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小説|2年後の青空

 東日本大震災からちょうど10年が過ぎた日、ふと思い出した小さな記憶。
 この数日間、なんとなく心にとどめていたけれど、その存在感は少しずつ大きくなり、ついに抱えきれないほど、切なくなってしまった。
 だから、その記憶を、私なりの物語に編み直してみる。

◇◆◇

 私が暮らす福島県いわき市には、サンシャインマラソンという、2月に開催される一般ランナーの大会がある。
 ここ3年、滅多に降らない雪が降ったり、コロナ禍が起きたせいで、中止が続いているけれど、1万人規模の大きなマラソン大会だ。
 手前味噌ながら、なかなか人気があるらしい。

 白髪だけれど若々しい、そのおじいちゃんに会ったのは、あの震災からまもなく2年、という時期のマラソン大会。よく晴れた、2月にしてはとても暖かい、日曜日の朝のことだ。
 おじいちゃんと私は、スタート地点の陸上競技場で、一緒にスポーツボランティアをすることになった。
 フルマラソンに参加するランナーの手荷物を預かって、頭文字で決められたカートに入れるという、忙しい時間はてんてこ舞いだけれど、暇な時間はとことん手が空く仕事。
 笑みを浮かべた、やさしい表情のおじいちゃんは、シルバー人材センターからの依頼で来たと自己紹介すると、ちょうど娘くらいの年齢の私に、いろいろ話しかけてくれた。

 陸上競技場がある一帯には、野球場などのスポーツ施設が集まっていて、総合体育館も併設されている。
 東日本大震災の直後、東北と北関東を襲った大津波は、私が暮らす街からも、たくさんの命を奪っていった。
 その大惨事の際、亡くなった方々のご遺体を、一時的に保管する安置所になったのが、総合体育館だ。
 陸上競技場の手荷物預かり所からは、その悲しい建物の屋根が見えていた。

 ランナーたちが続々と手荷物を預け終えて、出走を待つ陸上競技場は、降り注ぐ陽光も手伝って、きらきらした雰囲気に包まれていた。
 荷物を預けに来るランナーの中には、ずっと会っていなかった同級生や、仮装したディズニーキャラクター、なまはげなどがいて、仕事をしていても楽しかった。
 その合間に手が空くと、おじいちゃんと私は、あの子は優等生だったとか、なまはげはゴールまで包丁を持って走るのか、などと、いろいろなお喋りに花を咲かせた。

 定刻が近づき、ランナーたちが集められると、そろそろ私たちの仕事は終わりだ。出走してしまえば、手荷物預かり所のボランティアはもう、お弁当と記念品をもらって、帰るだけになる。
「震災の時は、誰か亡くなったり、家が壊れたりはしなかったのかい?」
 おじいちゃんがその話を始めたのは、ランナーたちがスタート地点に納まり、いつ号砲が鳴ってもおかしくない、そんな時間だった。
「私の家は、そこまで海に近くないから、津波の被害はなかったし、誰も亡くならなかったんです」
「そうか、それは良かったな」
 おじいちゃんはにっこりと笑い・・・そして。
 次の、瞬間。
 その笑みが、消えた。
「うちは、流されちまったんだ」
 そう語るおじいちゃんの瞳が、すうっと遠くなる。

 その視線を、たどると。
 おじいちゃんは、総合体育館の屋根を見ていた。

「・・・おじいちゃん」
「俺の家と、うちの母ちゃんは、流されちまったんだ」
 母ちゃんという言葉が、母親ではなく、奥さんをさしていることは、すぐにわかった。
「家は、どこかに行っちまったよ。でも、母ちゃんは、5日後に見つけてもらえた。俺は、母ちゃんに」
 声が、少しだけ詰まる。けれど、泣き出したりはせず、おじいちゃんは悲しい建物を見つめたまま、静かに呟いた。

 俺は、母ちゃんに、あの体育館で、やっと会えたんだよ。

 ぱあん!
 不意に、出走を告げる号砲が、よく晴れた青空に鳴り響いた。
 1万人のランナーが、その音に呼応して、一斉に走り出す。彼等の足音は、まるで鼓動のように、陸上競技場のトラックを低く揺らし始めた。
「すごいな、こんなにたくさんの人が、いっぺんに走り出すなんて。なんだか、生きてるって感じがして、感動するよなあ」
 そう言ったおじいちゃんの顔には、すでにもう、やさしい笑みが戻っている。そして、穏やかな瞳で私を見ると、きゅっとその笑みを深くした。
「なんだよ、そんな、泣きそうな顔をするなよ」
 だって、おじいちゃん、だって。
「俺が、あんな話をしちまったからだな。ごめんな」
 どうして謝るの、何も悪くないのに。
 そんなふうに優しく言われたら、私、泣くのを我慢できなくなっちゃうよ。
 ランナーたちの刻む鼓動が、トラックを一周してから、太平洋に設けられたゴールを目指して、陸上競技場を離れていく。おじいちゃんはそれを見送ると、もう一度、悲しい建物に視線を遣ってから、私の顔を見た。

「大丈夫だよ、今の俺は幸せなんだ。昨年の秋、新しい家ができたし、息子も娘夫婦も、歩いてすぐのところに住んでる。淋しくなんかないんだよ」
「そう、なんですか?」
「そうだよ。特に娘はね、2日に1度はおかずを作って、届けながら顔を出してくれる。息子夫婦も孫を連れて、しょっちゅう遊びに来てくれるんだから」
 目尻の下がった笑顔が、強がりではなく、本当のことなのだと伝えていた。それならいい、それなら救われる。
「母ちゃんがいなくなったのは、今でも悲しいけど、泣いてばかりいたら、いつまでも母ちゃんが成仏できないからな」
 その言葉に、私も総合体育館の屋根を見た。あの屋根の下で、どれほどの悲しみが渦を巻き、どれだけの涙が流れたのだろう。
 この気持ちを表わす言葉が見つからず、私は無意識に、自分自身を抱きしめていた。
「俺はひとりぼっちにならなかったから、まだいいんだよ。近所の人たちは、家族全員が亡くなったり、独りだけ残っちまったり・・・そんな悲劇が、海沿いにはごろごろしてるんだ。あの震災の後、ずっとね」

 ボランティアの皆様、お疲れ様でした。これで、手荷物預かり所の方は終了になります。拡声器を持った大会スタッフが、そう言いながら歩き始め、ボランティアの解散を伝えてきた。あちらに記念品とお弁当を用意しましたので、受け取ってからご帰宅ください。
「何だか、あっという間に終わっちまったな」
 おじいちゃんの言うとおり、マラソン大会のスポーツボランティアは、終わってしまうと、何だかとてもあっけない。大会の一部分しか担当しないせいだろうか。
「いろいろ話せて、楽しかったよ。悲しい話もしちまったけど、でも楽しかった。ありがとな」
「私もです。こちらこそ、ありがとうございました」
 私たちの周りが、がやがやと騒がしくなる。同じ仕事を担当した人たちが、それぞれに別れのあいさつを交わして、帰宅しようとし始めたからだ。
「さて、俺も帰るかな。この後、息子夫婦が、孫を連れて家に来るって言ってるんだ」
 おじいちゃんは、そう言いながら両手を上げ、ひとつ伸びをすると、もう一度私も見てから、温かく笑った。

〈 了〉

※この物語は小説ですが、実話をもとに構成しています。

◇◆◇

先日の3月11日、東日本大震災から10年が経ちました。

その日、テレビも新聞も異口同音に伝えた、いろいろな悲劇。
でも、実際の被災地は、報道が伝えるより元気に、着実に毎日の生活を刻んでいます。

私の街、いわきについて、以前書いた記事。
今回の物語の舞台です。

現在の福島の元気な表情。
いろいろありますが、その中のひとつ、サッカーについて書いたものです。

四季折々の風景が美しく、食べ物が美味しい福島。
本当に、素敵な場所ですよ。





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