一行の衝撃

すこし前まで軽い活字中毒であったはずなのに、気がつけば一ヶ月近くまともに読書ができていなかった。先月、大きなイベントを控えていてその準備に追われていたとか、すこし体調が思わしくない日が長く続いたとか、理由はいろいろ考えられる。だけどもっと明確に、本を読むこと自体をストップさせたと思われる理由がある。そしてそれもまた、本によるものなのであった。

9月の中旬から下旬にかけて、とある本を読んでいた。作品名は伏せるけれど、それは某大賞にノミネートされていたのでそれなりに知名度も高く、前々から気になっていた本だった。タイトルや表紙にも惹かれるものがあったし、あらすじも自分が好んで読むハートフルストーリーと見受けられたし、他の人たちの感想を見てみても、「これは読んでおきたい一冊だ」とも思えた。

ところが、いざ読んでみたら、自分の心には殆ど響いてこなかった。

もちろん、すべての本がすべての人に響くかといえばそうではないし、好みだってあるだろうし、現に今までにも、心に響かない本だってなくはなかった。ただそれは、年に一回あるかないかというくらいの僅かな頻度ではあったのだけれど。
「これはきっと好きになる一冊だろう」「読んでおきたい本だ」、そう思っていたのとは違う読後感に、自分でも驚いた。例えるなら、自分の大好きな作品が実写化された時のような気持ちに似ている。映像になることでより鮮やかに彩られるはずの世界観が、ある一点にフォーカスが当たり過ぎていたり、想定以上に着色され過ぎてしまっているのを目にした時の、むなしさのような気持ち。(もちろんそんなことはない実写化もあるし、かえってそれが良かった実写化もあるけれど、わたしはそう感じることの方が多い…)

「きっと気に入るだろう」というある種の先入観と、実際に読んでみた時のギャップを、これほどまでに感じることはなかったのかもしれない。結果、本を読むこと自体から思わず遠ざかってしまったのだった。そこに、冒頭で述べた多忙や体調不良が相まって、今に至る。

本を読まなくたってじゅうぶん生きていける。けれど、本との出会いや読書の楽しさを知っている方が、人生はぜったいに楽しい。そう信じ、重い腰を上げながら手に取ったのは、伊坂幸太郎さんの『AX』。

『グラスホッパー』『マリアビートル』に次ぐ、殺し屋シリーズの第3巻。前の職場で本を貸し借りしていた先輩が大絶賛していた一冊だ。当時、先輩が読み終えたタイミングで借りたものの、繁忙期の最中だったこともあり、第一章の「AX」のみを読んで返してしまっていた。先月ようやく購入し、第二章「BEE」を読んだきり、またしばらく時間が空いていた。
だから手に取ったというのもあるけれど、実際は「前に読んだのがハートフルストーリーだったから、今回は真逆といってもいい、物騒な展開がある本にしよう」という安直な考えによるものである。そしてそれが、結果的には大正解だった。

最強の殺し屋は、恐妻家。戦闘シーンは鋭く、忍び寄る影はスリリング。それなのに、日常シーンは思わずクスッと笑ってしまうというギャップと愉快なテンポ感が心地よくて(物騒な話でもあるのに)スイスイ読むことができた。前作に登場したキャラクターが懐かしかったり、スリリング過ぎて登場する人たち皆あやしく思えてしまったり。伊坂さんやっぱりすごいなー、頭の中覗いてみたいわー、なんて呑気に読み進めていた次の瞬間、たった一行に、衝撃が走った。

たった一行、されど一行。その一行で、天と地が入れ替わるのが分かった。

え、と口に出して、しばらく呆然としてしまった。あれ?なんで?さっきまで、おおーすごい、とか言いながら読んでたのに、なんで??

そういえば、とふと頭によぎったのは、先にこの本を読んでいた先輩の姿だった。

先輩はよくお昼休憩に読書をしていたのだけれど、ある時「うわ、えー、ええー……?」と、驚きや困惑が混ざった呻きにも似た声を上げた。どうしたんですか、と何気なく訊いたら、「いやぁ、ちょっと、衝撃というか…」との回答。その手には、読みかけの『AX』。
あの呻きはこの衝撃を表していたのだろうな、と今になって納得。そして視点が変わった最終章、ラスト20ページの展開は圧巻としか言えない!「母ですから」の台詞にうるっときたかと思えば、怒涛の展開が待っていた。本作の表現を借りるなら、本当に絵じゃなくてとんでもない餅を出してきたもんだ!まったく!

たった一行、されど一行。これだから、読書はやめられない!

読み終えてすぐ、次何読もう、と思った。前作の『グラスホッパー』『マリアビートル』を読み返そうか。それとも、本屋で見かけて気になっているあの本にしようか。そういえば積読も5、6冊たまっている。

というわけで、どうにか無事に、読書欲は復活させることができたようである。もう11月だけど、読書の秋は始まったばかりだ。

この記事が参加している募集