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思い切ったままに書け|いしかわゆき『書く習慣』感想

いしかわゆきさんの『書く習慣』を読んだ。
noteで見かけることが多く、ずっと気になっていた本。このところ「書くこと」に対するモチベーションが保てていないなぁと思っていた(noteではなく、個人的に書いている創作の話)ので、今こそ読むべきタイミング!と思って読んでみた。

タイトルでもある「書く習慣」をつくるコツがわかりやすい文体でまとめられているのだけど、一番最初に出てきた『自分語りをするために書いていい』という言葉にいきなりドキッとさせられた。

というのも、わたしは以前、noteを1ヶ月更新し続ける!と突然宣言し、どうにかやり遂げたことがあるのだけれど、自分のことを発信するのがとにかく大変だったから。
作家や芸能人でもない平凡な一般人が書いたものなんて、誰が読むのだろう?読んだところで楽しいと思ってもらえるのか?
こんな風に考えつつなんとかやり遂げたはいいものの、とても見ていられない文章に嫌気がさし、結果的にその時書いたものは全部消してしまった。
いま思い返すと、「自分語り」が恥ずかしかったのだろうな……とわかる。

他にも、『誰にも見られない前提で書く』『意味づけをするのは読んだ人』などといったフレーズに、グサ、グサ、グサ。笑
スキ!の数に囚われたり、自分のセンスの名さとひたすら向き合い続けることにしんどさを感じているのは今も同じだな……と思わず苦笑い。

中でも目から鱗だったのは、『あなたの「日常」は、他人には『非日常』かも」というフレーズ。

先述の自己流1ヶ月note更新は、特にテーマなどは設けずに日記でも創作でもエッセイでもなんでも好きなように書く、という風に決めていた。
けれど、3日もすると「何だでもない日常が続くだけだな……」と気づきはじめ(もちろんそれは悪いことではない)、1週間後には「何を書いたらいいのかわからない!」と、すっかり音を上げそうになっていた。最後2日3日は息も絶え絶えだったのを覚えている。
当時のわたしには、自分の日常が誰かの非日常になりうるかも、という逆転の発想がなくて、だからこそよりしんどいと思っていたのか……と、いまさらながらようやく理解した。

『書く習慣』を読んで、たぶん自分でもわからないくらい無意識のうちに、「書く」ことに縛りをつけていたんだと気づけた。
気づけたから、読み終えてすぐに「書きたい!」と素直に思えた。そんなわけで早速本の感想を書いた次第だ。いしかわさんも『感情が動いたらそれがインプット』『アウトプットまでが読書、むしろアウトプットが読書のメイン』と仰っていたことだし!笑

せっかくだから「書く習慣1ヶ月チャレンジ」にもリベンジしたい。キリよく10月から始めようかな?……いや、宣言じゃないと意味がないんだったよね。は、始めます。10月から。(気弱)

『書く習慣』を何度も『隔週刊』と打ってしまったnoteでした。
おしまい。

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