脳神経外科医に必要なのは経験以前にプレゼンテーション力だった
バスケの夢を追ってアメリカに行ったけれど、挫折した。
医師免許は取ったけれど、医者の世界に嫌気がさした。
でも、年収1億円の心臓外科医の大先輩の雑誌記事を読んで、医者の世界に戻ることにした。
そう決めてすぐに初期研修先を機動力と運と出会いで見つけることができ、尊敬できる指導医のもと、初期研修2年間を終了することができました。
初期研修の時の話はこちら。
実力主義の診療科で勝負したいとの想い、そして母の病気の経験もあり、後期研修は脳神経外科へ進むことを決意。
意気揚々と向かった後期研修先の病院では、叱られっぱなしの日々でした。さらに、脳神経外科医として避けては通れない大きな課題にぶつかることになったのです。
今回は、脳神経外科の専攻医としてすごした3年間の研修の話を書きたいと思います。
外科医がプレゼンテーションでいきなり挫折
初期研修の2年が終わったら、次の後期研修3年間は専門を決めて「専攻医」として病院で経験を積みます。後期研修先は、脳神経外科で高い実績をもつ東京・八王子市にある北原国際病院でした。
初期研修のときのように、どんどん手術に入らせてもらってどんなに細かいことでも自分のモノにするぞと意気込んでいたものの、まずクリアしなければいけないことがありました。
「プレゼンテーション」です。
朝は必ず脳神経外科の医師はじめ、あらゆるスタッフが集まり、担当の患者さんについて、状態や今後の治療方針、手術の内容について共有するプレゼンテーションを行います。医師1人につき5〜10人ほど。もちろん私も自分の担当の患者さんについてプレゼンテーションをしなければなりません。
「態度がなってない!」
「他の人が聞いても同じように本当に伝わるか?」
「どこに梗塞があるか、目をつぶっていてもわかるような説明の仕方をしろ!」
とにかく叱られっぱなし、ダメ出しの嵐だったのです。平日も週末も年末年始もゴールデンウィークも、文字通り毎日毎日、指導医の先生に怒られ続けました。
脳神経外科の手術をするにあたっては、まずは患者さんの病歴を確認したうえで、神経所見をとり、必要な検査を組む。そして、画像を読み、検査結果を解釈し、どんな疾患が考えられるか診断をしぼっていく。この診断ができて初めて、やっと手術のことを考える段階に至ります。そのうえで、3次元で何がどうなっているから、こうアプローチする…といったことを、解剖学的な知識と、戦略をあわせて論理的に構築し、説明できなければなりません。
手術で手先をどう動かすか、動かせるかという手技における器用さも大切ですが、さまざまな手がかりをもとに論理的に考え、まずは診断できなければ何も始まらないのです。さらにそれを説明できなければ、手術を担当させてもらうことはできません。
体力と行動力には自信がありました。しかし、論理立てて考えて診断する、さらにそれをわかりやすく人に伝えることは、僕のいちばんの苦手分野でした。病院のスタッフのそろうカンファレンスでのプレゼンテーションで、いきなりそこを求められ、大きな壁にぶつかることになったのです。
教科書を持ち歩き、記録をつけ続け、怒られ続ける日々
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