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土曜ドラマ『わげもん〜長崎通訳異聞〜』最終回「光さす海」

 黒船来航前夜、嘉永2年(1849年)。伊嶋壮多は、オランダ通辞であった父を探しに長崎にやって来たものの、父は亡くなっていたことを知る。しかも忠弥殺人犯と誤認され入牢することに。そこへ神頭が助けに来た。
 そのころ、長崎沖には謎の船が浮かんでいる。その船室の壁には外国語がびっちりと書かれてあった。

知性と語学力を活かすことはヒロインも同じ

 時代ものとミステリを組み合わせているところが新しいこのドラマ。ちょっと尺が短いことが残念に思えてしまうようで、これ以上引き伸ばすのも難しいと思えることは確か。
 未解決であった忠弥の殺人犯捜査から、これまた伏線が張られていた密貿易のことが明かされます。忠弥はこれ以上密貿易を続けたくなく、その口封じでオランダ人・ヤンセンによって殺されていたとわかるのです。
 ここで重要証言をするのが、とりです。清人の父を持つ彼女は、なかなか面白い人物像だったと思えます。久保田紗友さんという魅力的な若い女優さんが演じているのに、特に恋愛描写がなかったんですね。そうではなく、彼女は語学力でこの事件を解決します。とりの証言がなぜ採用されるかというと、彼女はオランダ語が聞き取れたのです。犯人であったヤンセンは、この娘にオランダ語がわかったわけがないと取り乱すんですよ。
 これは面白い仕掛けなんですね。若い娘ごときがわかるわけないという油断から足がつくわけでして。若い女性であることを、相手を油断させる目眩しに使っている。でも別にハニートラップでも誘惑したわけでもなく、偏見に蹴躓いて相手は自滅するのです。
 恋愛対象でもない。色気や愛嬌を振り撒くわけではない。とりは優れた知性と語学力、そして清人の血を引く自分のアイデンティを否定しないことで個性が引き出されています。

この国は扉を閉ざしてきた

 あの謎の船は神頭が持ち主でした。この船の上での攻防がみどころ。抜け荷も何もかも、彼の仕業であったのです。このへんは力技だとは思うし、ちょっと回数が少なすぎたか、それとも多過ぎたのか。バランスとしてはちょっと無理があったようには思えます。しかし、このドラマには目的がある。
 それは神頭の動機です。彼の過去が明らかになります。彼は船乗りで海を漂流していました。それが外国船に運よく拾われて、日本までやっと送られてきたのに、祖国は大砲を撃ち彼らを追い払った。それがどうしても許せない。神頭はなんとかしてマカオまで辿り着き、そこから長崎へ戻ってきたのです。
 神頭の怒りと無念は日本という国そのものに向けられている。国は民を守るはずなのに、それが大砲を向けるとはなにごとか。そう怒っているとわかります。
 そんな神頭に語りかける壮多は、理想論を説く甘っちょろい若造のようで、そう単純ではない。彼の父も体面を守るために犠牲になったと前回明かされています。
 神頭の怒りの告発のあと、結局は彼の出港は失敗し、壮多は長崎に残り通辞として学び始めるところで終わります。

やりたいことが盛りだくさん! 挑んだ意義がある

 ちょっとやりたいことを詰め込みすぎているようなところはある。でも、挑んだことに意義があると思います。このあいだ好きな時代劇アンケート結果を見ていて思いました。勧善懲悪モノ、バタバタと悪党を斬り捨てるモノこそが王道であり定番とみなされていると再確認できまして。そして回答者の平均年齢は高い。
 きついことをいいますが、この層に受けるものだけを求めていたら破滅しかありません。

『わげもん』はその真逆で、むしろ若い層を取り込みに行きました。これには過去の苦い失敗を踏まえているのでhなあいかと思えます。
『るろうに剣心』の担当者が言ったとされる言葉が、かつての失敗した若者狙い時代劇を象徴していると思えます。あの作品単品としては受けても、時代劇復活路線とはちょっとちがう。ちょんまげはカッコ悪い。幕末は政治がらみだから、ゆえに明治になったと。こういう難しいことへの挑戦を逃げ続けた結果、時代劇は失敗しています。典型例としてあげますと大河ドラマ『天地人』。あの若者にウケるとして設定されたであろう酷いヘアメイクを思い出すとウンザリしてきます。かつての時代劇は、若者ウケ=少年漫画やトレンでディドラマに似せればいいという酷い失敗があったんですね。

 その点、『わげもん』は違う。永瀬廉さんと小池徹平さんが髷を結っていて、しかも落ち着いた色合いの着物で出てくる。政治的な話題を避けるどころか、むしろコロナ禍の今と重なるテーマを感じさせる。
 そしていろいろなルーツの役者さんが、それこそ多様性にあふれた人物を演じている。

 最終回の神頭の言い分は、それだけでもこのドラマの価値はあるといえるほど重たいものでした。私も気になってはいたのです。ジョン万次郎のように名を成した漂流民はごく一部。多くは漂流してやっと生き延びたのに、祖国に拒まれて異国の地で消えてしまった。そういう人のことは忘れられていたけど、どれほどくやしくて悲しかっただろう。想像するだけでゾッとするし、考えたくもないことだと思う。それに正面切ってこのドラマは取り組んできた。資料を読み、脚本を書き、作り、演じる……神頭のような人の心に寄り添ったらものすごく精神的に重たくて大変なことになる。それでもこのドラマはやりきりました。

彼だからこそできたこと

 壮多の言葉は綺麗事で甘いようで、逆にこれしか救いはないとも思いましたね。幕府の都合だのなんだの言い訳はあるけど、そんなこと言われたところで傷ついた人の心に届くものか。ああして誠実に諭すことしか救いがないと思えました。

 壮多って、斬り合うこともないし。悪党も倒さないし。目的であった父は結局悲惨な死を遂げていたし。とりといい感じにもならないし。最後は勉強始めるところで終わって、何もしていないようだけど。
 実はそんなことはない。いろいろな友達ができて、語学を学ぶ楽しみを見出して、生きる意味を見つけました。
 『おかえりモネ』の亮も素晴らしかったけれども、永瀬廉さんは今の若い世代が求めている人物像をものすごくうまく形作る人なんでしょうね。上の世代は理解できないってなるかもしれないけれど、壮多はよくやりました。彼が手に入れたものは素晴らしい。わかりあえる人、生き甲斐、父が自分を愛していたとわかる遺品を見つけたこと。心を満たすものを彼はたくさん手に入れました。

 そんな壮多の繊細で美しい旅が綺麗に終わったと思えます。時代設定、考証、衣装は幕末だけど、心情描写は令和に即している(といっても、当時の規範は守っていますからね)。これぞ本物の新しい時代劇だと思える。そんな力作でした。
 まだ粗いところはあるけれど、伸び代がある可能性を見出した思いがあります。このスタッフとキャストで大河を作りたい誰かはNHKにいると思います。私もその日を待っています。たぶん、とてつもなく大変だとは思うけれど。木造船や水上ロケもよく撮影したと思います.照明、小道具、衣装どれも素敵でした。

 そうそう、最後に。実写版『鬼滅の刃』炭治郎役には永瀬廉さんを推します。あの目の透き通った感じがあっていると思います。

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