マガジンのカバー画像

朝ドラメモ

朝ドラについてメモ。
¥300 / 月 初月無料
運営しているクリエイター

2024年6月の記事一覧

『虎に翼』第65回 それぞれのしあわせ

 昭和24年(1949年)春、家長である大庭徹男を失った“御家騒動”は決着しました。江戸川乱歩…

『虎に翼』第64回 梅子、白旗と第730条を掲げる

 昭和24年(1949年)春、家長である大庭徹男を失い、遺産相続で揉めておりました。一方で寅子…

『虎に翼』第61回 大庭家の相続問題

 昭和24年(1949年)春、思いもよらぬ寅子と梅子の再会でした。  梅子は高等試験受験当日の…

『虎に翼』第60回 新たな民法のもとで家族も変わる

 昭和24年(1949年)春、はるの死から2ヶ月近くが経過しようとしています。  花江がはるのあ…

『虎に翼』第60回 道男のこれからは

 はるの葬儀を終えたあと、道男が花江に頭を下げて謝ります。道男はこの前のことを謝りたかっ…

『虎に翼』第59回 はるの大往生

 はるが倒れたと聞き、寅子が慌てて帰宅します。心臓が弱り、もう長くはないと診断されたそう…

『虎に翼』第58回 そんな目で俺を見るのか

 寅子が道男を引き取ったことは、案の定バカだのなんだの言われてしまいます。しかも、家事部と少年部はいがみあっていることもわかってきます。直明の笑顔も効果は限定的か。一応、試験観察の間だけ預かっても良いと取り付けたようです。  毒舌の小橋はネチネチ責めてくるし。多岐川は道男の年齢と、昼間は家に女性しかいないことをふまえ、預かったのは軽率だと言います。条件的に『なつぞら』のなつとは違いますよね。自分の身だけでおさらない善意は家族には重荷だとも付け加えます。寅子はやはり独断専行して

『虎に翼』第57回 道男という戦災孤児

 昭和24年(1948年)、家庭裁判所ができあがり、戦災孤児の保護に乗り出しました。そうして出…

『虎に翼』第56回 戦災孤児は戦争最大の被害者だ

 昭和24年(1948年)1月1日、家庭裁判所が開設にこぎつけました。その二日後、寅子は電報を手…

『虎に翼』第55回 家庭裁判所が始まった朝

 昭和23年(1948年)12月――あと1ヶ月で家庭裁判所を作り上げねばなりません。そこで寅子に…

『虎に翼』第54回 汐見香子の願い

 昭和23年(1948年)秋、寅子は多岐川と汐見の家へ向かい、そこで彼女の姿を見付けます。 「…

『虎に翼』第53回 ファミリーコートが必要だ

 昭和23年(1948年)10月に、家庭裁判所を作る準備をせよと命じられた寅子。かなえれば念願の…

『虎に翼』第52回 家庭裁判所をつくろう

 昭和23年(1948年)10月。花岡の死と一年、最高裁判所発足から一年半が経過しました。ここで…

『虎に翼』第51回 あの二人が手を組む

 花岡悟は餓死しました。  闇の食糧を買わず、栄養失調になり、倒れ、そのまま亡くなったのだと。  花岡が法に殉じたニュースは、法曹界の外でも大きく報じられ、衝撃を持って受け止められました。その記事を目にして呆然とする復員兵がいます。轟太一でした。 再会 寅子は優未を花江に預け、出かけてゆきます。そのころ、上野の闇市では轟が飲んだくれていました。戦後まもなくの粗悪な安酒で酔っ払い、そのまま寝てしまう轟。その轟を誰かが蹴り飛ばして起こします。なんとよねでした。  よねは轟をあの