地上の星

やったことの結果が思うように出ない時は、大体どうしてやり始めたのか忘れている。

前にあるエッセイを読んで、平凡な日常は文字に綴るとこんなにも輝いて見えるものなのかと気づかされ自分も筆を執るようになった。いいことより悪いことが目につく時でも、些細な輝きを大切にできる人になりたかった。

ところがどうも、自分の文は輝度が足りない。やってみて突きつけられる己の拙さには何度でも打ちのめされるものだ。きっとどんなことに取り組んでもすべてこの道を通り続けるだろう。

そして初心に立ち返ろうとエッセイを読み直すと『感動と驚き』以外の薄墨のきもちが入り込んでしまっている。その瞬間にパッと現れる自分の暗い所がほんとうに嫌いだ。素直に楽しむ心に自分で泥を塗りたくない。

比べちゃいけない高みと比べるから苦しむ羽目になる。わかっちゃいるが、むずかしい。自分一人しか登っていない階段で、頭上に輝く星まであと何段あるのかをずっと見定めている。それで『星は遠い』と嘆く。そりゃそうだ。星は誰にも掴めない。

星を近くで見たいから階段をのぼり始めたこと、きらきらしていたから星を素敵だと思ったことが大事なのだ。本質は簡単に見失う。

階段を確かにひとつずつ上がること、地上に見える街の光も星あかりに似ていると気づくことが今のわたしにできること。するとどのかで同じ階段を上る人に会って、好きな星の話ができるはず。そこで笑う私の姿が光って見えればいいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?