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世界一カッコいい恐竜のトレーナー

 3歳の息子が登園すると、クラスの何人かはすでに登園していて、教室の中は花が咲いたように賑やかだ。「恐竜だ!」「ティラノサウルスだ!」「新しいお洋服!」などと言いながらクラスメイト達がわらわらと集まってきた。その中心にいる息子は、少し照れながら、誇らしそうに一度振り返ってから教室へ入っていった。注目を集めたのはティラノサウルスが大きな口を開けてこちらに迫っている様が描かれているトレーナー。某チェーン店で購入したものだ。見切れ品で割引の札が二枚ほど貼り重ねられ、値段は300円まで下がっていた。息子はこれを痛く気に入り、早速着ていくと申し出た。「この恐竜は世界一カッコいい!」と嬉しそうだった。

 2歳を過ぎた頃から、息子は私が選んだ洋服や靴を身に付けなくなった。それは本当に突然で、極端だった。私が選んだものを見るだけで泣いて嫌がった。朝の支度はとても大変で、どれも拒否、拒絶。2歳といえば、俗に言うイヤイヤ期と呼ばれる時期だ。手が付けられない程拒絶反応を見せる息子の機嫌を損ねないようにしながらイライラする事も多かった。
 ある日、息子の靴を購入しようと店を訪れた時の事。息子が選んだのは私がいいと思うものとは、色もデザインも機能性も予算も違っていた。頑なに「これがいい」と主張する息子。私の提案は全て却下。「イヤイヤ期 買い物 対応」で脳内検索。母親歴の浅い私の、拙い経験から答えを導き出そうとしたが、有効と思われる手段は見つからない。息子は今にも地べたで泣いて転がり回りそうな様子。いやだってさ、履かせにくそうだし、この色だと汚れも目立つし、ちょっと高いしさ…などと思いにながら、途方にくれていると、ふと自分の幼少期を思い出した。
 

 私の母はとてもお洒落な人だった。近所の人からはいつも褒められていたし、母もそれを自覚していた。私に選ぶ洋服は量産店では絶対に売っていないような代物で、品があるとよく褒められた。
 ある日、母と訪れた靴屋で、私はガラスの靴をねだった。ビニール製の安物だが、お花や宝石が散りばめられていて、お姫様みたいでキラキラしていた。当時の小さな私の心を鷲掴みにするには十分だった。相当な勇気を出してこれが欲しい、履いてみたいと申し出た。ところが、これが母の逆鱗に触れた。母はその靴を「ダサい」と一刀両断し、ついでに「あんたってセンスが悪いね、私の子なのにね。」と言い放った。母の好みとは裏腹に、私はピンクでレースでフリフリな洋服が好きで、お姫様になりたかった。品のある洋服は私にとって何の意味もなかったし、友達が来ているフリルのスカートやキャラクターのTシャツが羨ましかった。当然その靴は買ってもらえず、私の自己肯定感は地に落ちた。それ以降、何かを選択したり決断することが怖くなった。母の着せ替え人形となり、褒められるたびに、母が正解なのだと突きつけられるようで、心が冷えて死んでいった。お姫様は死んだ。もう二度と会えなかった。

 思いとどまり息子の選択に応じた。私の母に言わせれば「ダサい」とされるであろうその靴を、息子はとても気に入り、会計のお姉さんにタグを切ってもらってその場で履き替えた。まだまだ幼いと思っていた息子は、自分の意思と選択を、拙い日本語で必死に伝えていたのだと気づいた。全身を使用して抗議していたそれを、私は「イヤイヤ期」の言葉一つで片付けようとしていた。私の臓器の一部で、妊娠中は一心同体で過ごし、産まれてからも私から離れなかった甘えん坊だった息子。これは自立だ、と気付いた。息子には息子の世界がある。私の所有物でも分身でもない。これを踏み躙る事はあってはいいけない。否定すれば、息子の本心は二度と聞けないだろう。自分の選択を尊重して貰えない事がどれだけ苦しいか、私は知っている。一度死んだ心は元に戻らない事を、私は知っているではないか。
 それからは必ず息子と一緒に洋服を選ぶようになった。デザインや色が似ていようが、私の好みでなかろうが、息子の意思を尊重した。これをきっかけに、息子は自分で洋服を選び、着替えに挑戦するようになった。事態が大きく好転した。

 「恐竜のお洋服、みんなかっこいいって言ってくれた」
保育園から帰ってきた息子がホクホクしながら教えてくれた。最近は言葉も増えた。
よかったね。自分の選択を認めてもらえたことはとても嬉しいことだよね。どうかそのまま、自分を好きでいてね。いつだって自分を信じて居てね。

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