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私なりの“働き方改革”に挑戦したい。

思い返せば、ずっとイライラしていたと思う。

働きやすい職場、ママに優しい職場、子連れ出勤、時短勤務、テレワーク、週休三日制、副業推奨、フレックス勤務。慢性的な人員不足、残業削減だけは厳しく要請されるのに減らない業務量。

世の中では所謂“働き方改革”が叫ばれている。
だけど私の職場では何処吹く風といった具合。世間で言われているそれらを間近に感じたことは一度もない。ニュースで盛んに語られているのは、一体どこの世界線のことだろう。

世の中には自分らしく格好いい働き方をしている人が沢山いて、「好き」や「得意」を仕事にしている人はとてもキラキラしている。自分にしかできない事をしている人や自ら道を切り開いて行く人は、すごく誇らしく見える。

一方で私はどうだろう。いつも不平不満ばかり。そんなに嫌なら辞めれば?という自分自身の声がいつも聞こえている。

生業に出来るほど得意なものも好きなものもない。独立や起業をする気概も知識も能力も人脈もない。

ずっとサラリーマンの私。

やりがいとモチベーションに満ち満ちている時もあれば、全てに疲れ果てて投げ出したくなる時もあった。そんな毎日を繰り返して、気づけば勤続10年を超えた。

働く事は好きだ。今の仕事も好きだ。
好きだけど、いつまでも何も誰も変わらない。

「出産と育児があるからさ、残念だけど女性は出世出来ないよ」

そんな言葉をひきつった笑顔で聞き流しながら二回の産休、育休を取得し、現在二回目の育児休業中である。

私の仕事は情報や専門知識が日々更新される。常にアンテナを張り続け、アップデートの毎日。一週間も休めば、浦島太郎になったような疎外感を覚える現場。そんな職場で育児休業はブランクだ。

10月生まれの次男がこの度、保育園の途中入園に落選した。それと同時に私の復職も叶わなかった。4月の入園を目指す事になったから、半年の延長を申し出ることになった。合計約一年半の育児休業であり、私の職場では前例がない。10月生まれの途中入園の難しさ、長男と別の保育園に通わせることの負担とその非現実性を、上司に説明しなくてはならない。子育て世代がいない、育児休業延長の前例がないという事はそういう事だ。

長男は四月生まれだったから、0歳児枠での入園がスムーズだった。復帰後はフルタイムで働いた。フルタイム勤務に拘ったのは、経済的な私個人の事情もあったし、キャリアを失いたくないという気持ちも大きかった。

幼子がいるからといって、考慮してもらえる立場だとは思っていない。権利だけを振りかざしたって反感を買うだけだ。自分の意見を通すには(と言えば格好はいいけれど、実の所、育児との両立に伴う色々な不十分さや至らなさを大目に見てもらうには)実績が必要だ。だからノルマをこなしながら、次男の出産までの約3年間を過ごした。

私がまだ独身の頃、育休から復帰後に時短勤務をしていた社員が一人だけいた。16時上がりの彼女は17時から始まる定例会議への参加を求められ、それが出来ずに結局辞めてしまった。時短勤務の彼女が17時開始の会議に参加できない事はどう考えても当たり前だ。彼女もそう訴えたが、結局その意見は尊重されなかったし、会議の時間も変わらなかった。
何をフォローしてどうカバーすれば彼女が仕事を続けられたのか、彼女がどれだけ孤独だったのか。同じ立場になった今、ようやくわかる。

幼子を育てながら仕事をするという事は当然、子供関係の休みが増える。出社した途端、保育園からのお迎え要請によって勤務時間0で退社したことも一度や二度ではない。こちらの都合や予定を待ってはくれない。迷惑をかけてしまって頭を下げ続ける日々。やり通したかった仕事を誰かにお願いする事になって悔しかったことも数えきれないほどある。

『母親になったって、子育てをしていたって仕事を続けたい』
『積み重ねたキャリアを失いたくない』
『お母さんも仕事もどちらも大事にしたい。』

それがとても難しいという事を、長男の育児休業復帰後に初めて知った。

その度に、働きやすくて優しい環境作りを誰かに託したかった。誰かに先陣を切ってほしいと思っていた。先陣さえ切ってくれれば、いくらでも援護射撃しますから、と。そう思い続けてあっという間に中堅になった。

全ての経験を経て今、思う。

働きやすい職場を「求める立場」はもう終わったのだ。
今はそれを「作っていく立場」にある、と。

圧倒的な孤独が苦しかった。仲間がほしかった。

仲間を作るには、まずは私自身がその立場で継続しなければならない。継続と実績を積み重ねて、子育てしながらでも働けると証明し続ける必要がある。

だから私は、これからも絶対に辞めないと心に決めた。経験したことでわかることがある。私が働き続けることで道を作れるかもしれない。働き方を選べる環境を作ってあげられるかもしれない。
続けていけば挽回できるチャンスはいつかやってくる。

先日、育児休業延長の申請の件で上司と面談した。前例がない職場で、先陣を切ることはかなり勇気がいる。新しい道を開拓するような冒険は苦手だ。

子供たちをそれぞれ違う保育園に入園させる事も考えた。でもそこは頑張らない事にした。生産性と効率性を欠くであろうことは明らかだったし、ここで前例を一つ作って、道を作ってみようと思ったからだ。

「また四月から頑張ってくれるなら、半年間待ちますから。」

それが職場からの返答で、半年間、私のポストは確保された。復帰後のフルタイム勤務を担保にした。(何度も言うけれど、フルタイム勤務はあくまで私の事情だ。)

帰ろうとした時、後輩が声をかけてくれた。彼女は私よりも半年早く出産し、第一子の育児休業から復帰していた。

「1年で復帰できなくてごめんね。負担かけてすみません。」

彼女にそう謝った。二つ年下の彼女が、出産後の仕事についてどう感じているのかは、話したことがなかった。

「大丈夫です。ゆっくり休んでください」
「私辞めません。だからまた一緒に働きましょう。」

力強く、彼女はそう言ってくれた。

心強い同士が出来ていた。

改革には同士が必要だ。私たちが輝くのはこれからだ。働きやすい職場、ママに優しい職場。その地盤を作るのは、私達だ。

もう誰かに託すのは辞めた。

道のりは長いけれど、私はここで私たちの居場所を作りたい。

今ある環境を変えていく事に挑戦したい。

サラリーマンのワーキングマザー。

これが私なりの“働き方改革”だ。

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