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ある画家の数奇な運命

ロシア側の意見で
「ウクライナがナチスなんだ」
と言うのがあったので
この映画を見れば良いと思いました。

この映画の事をまだnoteでは書いていませんでしたね。

ドイツ人のアーティストの物語です。

*ここから先ネタバレがありますので知りたく無い人は読まないで下さい。

第二次世界大戦中
クルトという少年は伯母と一緒に美術館に行くのですが
館員は、自由に世の中を批判する絵や
違うところでは書き忘れましたが裸の女を描くような絵をいちいち否定しながら紹介するのです。
「ここからはまるで売春宿だ。
我我我という主調は駄目!こんな絵は駄目だね」
少年は絵を描くことが好きだったのですが
「絵を描くのよそうかな…」
と呟く。

ナチスの始めた戦争だったがドイツの町は攻撃をされる。

後にナチスが戦争に負けて、ソ連(ロシア)が東ドイツを支配する事になるのです……
が、やはりあまり変わらなかったです。
少なくとも芸術の点では
クルトが美術学校に入ったら
「我我我という絵は駄目です。人民のための絵を描きましょう」
というような事を教えられる。

絵に個人的な気持ちを入れるなって事らしい。
両方ともね。

後に少年は自由な国に逃げます。
すると
「お前の描き方は古いね」
とまた否定されちゃうのですよ。
社会主義的リアリズムを叩き込まれたクルトは時代にあった絵を描かなきゃと思うのです。


しかしその学校の教授に言われました。
「自分の絵。自分の原点を描きなさい」

そう、それはその人にしか描けない絵です。
表現はそのためにあるのです。

それを思い出すとクルトには大事な思い出があった。

美術館に連れていってくれた伯母の思い出。
伯母は、ナチス時代に
「絵をいっぱい見せてあげる」
と言い
「目をそらさないで 真実を見て 
真実は美しいのよ」
と言う。

そんな伯母はあまりに堪えられない現実に神経がおかしくなっておかしな行動をとり
精神病院に入れられるんですけどね…

*実際にクルトのモデルの画家には伯母がいて精神病院に入れられ、ドイツ人だったが優性思想により淘汰された。
しかも、ひどい外科手術をされた患者だったので暴かれるとまずいという事で戦争末期に
消されたという事を別の記述で読みました。

おかしいと言っても人間なので 生きてるし感情だって勿論ある。自分がなにかをされると気がついてあばれ、伯母は「ナチのための子供を産みます。兵隊にしますから!おとうさん!」と、ナチスの医者に叫ぶ。伯母は洞察力が鋭く、その医者には絵を描く娘がいるという事に気がつきそういう言い方をするのですが優性思想にすっかり染まった人間にとって、この女性の涙すら汚れているとしか感じなくなっていた。←この娘の涙を拭いたハンカチをゴミ箱に捨てたシーンがあったので。


少年は大きくなり、やはり伯母の面影をずっと追い求める。
恋人も伯母になんとなく似ている女性だった。


そしてある日
妻の裸婦像を描く。

その裸婦像は
妻が妊娠したという事を知ってクルトが描いた絵である。
伯母は、2度と子供を産めないような身体にされて人生を閉じられてしまった。

その伯母の未来が

妻の身体を借りて永遠にそこに
あるがままに描かれたような気がしました。

無理やり失われた伯母の未来を取り戻す行為
それは
クルトの心の救いを感じました。

伯母は決して戻りませんけれど。

芸術は本人の心の救済の力を持つ。



*クルトのモデルはドイツの現代美術家
ゲルハルト·リヒターです。
画家として巨匠クラスの人です。

やはり一晩考えたのですが、映画の主人公の名前はリヒターでは無くクルトです。
架空の人物の物語として考えなくてはいけない
という事もあり、リヒター本人の心の内を
ここで書くのも激怒されそうだし
本人の気持ちは分からないのでそういう記述はカットしました。
映画を作る時、リヒターは最後まで協力をしたそうです。
そして映画の予告編を観て激怒したらしいので…。



ただ1つだけ書きたいのですけど…

見たものを自分流に解釈して絵画にするリヒターです。目で見えるものについては自分の宝物のように大事で
本当はそれは自分だけのもの
それを他人が映像化するなんて堪えられない
たとえ美しく撮っていたとしても
思い出に対して侮辱されたような気にさえなる。


そこからの怒りのような気がします
絵を描く者としての解釈でした
リヒターが本当にそう思っていたとは限りません。

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