大切な名無したち

松濤の戸栗美術館へ。古伊万里幻獣大全展。

魔除け、長寿、立身出世、吉兆、権威の象徴......幻獣たちはいろいろな意味を背負っていたけれど、当時の人間はあまりに他人任せだなと思った。外的要因がすべて。
でもそれが元来の感じ方なのだろう。
動いているのは天だし、赤色は赤色。
動いているのは地の方だとか、見る側の感じ方次第だなんてそんな理論、ずっとずっと時間が経ってやっと受け入れられたもの。

そして主役である展示物が、誰作の美術品ではなく、現代では名無しになってしまった職人たちが作った生活用品、嗜好品だったということが、今の私には沁み渡った。
それが3、400年の時を経て、大切に丁重に磨かれ、スポットライトを浴び、ガラスケースに護られ、人々の熱のこもった視線を一身に受けているというその事実が、とても愛おしい。
優しくて有難くて、涙が出る。それでいいんだと許されたような気持ちになった。

あっと驚くものはない、予約チケットも必要ない、人気俳優の音声ガイドも無ければ、駅から表示が出ている訳でもない。
愛だけから産まれた、静かで余裕のある街の美術館。

建物を後にしたとき、興奮や溢れ出す想いや爽快感はない。でも、満たされていた。
心の根底にうっすらと広がってざわざわと心を揺すっていた焦燥感や不安は宥められ、心が凪いだ。
美術館や陶器たちではなく、幻獣たちのお陰かもしれない。威厳と愛嬌に満ちた彼らたちの。

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