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大坂夏御陣大光君軍功之私記③

大坂落城前後の興元についてです。
単身落城した大坂城に潜入したり家臣に出迎えられたり。飢渇してるとか言いつつ首二つとってるパワフルさ。

①と②はこちらから▽


 七日夜、陣小屋定し大光君は、出羽守と参会、出羽守働、尤も勇壮なり、其の証人となるべし言上あらむとあるに出羽守答て曰、左はかりの働にあらず御尋ねあらば言上せん、此の方より言上致すべきにもあらずと、大光君曰、将の言誠にしかりたれど、角今そ覚悟なす事也と余談あって別れ去りぬ

 当家の諸士、大光君の久しく小屋に帰り給はざるを怪しみ相備の小屋尋ね見るに行方を知らず皆大に驚く、勇将の常、密に敵に逢んと独行ありしやいずことも知らずべからずと談ずるに三宅甚七郎一人笑て曰我殿の行所、某既に察せり、城中へ入給ふ事違なし、出陣前常に宣ふは、大坂落城に及はば城中へ乗入りて城中の様子見まほしく思ふなりと、今日已に落城に及ぶ、極めて城入ありしならん、其の先途そ見届んと、一騎馳行く門前(何れの虎口とは具事知らず)に至り敵味方往来の間に自若てそ待居たり、目を配って見るに城中より出る騎馬六度に及ぶ皆なり、甚七郎猶、不屈して待、七番目に一騎鑓を掻込み首二つ携て勢に乗り手乗出したり、是則大光君也、甚七郎悦て、三宅甚七郎御迎に待受たりと云、大光君大に驚き感じ給ひ、汝大膳よくも待受たり、我甚だ飢渇して堪えがたしとあり、甚七郎早速側の雑水を両手に給て奉る、大光君、是を一吸いして勇気あって気の利たる働き感じ給ふ也、此首汝にとらする、鑓下の高名にせよと二つの首を給り、知行二百石宛行とありければ、甚七郎拝謝して是より御馬に差添て陣屋へぞ帰りけり

 甚七郎生年十六才、容貌醜悪形容短小也、大光君未物の用にも立つべしとも覚えず、出陣の時、千代丸君(興昌・興元嫡男)に属して留守陣の命あり、甚七郎、請をなして出陣の日、押て下部に具足箕を背負せ、昼夜を馳て相州小田原に着して、大光君の行道を待、道路に蹲居す、大光君これを見て呼汝、何故あってここに来れると尋ね給ふ、甚七郎謹て、主人戦場に立を見て何の心あって御館に残らんや、御下知に背きたる罪とならば此所にて御成敗を希ふと云、大光君笑て是非無き奴かな、よしよし供せよ、とあって意に御供に俱せられたり、此時甚七郎轡銀十枚三人扶持の無足也

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