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会社のモヤモヤを哲学対話してみよう会    ① 当事者意識って何?

参加者投票の結果・・・「当事者意識」がテーマに!

第一回開催に際し、みなさんに意見を聞いたらバラバラ・・・
でも意見に投票しあったら「当事者意識」というテーマに一番得票が集まりました!。
リクルートに居た私にとっては、日々当たり前に交わされていたこの言葉。でもちゃんと話したことはあまりなかったような…。
会社も、仕事も、経験の違うみなさんと対話してみたら、いろんな視点が見えてきたので、ぜひぜひお読みください。
7人を2チームに分けて話したのでまず、それぞれの部屋の対話から…

(A部屋)当事者意識って誰から出てきた言葉? 怪しい・・・

そもそもの問題意識は・・・)
・まず字にかくかく感が、あるよね(カタい)
・話し言葉ではない感じ
・持っている人がいない人を攻撃するのに使う?
・イライラをぶつけるコトバじゃない?
・主体性とは何が違う?
・責任感持てと言っている?
・当事者意識って、どこで誰が言い始めた言葉なんだろう?

自分にとっての当事者意識体験は)
 ● 子供の進学の時に夫を見てて、父親としての意識が低かったね、ボーっとしてたので関わるチャンス逃したね…と感じた
⇒ 自分としての意識を内省する時に、使える面もある。逆に、人から評価されるのは難しい

● 魅力的なパーパスや給与の高さで、高まるかも?
でも自分も、子どもの保育園で保護者の取り組みがいろいろあるとき、同じ保育園だがお兄ちゃんの時と弟の時で自分自身の積極性に差がある現状。なんでだろう・・
⇒ システムへの影響有無か。自分が入っても入らなくても変わらないと思えば手放す。お兄ちゃんの時は自分が役割を取りに行かないと進まない雰囲気があり、当事者意識を高めてやっていたのかも
 
● システムに対して、自分の影響が大きくない場合でも、当事者意識高く取り組める時もあった
→システムへの影響力の有無に限らず、仲間意識で当事者意識が高まることもあった気がする
 
● 例えば、地球の環境問題。ゴミの分別への意識が高い人と、そうでない人の当事者意識の差はなにか・・・
→地球の未来をリンクできていれば当事者意識が芽生える?会社の場合、現場にとって会社の状況を自分とリンクさせて捉えるか、否かも同じことかも
 
● 当事者意識は“意識”だから見えない・・・見える言動から当事者意識がある/ない、高い/低いを判断してるところもありそう
→ 言動が見られないと、当事者意識がない!、と、イラッとしてしまっていたかも
 
経験を振り返ると、巻き込まれての当事者意識と、自身が中心になっての当事者意識がある気がする
⇒ 巻き込む側から意識の問題だ!と言われると、根性論っぽい
  マネジメントの都合で使うのは要注意かも・・・

<B部屋> なぜ勝手に自分から生まれることがある? 育て方のポイントは?

問題意識)
・大事なんだけど、押し付けじゃいけない。なぜ生まれるのか?
・自分でも意識があったり、なかったりは自然に起こるよね、その差は?
・当事者意識は当然持つものだと思ってきたし、当たり前に自分に課しているもの。だから、無い人がいるとすごくストレスを感じる

自分の体験から考えると)
 ● 当事者意識と言って思い出すのは、新規事業立ち上げの頃。会社の目指すことと自分の目指すことが90%以上リンクしてた。例えば残業でフラフラになって帰る時も、電車でこのバッヂをつけて寝ている姿を人に見せたくない!とまで感じたりしていた。
⇒  目指すところへの共感に加え、組織への帰属意識が自発的に湧いてくるから生まれたのかも
 
● 私は、自分の業務の枠外のことについて、違和感を感じ意見を言った時に、それを認められて、権限ももらえて、任された時にめっちゃ出た。
 入社3年目が、「もっと顧客を知ろう!」と青臭く叫んでただけなんだけど、そこを認めて、やらせてくれる人がいた。
⇒  与えられた仕事に持たされるものではなく、枠を超えてまで何かをする時に出るものなのかも
 
● マンションの理事会でまとめてきたことに、いろいろ文句や思いつきを言ってくる人を見て「当事者意識ないなー」感じてしまう。
→ 例えば「相見積もりを取れば?」という意見そのものは悪いことじゃ無いのに、そこにイラッと来てしまうのは、なぜ?
⇒ 言ってることを当人自身が引き受けたり、協力する気がないから。同じテーブルについているか、外から言っているかで、全く意見の意味が変わって来る。これも当事者意識の話かも。
 
● でも、そうした意識を持つことを主体性だけのせいにはできなさそう。子供が選挙に真剣に関わりたいと全候補者の資料を読んだ時、「自分たちに関わりのあることを話している人が誰もいない」と途方に暮れていた。
⇒ 相互の関わりがない中では、やる気があっても当事者意識は生まれない。だけど、一方的に求められてる…なんてことも起こってそう

● やるべきを強いるのではなく、「通常の枠を超えての当事者意識」を育むのはすばらしい。でもそれが育つためには、権限委譲や情報など、水も土もちゃんと与える度量が必要そう・・・ 

「当事者意識」の裏から見えてきたこと

 ・当事者意識という言葉は、それを持たせたい側から生まれてきた言葉の感じがする。概念的だし、カクカクしている
 
・本来は仕事のデザインで、権限とタスクのバランスがとられていれば、ことさらに求めるものでは無いはず。そこを曖昧にして、巻き込んで行こうというところに、日本の会社は立ちがち。精神論的に迫るのはちょっとイけてない。
 
・ただストレッチを促したり、よりパフォーマンスを発揮させたりする時のキーワードとして、健全に意識する方法はあるかも 

・本来の業務を超えての当事者意識に権限を付与したり、当事者感を持てるような情報や接点を意識して作っているかもすごく重要(それもデザインの一つ)

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というように、いろんな考え方の交換ができました。あなた自身の腹落ちポイントはどの辺でしょうか?
たった1時間だから、もう少し話したかったけど、逆にここで終わったか
らこそ、そのあと自分でも深まった気もします。ご参加の皆さん、本当にありがとうございました。このNOTEは備忘録として残しておきますねー。
そしてたまたま見て興味を持った方は、ぜひ哲学対話してみよう会にご参加を!今後もモヤモヤを自分の言葉にするための場をつくっていきますねー
  

 
 




組織や年代を超え、率直にモヤモヤを話し合える場を広げていきたいと考えております。賛同いただける方、ぜひつながって、いろんな実験からはじめていきませんか?