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朝ドラメモ

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2022年5月の記事一覧

『ちむどんどん』第37回 和彦との再会

比嘉暢子のイタリア料理の修行は、二年目に突入。しかし教養不足のため、東洋新聞でのアルバイ…

『ちむどんどん』第36回 呉下の阿蒙ではダメだぞ

比嘉暢子のイタリア料理の修行は、二年目に突入します。 房子師匠は知識もある順調の料理人と…

『ちむどんどん』第35回 師匠は強かった

比嘉暢子は、オーナーの房子とペペロンチーノチャレンジ! しかしそこは房子の勝利でした。 …

『ちむどんどん』第34回 良子の結婚

比嘉暢子は、イタリア料理店で修行中だ! 賄いを賭けた対決に向けて、ペペロンチーノを練習中…

『ちむどんどん』第33回 結婚して幸せになれると思っていた

比嘉暢子は、イタリア料理店で修行中だ! 賄いを賭けた対決に向けて、ペペロンチーノをたっぷ…

『ちむどんどん』第32回 賄いを賭けて料理対決だ

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『ちむどんどん』第31回 10連勤開始

1972年、沖縄復帰の年に上京した比嘉暢子。イタリア料理店で十日連続勤務が始まります。 半世紀前の労働環境と受け止め方気になるところは暢子の髪の毛でしょうか。これは気になる。とはいえ、『カムカム〜』のおまじないあずき作り、頭巾すら被らない回転焼きのおかげで心理的抵抗が下がり、甘くなっていたかもしれません。 この労働描写はベタでしたね。皿を割る。専門用語がわからない。女はダメだと陰口を叩く。それをとんでもない、ありえないとSNSで叩いてスッキリするか、そうではないかってことな

『ちむどんどん』第30回 家族のよいところとそうでないところ

1972年、沖縄復帰の年に上京した比嘉暢子。イタリア料理店に就職も決まり、横浜鶴見で下宿も見…

『ちむどんどん』第29回 そこはリトル沖縄

1972年、沖縄復帰の年に上京した比嘉暢子。イタリア料理店に就職面接をしようとしますが、果た…

『ちむどんどん』第28回 ナポリタンはイタリア料理ではない

1972年、沖縄復帰の年に上京した比嘉暢子。イタリア料理店に就職面接をしようとしますが、果た…

『ちむどんどん』第27回 横浜鶴見の沖縄県人会に救われる

1972年5月15日、比嘉暢子は上京を果たすも、行き場所を失いピンチを迎えます。 聞こえてきた…

『ちむどんどん』第5回 親から子へ

生まれて初めてのレストランに連れて行かれ、暢子はちむどんどんしています。 一週目の動機付…

『ちむどんどん』第25回 暢子、本土へ

1972年、春。沖縄本土復帰を前にして、暢子もやっと上京できることになりました。 ジェンダー…

『ちむどんどん』第24回 にーにー、一番星になる

1971年、沖縄返還前年。比嘉家は長男・賢秀がこさえた借金で大変なことに。それでも母と姉は暢子を上京させるべく、金策をするのですが……。 にーにーがプロボクサーになっていた!なんと借金は、賢秀がプロボクサーになって、稼いだファイトマネーで返せました。こういう展開をするとご都合主義だのなんだの突っ込まれそうですが、当時は割とそういうこともあったんですね。 今と違って緩い時代です。大食いで力持ちで大柄な中学生が、帰宅すると相撲部屋からスカウトが来ていたとか。いっぱい飯を食わせて