海と親友と釜揚げしらす

生まれ育った街には海がなかった。結婚して越してきた街には海があって、子供が産まれてから、特にそれが身近になった。車で15分ほどの海に出かけて子供たちと遊びながら想い出す。かつて親友と3人で旅行に出かけた、湘南旅行で立ち寄った海の事。

職場で取得できる3日間の夏休みを使い切って出かける旅行は私達3人の毎年の恒例行事で、湘南に出向いたのは4回目の旅行だった。
風が違う、と思った。肌に纏わりつく柔らかい汐風は、冷たくて鋭い日本海のそれと全く違っていて、生暖かくて優しかった。波も穏やかで、磯の香りがずっとしていた。
海岸沿いの店に入り、そこで釜揚げしらすとビールを注文した。私達は3人ともお酒が飲めるから、ビールもしらすもどんどんと減っていった。

当時の私達は三者三様の問題を抱えていて、ある時は親に紹介出来ないような悪い男との恋にのめり込んでいたし、またある時は恋人がいるのに好きな人が出来ていたし、大きな声で言えないような秘密を抱えていたりした。そういうものを否定も肯定もせず、ただお互いの全てを許容した。そこにはお互いに対する絶大な信頼があった。私達以外の誰にも秘密を漏らさないという信頼と、取り返しのつかないような道の外れ方はしないだろうなという信頼、でももしそうなりそうな時は必ず手を差し伸べるという信頼があった。そして最後に必ず、「幸せになろうね」と言って乾杯した。

頻回に会ったり連絡を取っているのに、何故だかこの旅行にはそういう事を打ち明けさせるような非現実的な時間の流れがあって、こぞってそういう“秘密”を持ち寄り、共有した。この次の年には全員が既婚者になっていたから、この湘南への旅行が、身軽に動ける独身最後の旅行だった。

だから私は今でもありありと想い出すことができる。あの柔らかい汐風が肌に当たる感触、磯の匂い、優しい波の音。古びた外観、こじんまりとした店内、ふっくらした釜揚げしらすと、乾杯したビール。私たちの笑い声。そういうものを、今でも鮮明に想い出す。親友たちと語り合った時間の楽しさが上乗せされたあの素晴らしい釜揚げしらすを超えるものに、あれから何年も経った今も、出会っていない。

あの日乾杯した通りそれぞれが幸せになった。等しく二人の子育てをしている私達3人は、今でも親友だ。私の人生で彼女たちに出会えた事は、大きな財産だと思う。(と、それぞれの結婚式の二次会で語り合って酔っ払って泣いた)

あの湘南の海は、変わらずそのままだろうか。あの釜揚げしらすのあの店は、この苦境に負けずに存在し続けているだろうか。
そうだといい。そう願っている。私たちの友情も、ずっと変わらず在る。

世の中が当たり前を取り戻したら、またあの海に行きたい。あの店で、あの釜揚げしらすを食べながら、昔ほど量が飲めなくなったビールで親友たちと乾杯したい。

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