかえて、手足は冷え、瞼が腫れぼったく重くなる。 自分にはどうしようもないけれど、果てしない悲しみが訪れたときの感覚。 どれだけのひとつの命が失われ、どれだけの尊厳が踏み躙られ、どれだけの故郷が失われ、どれだけの子供が親を失い、どれだけの自然と文化が歴史を絶たれ、どれだけの希望が消えるのだろう。 これ以上に守るべきものが何なのか、私には分からない。祈りすら浮かばない。

      • 大切な名無したち

        松濤の戸栗美術館へ。古伊万里幻獣大全展。 魔除け、長寿、立身出世、吉兆、権威の象徴......幻獣たちはいろいろな意味を背負っていたけれど、当時の人間はあまりに他人任せだなと思った。外的要因がすべて。 でもそれが元来の感じ方なのだろう。 動いているのは天だし、赤色は赤色。 動いているのは地の方だとか、見る側の感じ方次第だなんてそんな理論、ずっとずっと時間が経ってやっと受け入れられたもの。 そして主役である展示物が、誰作の美術品ではなく、現代では名無しになってしまった職人た

        • 旅立つ前日

          グリーンスリーブスを聞いてドクターを待つ ただの生命になった同居人 あばら骨がゆっくりと開いては閉じる様を眺めていた 幼い私の肩まで飛び上がる彼 来客に向かって吠え続ける彼 食べ物を狙って食卓をうろつく卑しい彼 小さなおもちゃを追いかける彼 雪玉をコロコロとつけた毛先 階段を降りていくヒョコヒョコ動くお尻 祖母のリウマチを舐める温かい舌 部屋で粗相をする申し訳なさそうな瞳 無人の家の独房のようなケージで丸く眠る姿 発作で激しく打つ鼓動 必死に立ち上が

        マザーテレサになりたかった

          万感の四ヶ月

          生かすのは簡単 偽善者の魂胆 殺す日は相談 手口は万端 巧妙に淡々 心は閑散 原因は怠慢 希望は満タン 本当は暗澹 非情者の対バン 内容は散々 早々に解散 残るのは鉛丹

          万感の四ヶ月

          "Life is changing tides"

          河川敷のベンチに座って、川を眺めていた。 最近雨も降っていないし、風もなくて、穏やかな川。 カモが二羽浮かんでいた。 たまに、くるりと前転するように水面へ潜る。 一羽がそうするともう一羽も同じように。 右から左へと、私の視界を流れていく。 彼らは泳いでいなかった。 逆らうことも、慌てることもなく、ただ流れに身を任せていた。 流されたり、漂ったり。罪悪感を覚えることもある。 でもあのカモたちは、あんなに悠々と伸び伸びと生きている。 Ed Sheeranのアル

          "Life is changing tides"

          いちょう並木と潰れたぎんなんの話

          小学校から大学までずっと、通学路にいちょう並木があった。 だから毎年この時期は、ぎんなんを拾う近所のおばさまを尻目に、登下校を繰り返した。 ぎんなんの実を踏まないように、踏まないように。 潰しでもしたら、家までずっとぎんなんの匂いを付けて帰ることになる。 ぎんなんは臭いと言うけれど、そんなこんなで16年間いちょう並木を往復し続けた私からすると、潰れたぎんなんの匂いは秋の香り。 金木犀よりもずっと秋を感じさせる。 赤や茶やオレンジに色づき始めた山々を見て、ここにはい

          いちょう並木と潰れたぎんなんの話

          満員電車

          息を吸う。生きようという決断。 まっすぐ過ぎるとポッキリ折れるから。 ゆらゆらゆらゆら、あっちに流されこっちにもたれ。 でも足だけは踏ん張って。 誰も傷つけないように、居場所を守れるように、 負けないように。 自分だけは失わないように。 ため息を隠そうと大きく息を吸ってみる。 がんばって生きてみる。

          満員電車

          旅行記 2019年ニース

          ジェノヴァまでのつもりだった。それはイタリアに行きたかったからというだけの理由で。でもその感覚は正解だったと知る。イタリアで見えるものも聞こえる音も、フランスで得るものとはまるで違う。当然だけど。 まさかイタリアで雪が見られるなんて。もう正午すぎだというのに足跡ひとつない雪景色。東北の銀世界よりもあたたかくてやわらかい。 ヨーロッパはひこうき雲が多い。気温とか湿度とか緯度とか気圧とか、そんなようなものの都合で、残りやすいのかもしれない。交差するひこうき雲は縦横無尽に空に広

          旅行記 2019年ニース

          足音

          どういう訳か、雨音がひどく近くから聞こえて、人の気配にすら感じる。 雨音は足音だ。 もうこの世にはいない生物だったものたちの終わらない足音。 でも雨はいつか止む。 死者たちのパレードなんて無かったかのように、 生きてるかのようにお日様の下を歩く私たちは、 雨を疎んだり待ち望んだりしながら足音を立て続ける。

          彼岸花

          東京の彼岸花が好きだ。 街路樹のわきに突如として現れる、 東京の彼岸花が好きだ。 群れるでもなく、独り芝居をするでもなく、 ただそこで、生きているだけ。 葉はつけず、決して太くはない茎一本で すっくと佇んでいる。 線香花火のクライマックスを映すのに、 最期はどす黒く色褪せて、醜く、生にしがみついて、萎れていく。 花弁を散らすこともせず。

          彼岸花