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向日葵の記憶

「あこがれ・あなただけを見つめる」

これは向日葵(ひまわり)の花言葉である。
夏の猛烈な太陽に向かってまっすぐ伸びる姿は夏の風物詩でありアイドル的な存在でもある。小学生の頃、プール脇の花壇に大輪の向日葵が並んで花を咲かせていたのを思い出させる。 生活科の授業で小さな鉢に種を撒いて毎朝水やりをしたことや、成長記録で描いた絵日記は覚えたてのひらがなと色鉛筆でグリグリと写生したちょっと不格好な向日葵で埋め尽くされていた。

そんな夏を代表する向日葵を私は実はあまり好まない。それは両親と向日葵のエピソードが原因なのかもしれない。

父親はチューリップと桜、向日葵しか花という花の名前を知らず土いじりなんて大嫌いな人間だった。それと対照的に母親は花壇を賑やかにするのが大好きで花言葉にも詳しい人だった。あれは両親の仲が険悪ムード絶頂期の夏の夜の出来事だった。むっとするような暑さで眠れなかった私は母親と一緒に横になっていた。そこに酔っぱらった父親は大輪の向日葵の花束を投げて寄越していた。私は真っ黄色で大きな向日葵に目を奪われて少し興奮したのを覚えている。しかし、母親は大輪の向日葵の花言葉が真っ先に脳内をかけ巡り決別の意思を固めていたと言う。きっと父親は花言葉なんて知らなかったから何も考えずに罪滅ぼしで花束を抱えてきたのだろう。しかし投げて寄越した″偽りの愛″は、たしかに母親の心を深く傷つけたことに違いはなかった。

私の家では向日葵の話は暗黙の了解の1つであり、話題に上がることは一切ない。もちろん夏の花壇の花々の中に向日葵が姿を現すこともない。嫌いと言うより苦手に感じるのは、夏のあこがれを全身で眩しいほどに表現した向日葵が少し恨めしく感じるのと、封印したはずの記憶を毎年必ず呼び起こし心にチクっと針を刺してくるからなのかもしれない。

川端康成の『掌の小説』でこんなフレーズがある。

『別れた男に、花の名を一つ教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。』

記憶の中に咲き乱れた花々は美しさと儚さを兼ね備えいつまでも人の心に纏わりつく。毎年必ずどこかで花々が咲くのは、忘れんぼうの私たちに大切なことを思い出させるためなのかもしれない。母親は父親に花の名を一つ教えたのだろうか。きっと父親は教えてもらっても自分の興味関心以外に目を向けない人だったからすぐに忘れてしまっただろう。父親は今、向日葵を見て何を想うのだろうか。きっと素知らぬ顔で私と目鼻だけがそっくりな男の子と夏の絵日記を描いてるだろう。

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