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『ちむどんどん』第27回 横浜鶴見の沖縄県人会に救われる
1972年5月15日、比嘉暢子は上京を果たすも、行き場所を失いピンチを迎えます。
聞こえてきたのは三線の音、そしてもりそばの味
結論から言うと、暢子は三線の音に誘われ、平良の家にいきなり押しかけるのです。こういうことも当時は割とできました。この平良夫妻は沖縄二世で、県人会会長を務めています。そのために暢子にそばを食べさせ、泊めるのです。
ここでもりそばが字幕付きで、暢子が初めての味として食べるところがポイントですね。日本蕎麦は初体験なのです。
名前も出したくない日清食品広報朝ドラを思い出しますと……あれは結構ちゃんとしたお嬢さんがラーメンを屋台ですすり、当然のような雰囲気すらありましたが。当時は中華そばですらなく、支那そばと呼ばれておりまして。ああいうお嬢さんが食べる定番でもなかったんですよね。
異邦人としてのヒロイン
暢子が異邦人扱いであるのも、興味深いところでして。
仕事を紹介してもらったレストランでは「まさかやー様」とあだ名で呼ばれるし。どうにも何かどこかがちがう人として、本土の人が戸惑っていることがわかります。もりそばに感動することと表裏一体なんですね。
表裏一体といえば、オーナーの大城もそう。彼女は沖縄出身であることに距離を置きたいみたい。大城って、あの人かな……という伏線を思い出しています。草創、このドラマは伏線あるんだよね。
山原の比嘉一家から来たということは大城も知っているし、これは何かあるのでしょう。
沖縄の家族は
良子と石川の関係がモヤモヤしますね。恋のライバルだった里美は別の相手と結婚したけれど、それが好転するどころか、石川本人と向き合うことになるようで。
にーにーについては、良子は無責任と怒るものの、優子と歌子は殴り合いをしなくなってよかったと安堵しています。気持ちはわかる。良子はもっと早く産まれていたら愛国婦人会に入ってがんばっていそうな真面目タイプだし。一方で優子と歌子はちがう。
家族のことも気になりますね。ホームシックは暢子だけでなく、見ているこちらもそうなる。
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