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【10月16日~22日】祖母の心臓が止まった話
御年86歳になる母方の祖母・ユリコ(仮名)の心臓が止まった。
結論から言うと今も生きているのだけど、母にとってはとんでもない大事件になったので、許可を得て書くことにした。
「いいよぉ、本名も出してよかよ~」と言っていたユリコはおおらかすぎる。ずっと長崎の人だからだろうか。怒ると怖いけど、基本的にはとても穏やかでチャーミングな冗談も言う祖母である。
名前を出すことを推された気がしたので、ひとまずユリコとした。
先週の記事にもあるように、私は大分へ遊びに行っていた。
ちなみに、実家の父は仕事があったので留守番……というか、ほぼ女性陣のなかだと落ち着かないというのが本音だったと思う。
極端にマイペースな人だから、大人数での旅行はたぶん好まない。
そんなわけで今回は、私の祖母であるユリコ、母、私、私の娘である中2女子の4世代女ばかり別府まったりツアーになる……はずだった。
母は長崎の病院にいる自分の父親に会うため、私よりひと足先に神戸を発ち、長崎でユリコと合流していた。久々の親子での再会だ。
2日ほど滞在して、そこから高速バスで大分へ移動し、後発の私&中2女子と合流するという予定となっていた。
ユリコの妹(仮にミチコとする)が長崎市内在住なので、行くといつも泊めてもらう。私が6月に遊びに行ったときも、ミチコは私の好物を振る舞ってくれた。いつもそうやって身内を迎えてはもてなしてくれる、とても頼れる人だ。
その夜は、母→ユリコ→ミチコの順にお風呂に入り、女3人で楽しくおしゃべりしていたらしい。いつものことだ。
気の合う3人だから、それはそれは盛り上がることだろう。
ただ、どんなに元気に見えてもユリコは86歳。
脚も悪くなってきたから疲れやすいし、話している途中でふっと俯いてしまったらしい。
「眠いなら布団に行かんね」と言ったのはミチコだ。
けれど、ユリコはうんともすんとも言わない。
「お母さん?」と、母も声をかけた。
けれど、ぴくりとも動かない。
「姉ちゃん?」ミチコがユリコの肩を掴んで顔をのぞき見ると、舌を出して眠っていた。あかんやつだ。
座ったまま俯いてくれたことは不幸中の幸いだった。
仰向けで寝ていたら、舌で気道が塞がれていたかもしれない。
「救急車ば呼んで!」とミチコが叫んだ。
ここからだ。
突然の事態に、母はなにがなんだかわからない。
焦りすぎて、救急の番号も出てこない。
こういう緊急時は母のように大混乱する人も多いので、「救急車呼んで!」ではなくて「119番お願い!」と「119」を強調して指示を出すといい。と救命講習でも言われた。
母がどうにか119番通報する間に、ミチコはユリコを寝かせて脈を確認していた。お年を召してもさすが元看護師だ。
この時点でわずかに触れた脈は、すぐに止まったらしかった。
即座に気道確保して胸骨圧迫を開始するミチコ。
母はおろおろしながら電話で状況を伝えるものの、たぶんもどかしかったのだろうミチコはユリコの状態について言葉にし、それを母が伝書鳩のように伝える役となった。
ここまで聞いていて思った。
ミチコがいなかったらユリコは死んでいた。そうまでいかなくても脳をやられたはずだ。ためらいなく胸骨圧迫を開始できたのは本当に幸いだった。
でも、ここに母がいなくても救命は難しかっただろう。
家の中での出来事だ。胸骨圧迫しながら119番というのはまずできない。
確実な救命に近づけるには、せめて2人は必要になる。
電話口で胸骨圧迫をしているかどうかの確認があり、「してます!(してるから早く来て!!)」と焦る母。
「1、2、1、2 のリズムで」と言われ、ミチコの胸骨圧迫が少しゆっくりだったようで「ミチコさん! 遅いって! 1、2、1、2……!」と言われたままを叫ぶ。
取り乱してばかりだと、言われたことを正確に伝えることさえできないだろうから、間に入る人として母はよくやったと思う。
それから住所を伝えるも、「〇〇さんという方はいますか?」「いいから早く来て!」「場所の特定のために伺っています」みたいなやり取りがあり、母はやきもきしたらしい。
それはそうだ。目の前で自分の母親が心臓を止めている。
「おらん!!」とミチコが声を張り、自宅の目印になるようなものの説明をして通話を終えた。
ミチコが胸骨圧迫を始めてここまで、だいたい2分ほどのことだと思われる。
というのも、先述のように今年2月に私も救命講習を受けた。
いくらミチコが元気だとはいえご高齢だ。胸骨圧迫は体力勝負。
年中運動不足である私は1分でもキツイ。
有事に立ち会ったとしても、正しく行うにはどんなに頑張っても2分が限界だろう。
母の証言でも2~3分とのことだった(体感としては当然もっと長かった)ので、それくらいだと思う。
そして救急車を待つ間に。
……ユリコが生き返った。
生き返ったと言うには語弊があるのだけど、母にとってはそんなところだろう。脈拍再開と言うよりしっくりきそうだ。慌てふためいたはずだから。
意識を取り戻し、目を開けたユリコの第一声。
「いつもの整体の先生がマッサージしてくれてると思った」
本人、とても平和である。
なにはともあれ心臓が動いた。
ミチコと母による救命は成功したと言える。
救急車を呼んだのに生き返ってしまったので、救急隊が到着した気配を察知するとミチコは言った。
「姉ちゃん、寝たフリばしとけ!」
笑った。ミチコらしいオチであった。
いつもユーモアにあふれる人だから。
……という出来事を私は知らないまま、大分で母&ユリコと合流した。
長崎から大分の移動でお疲れだろうからと早めに宿にチェックインして、ユリコには横になってもらったところ、すぐ眠ってしまった。
それを母がやたらと覗き込んで、「息しよるな……?」と確認していたのは、お年寄りに向けたネタだと私は受け取っていた。
一連の話を聞いたのは、ユリコがそのお昼寝から目覚めてからだ。
母の立場になってみれば、昼寝ひとつがそれはそれは不安だったことだろう。
「旅行のはずが、香典持って長崎に来させるところやったよ。ハハハ」
笑い事じゃないのに、おもしろくてどうしよう。
聞けば、持病のあるユリコは通院している病院の先生に口を酸っぱくして「お風呂は気を付けるように」と言われていたらしい。
普段はひとり暮らしだから、お風呂で倒れたら誰にも気づいてもらえない。
だから、いつもは長湯しないことを心がけている。
母いわく、ミチコの家のお風呂は驚くほど熱かった。
母は熱すぎて湯船に入れなかったほどで、水を足してそこそこ温度を下げはしたけどそれでもまだ熱めだったとのこと。
家の主であるミチコが熱めのお湯が好きなのを知っているから、少し遠慮したのだろう。
その次に入浴したユリコも、熱めのお湯が好きだ。
もちろん普段は控えている。でも、ひとりじゃない今日は少しくらいならいいんじゃないかと、久々に熱めのお湯を楽しんだとのことだった。
よほど気持ちよかったのか、少し長湯してしまったらしい。
それやん。
いや、先生にダメって言われてたのになんでやったん。と孫の私。
心臓に負荷がかかって血圧に影響したのは、簡単に想像できる。
救急搬送された先では、CT検査から血液検査からなにからなにまで検査していただいたそうなのだけど、どれも異常はなかったそう。
「原因不明です」とドクター。
データ上、とっても健康だったならそれはそうだと思う。
けれど十中八九、引き金はお風呂だ。
検査で異常はなかったと言っても、その後の病院のベッドでユリコは尿失禁していた。気づかぬうちに漏らしたのは初めてのこと。
おそらくは、脳からの伝達がどこかしら遮断されている場所があり、それはずっとではなく、遮断されたり開通したりしていたのではないか。
よく旅行を続行したなとも思ったけど、大分でのユリコはいたって元気だった。ただ、その夜はみんな一緒にお宿の大浴場へ行き、温泉にはさっとつかるだけにして早々に切り上げた。
熱めの温泉というわけではなかったからまだよかったけれど、ずっと隣に付き添っていた母は気が気じゃなかっただろうと思う。
「あの時はおしゃべりしてたら、なんとなくお腹がぎゅうっとなった気がして、お腹に手を当てたら眠くなってそのままよ」
「寝たとも思ってなかったし、いつものマッサージばしてもらってると思ってたけん」
「痛みも苦しみもなくああやって逝けたら幸せよ~」
とユリコは言っていた。それは私も憧れる死に方ではある。
誰だってピンピンコロリがいい。
母にとってはもう恐怖体験だったらしく、救急車に同乗し、なにか記入するのにも手が震えて字が書けなかったそうだ。お疲れやで。
というので、救命講習を受けておくことの大切さを私も再確認した。
本当にいつどこで役に立つかわからないし、役立つ現場なんてないほうがいいけど、知識として持っているだけで道が分かれることがあるから。
いやいや、でも救命講習って手続きとか面倒なんでしょう?
なんて思ってしまうような人には、まずは地域の消防に問い合わせていただきたい。なにも難しいことはない。予約さえ入れてしまえばきっとえいっと動ける。といいなと思う。
誰かの「命を守る」ために「学ぶ」のだから、時間や多少の手間がかかるのは当然だ。
個人的には「手間」だとは思わなかったし、その時点で中1だった中2女子もしっかり学べたくらい易しい講習となっている。
もし手間だったのだとしても、その小さな手間で、目の前の人をただ眺めるばかりで諦めずに済む瞬間があるなら安いものではないか。
習ったからと言って、突然の現場で習った通りには私もきっとできない。
でも、知識の有無は確実に差を生む。
別府旅行を終えてユリコとの別れ際、私は「心臓を止めないように。元気で過ごすんよ!」と言った。ミチコさんには感謝が尽きない。
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