日本人向け:広東番禺宝墨園
宝墨園の前身「包相府」は、清朝「嘉慶」(1796〜1820)時代、北宋の名臣「包拯」(999〜1062)をまつるために建ちました。嘉慶4年、親政を目指す嘉慶帝は、収賄によって巨万の富を得ていた軍機大臣「和珅」(わしん)を自殺へと追い込みました。包相府の建立には、「反腐敗」を願う民の思いが込められています。
「包拯」
文化大革命により失われたが、1995年に再建され、園の面積も300平方メートルから10万平方メートルにまで広げられました。清朝宮廷文化、嶺南の伝統建築や庭園文化