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やさしい犬

犬が好き。成人済みの人間としてはやや社会性を心配されるほどに。私の機嫌の4割は、散歩している犬を何匹見つけられるかにかかっている。この話をすると大体『なんで飼わないの?』と聞かれて、決まって毎回『いいんだ』って答えてきた。私は犬アレルギーなのだ。

夜でも瞳孔が悲鳴をあげるほど眩しい原宿の夜、友達と入ったIKEAに大量の犬がいた。ゴールデンレトリバーのぬいぐるみ。一匹2000円程度のポリエステルのいのちだけど、そっと抱いた黄金色の手触りは、人間のともだちと名高い犬独特のやさしさがあった。めちゃくちゃ買いたい(飼いたい)衝動に駆られたけど、反面その選択をすることが怖かった。2000円払えない、とかそういう話ではない。アレルギーだから犬を飼えないと思ってきたし事実そうだけど、それ以上に私は物言わぬいのちを愛することに不安があった。私は日頃から社会と関わることがとにかく下手だ。隣にいる友人と服屋にいる時に、その店の悪口をペラペラ話す友人を止めることもできない。こんなに対外コミュニケーションができないのに、ものいわぬ都合の良すぎるいのちなんて手にしたら、いよいよ真人間への道が断たれると思った。てかたぶんぬいぐるみひとつ買うのにこんな悩む時点で相当拗らせてるんだけど。

店にはいつの間にか蛍の光が流れていて、もやもやとしたまま犬を置き去りにした。腕の感覚が忘れられなくて悲しかった。たまらず犬の動画をYoutubeでサーフィンしたら、なんとIKEAの犬がそこかしこにいた。(しかも別々の投稿主の動画で)あの犬には犬好きに働きかける引力があるのだけは絶対に確かだった。

それから季節が半分巡った頃、同じ友人から原宿に出かける誘いがきた。本当は原宿は歩いてるだけでジャッジされてるような空気がして苦手。未だに断ることができないまま、重い足取りで待ち合わせへと向かった。
久しぶりにみる犬はやっぱりめちゃくちゃかわいくて、無造作に積み上がった大量のいのちをみるとやっぱり切なかった。気がつくと脳信号より先に腕が伸びていて、一匹の犬を拾い上げていた。

結局、IKEAの信じられないくらいでかいトートバッグに詰められた犬がその日私の家に連れ帰られた。哀れな犬狂いを知っている母は良かったねと本気で言ってくれたけど、私は未だに何か重大なスイッチを入れてしまった気がして罪悪感がすごかった。ぬいぐるみで罪悪感感じるのこの世で私ぐらいだろ。

犬を抱きかかえてベットに寝転ぶと、思ったよりサイズが大きいからか独特の圧迫感があって、その寝づらさがかえって本物らしくておそろしかった。手の届かないものは美しいけど、手近な代替え品でことを済ますのはいつか絶対ツケがくる気がして怖い。落語の死神を思い出した。
漠然とした明日への不安を押しつぶすように犬を抱きしめて、それから少し眠った。


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