チャントの歌詞から探る 魅惑のポーランド・フットボール|Fascynująca polska piłka nożna poprzez teksty przyśpiewek kibicowskich
2018年3月、ポーランド南部の古都・クラクフにあるヘンリク・レイマン・スタディオン。そのメインスタンドに僕はいました。
初めてのポーランド。初めての海外でのサッカー観戦。初めてのポーランド1部リーグ・エクストラクラサ。ポーランド語の学習を始めてから1年にも満たなかった当時の僕にとっては、目に映るもの、鼓膜を震わせるもの、心に響くもの、そのすべてが新鮮で、かつてないほどのドキドキとワクワクに満ちていました。
そんな僕を最も惹きつけたものこそ、ポーランドの熱狂的なサポーターであり、彼らの歌うチャントでした。
正直、ポーランド語の歌詞は聞き取れなかったし、ましてや意味などわかりもしません。それでもピッチでの攻防そっちのけで、"Młyn"(ポーランド語で「ゴール裏」を指す語。一般的な意味は「(水車や風車が備え付けられた)粉ひき小屋」)からスタジアム中に響きわたるチャントを、いつか聞き取れる日が来ると信じて撮っていました。
あれから3年半。ポーランド語とポーランド・フットボールについての知識を多かれ少なかれ身につけた僕が、5年間の大学生活のある種の集大成としてこのnoteを書きます。
さあ、目の前のゲートをくぐればそこは非日常です。
ようこそ、魅惑のポーランド・フットボールの世界へ——。
クラブは街の誇り -To są POLSKIE przyśpiewki kibicowskie-
ポーランドに限った話ではありませんが、フットボールとその土地というのは切っても切れない関係性にあります。それはサポーターにとっても同じです。「俺たちの街にあるクラブ」だからこそ、彼らは歌う。まずはクラブとホームタウンの関係性を感じられるチャントを2つご紹介します。
W Grodzie Przemysława! - Lech Poznań
レフ・ポズナンは、ワルシャワとベルリンを結ぶ直線上の中間地点あたりに位置する街・ポズナンにあるクラブで、今季がちょうどクラブ創設100周年のシーズンにあたります。かつてレフでもプレーし、この街からドルトムントへと巣立っていった選手に、今や世界最高のフォワードの栄誉を手にしたロベルト・レヴァンドフスキがいます。また、マンチェスター・シティのファンが披露することでも有名で、サポーター同士がピッチに背を向けて肩を組みながら踊る「The Poznań(ポズナン・ダンス)」の名前も、2010年のUEFAヨーロッパリーグでシティのファンがレフの応援を見て、後にそれを真似したことがきっかけで広まりました。
「Kocioł(レフゴール裏の愛称。ポーランド語で「ボイラー」の意)」に陣取るサポーターによって歌われるこのチャントは、「ヤギがぶつかりあうプシェミスワフの街で!」という力強いフレーズから始まります。タイトルにもなっている「プシェミスワフの街で」の「プシェミスワフ」とは、1295年にポーランド王に即位し、ヴァルタ川左岸に位置する現在のポズナンの街に本拠地を構えたプシェミスウ2世を指します。つまり、今あるポズナンの街の礎を築いた人物こそが「プシェミスワフ」なのです(ここでは細かい説明は省きますが、プシェミスワフとプシェミスウは同じ名前だと思ってください)。そしてもうひとつの特徴的な歌詞である「ヤギがぶつかりあう」とは、ポズナンの旧市街地で毎日正午になると見ることができるからくり人形のことです。まさに唯一無二にしてレフ・サポーターの代名詞。ポズナンのサポーターにしか歌えないこのワンフレーズからは、ポーランドの(事実上)最初の首都が誇る偉大な歴史を感じることができます。
Jesteśmy dumą tego miasta! - Wisła Kraków
ヴィスワ・クラクフは、近年こそタイトルから遠ざかっているものの、リーグ優勝13回を誇るポーランドのビッグクラブのひとつです。現在はドルトムントでも長く活躍し、「Kuba」の愛称で親しまれている元ポーランド代表のヤクプ・ブワシュチュコフスキがキャプテンを務めます。
このチャントの歌詞は日本語だと次のようになります。「俺たちはこの街の誇りだ そして俺たちのハートには白い星がある たとえ苦しいときでも 俺たちは決して屈しない オレオレオレオレ 俺のヴィスワよ 愛してる」。「Biała Gwiazda 白い星」とはエンブレムにも描かれているクラブのアイコンです。
ここでフォーカスしたいのは言語としてのポーランド語の美しさです。まずはチャント全体で韻を踏んでいることに気がつくでしょうか。「…miasta, …Gwiazda!」の -iasta と -iazda。後半部分の「…źle, …się! …Cię!」の -ie。日本のチャントにはあまり見かけませんが、ポーランドのチャントではこれに限らず韻としての響きが重視されているように思われます。ポーランド語は名詞の格変化や動詞の活用が複雑で、僕のようなポーランド語学習者を常に悩ませていますが、語の形自体が変わるおかげで文法上は比較的自由に語順を組み替えることができます。そのため、日常会話ではあまり選択しない語順でも、チャントでは歌詞の響きを重視して語の順番を組み替えることができるのです。
そして注目したいもうひとつのポイントは「呼格」の使用です。先ほど、ポーランド語の名詞は格変化をすると書きました。これは名詞の語尾が変化することで(ポーランド語では7種類の格変化がある)、その語が主語なのか、目的語なのかなど、文中での機能を語単体で示すことができるというものです。「呼格」は少し特殊なもので、文字通り「誰か/何かを呼びかけるとき」に用いられます(例:手紙の「拝啓〇〇様へ」など)。このチャントでは、最後の Wisełko moja に呼格が使われています。僕があえて「俺のヴィスワよ」というあからさまな訳語を選んだのは、Wisełko moja が呼びかけの形だからです。呼格を用いることで、サポーターから選手へ正真正銘「呼びかけている」ことがはっきりとするため、チャントでも意図的に使い分けることができ、伝えたいメッセージのニュアンスにバリエーションがもたらされます。
ちなみに『W Grodzie Przemysława!』での「Lech, Lechu, Lechu, ukochany klubie nasz!」は、最初の Lech 以外はすべて呼格が使われており、「レフ、レフ、レフ、俺たちの愛するクラブよ!」となります。
簡単な語彙でシンプルだけれども、スタジアムにいる全員の心を震わせるようなメッセージ性。僕が初めてポーランドに渡り、クラクフに滞在した際にいちばん初めに覚えたチャントこそ、この『Jesteśmy dumą tego miasta! 』でした。
クラブ間の同盟関係 -Zgody i Kosy-
チャントの紹介の前に、まずは次の動画を見てみてください。今季のシロンスク・ヴロツワフ 対 レヒア・グダンスクの試合にて、シロンスク側のゴール裏の応援風景を撮影したものです。
この動画をご覧になって、何か気づくことはありませんか? そうです。クラブカラーが両チームともに緑色なのでパッと見ではわかりづらいですが、両クラブのサポーターが同じスタンドで応援を展開しているのです。
サムネイルに写っているメインの横断幕にも、向かって左側には "Śląsk Wrocław" 、右側には "Lechia Gdańsk" の文字が、同じ布に仲良く書かれています。幕の中央にはポーランドの国土を象ったエンブレムから両クラブのマフラーが垂れており、その下部には "Najdłuższa Przyjaźń w Polsce Najlepsza Na Świecie(ポーランドで最も長く続く、世界一の友情 )" と記されています。
なぜこのような光景が見られるのか? それは、この両クラブ(正確にはそのサポーター同士)がZgodyと呼ばれる「同盟」を結んでいるからです。Zgodyを結んだクラブのサポーター同士は、次に紹介するような、お互いを応援し、称えるチャントを歌ったり、ときにはアウェイ遠征時の手助けをしたりすることもあるようです。
Hej kibicu zgoda święta rzecz! - Lech Poznań
『さあサポーターよ Zgodaは聖なるものだ』というタイトルのこのチャントはレフサポーターによって歌われます。歌詞の2行目、「Tylko Pasy i poznański Lech!」は「ストライプとポズナンのレフのみ!」と日本語に訳すことができます。ここでのストライプとは、レフとZgodyの関係にあり、赤と白のストライプのユニフォームが特徴のクラコヴィア・クラクフを指します。このチャントの最後は「(クラコヴィアとレフの)友情はいつまでも続くはずさ!」で締められていることからもわかるように、ただお互いを称えるために歌われているのです。
世の中には「敵の敵は味方」という言葉があります。レフとクラコヴィアは同盟関係、クラコヴィアの同じ街のライバルはヴィスワ。となると、レフとヴィスワの関係性は言わずともわかると思います。チャント動画のサムネイルに見られる黒い幕の中央には白い星が赤いマークで否定されているという事実が全てです。
legia legia legia ku*wą jest! - Lech Poznań
クラコヴィアとヴィスワ、ヴィスワとレフのように、Zgodyの反対で、ライバル関係(というよりむしろ敵対関係)のことを、ポーランド語ではKosyといいます。ドイツではバイエルンが、日本でも浦和レッズや、近年だとヴィッセル神戸がどこか目の敵にされるように、ポーランドではレギア・ワルシャワを敵対視する(=Kosyの関係にある)クラブが多くあります。これには強豪クラブだから、金満クラブだから、首都のチームだからなど理由は様々ですが、レギアと他のクラブの関係性にはポーランドならではの歴史的背景があります。
第二次世界大戦後、レギアは当時の共産党当局の指導のもとチーム名を「CWKS(中央軍スポーツクラブ。CSKAモスクワの「ЦСКА」と同義)」に改称します。当局はレギアをCWKSの名に見合う強豪クラブにしようとし、同時期にポーランド国内の各クラブの主力選手が多数このCWKSに移籍したことから、レギアはポーランド・フットボールの「嫌われ者」になった、という経緯です。
このチャントは汚い表現が多い(というより汚い表現しか使われていない)ので、カタカナ転写も日本語訳も載せませんが、チャントの雰囲気やイメージとしては、某横浜のクラブの罵倒チャントを思い浮かべてもらえたら多少は伝わるかと思います。
ひとつだけ解説をするなら、それは歌詞の表記についてです。ポーランド語では固有名詞を表すときだけでなく、尊敬の意を示すときにも大文字を用います。例えば、『Hej kibicu zgoda święta rzecz!』での Pasy は、通常ならば「ベルト、車線」などを意味する一般名詞であるため、小文字の pasy でも問題ないはずですが、チャントの歌詞では同盟関係にあるクラコヴィアをリスペクトするために大文字で表記されています。また、『Jesteśmy dumą tego miasta!』の「Wisełko moja kocham Cię!(ヴィスワよ 愛してる)」での Cię は「あなた(を)」というただの代名詞ですが、ここでは愛するチームを指しているため c が大文字で書かれています。
しかし、今回のレフのチャントではどうでしょうか。本来ならば固有名詞であるため、大文字にすべき Legia というチーム名を意図的に小文字 legiaで表記しています。それどころか大文字は文頭にもどこにも使われていません。スタジアムに響く声に大文字も小文字もありませんが、レフのサポーターは歌詞の表記を通じてレギアに最大級のディスりを送っているのです。
サポーターは愛を歌う -Hymn śpiewa cały stadion-
日本ではサッカーでの応援歌は「チャント」とくくることが多いですが、ポーランドでは「Przyśpiewka」と「Hymn」という2つの語で区別します。前者はいわゆる「チャント」、つまり同じメロディに歌詞をのせたものを繰り返し歌うものです。後者は合唱のニュアンスに近いでしょうか。選手入場時や試合中の特定のタイミングでスタジアムが一体となって歌うようなタイプのものです。日本でいう松本山雅FCの『信濃の国』や、ヴィッセル神戸の『神戸賛歌』が Hymn にあたります。最後のこの項では、ポーランドでも高い人気を誇る美しいチャントを2つご紹介します。
Sen o Warszawie - Legia Warszawa
ポーランドの多くのサポーターから嫌われているレギア・ワルシャワは、UEFAのコンペティションにも度々出場しているポーランドでも屈指の強豪クラブです。ポーランド語を専攻する以前の僕にとって、レギアはチャンピオンズリーグでドルトムント時代の香川がわずか76秒で2ゴールを決めた相手という印象が強かったです。サッカーファンの方なら、欧州でも屈指の熱狂度を誇り、事あるごとにUEFAとバチバチやりあっているレギアのファンを思い浮かべるかもしれません。
このチャントについて、2018年3月10日付のWyborcza紙で紹介があったので、ここではその記事の要旨を紹介します。
この『ワルシャワの夢』という歌をチャントにしようと考えたのは、週刊誌「Nasza Legia(我らのレギア)」の創刊者 ヴィエスワフ・ギレル。彼は車の運転中にラジオから流れてきたこの曲を耳にするやいなや、レギアの職員を通してクラブ幹部にこの歌をスタジアムで流すように求めました。その後、音響担当との調整などを経て、2014年3月12日の試合で『Sen o Warszawie』はデビューします。
すぐにサポーターの大合唱とはならず、歌詞すらまともにおぼえていない人も多かったのですが、あの「Nasza Legia」に掲載されたことをきっかけに歌は瞬く間にサポーターの間で広まり、試合前に歌われるようになりました。
そもそも、この『Sen o Warszawie』は1966年にチェスワフ・ニエメンの作曲、マレク・ガシンスキの作詞で生まれました。当時のガシンスキは作詞の初心者ということもあり、「作品」をつくるというよりも、どこか「お試し」で作っていたと述べています。また、作曲のニエメンが自身のコンサートで披露することも少なく、『ワルシャワの夢』は傑作とは呼べませんでした。
しかし、そんな歌が、何十年もの時を経て、スタジアムに集うレギア・サポーターによって歌われています。レギアのゴール裏スタンド Żyletaを染める白色のサポーターは、チャントの歌詞にもある「warszawskie kolorowe dni(ワルシャワの色とりどりの日々)」を今日もさらに美しく際立たせています。
Jak długo na Wawelu - Wisła Kraków
最後に紹介するのはヴィスワ・クラクフの Hymn 『ヴァヴェルにある限りは』です。原曲は戦前に歌われることの多かった愛国歌『Jak długo na sercach naszych(我々の心にある限り)』という歌です。リフレインの前半部分はオリジナルの歌詞「Zwycięży orzeł biały, zwycięży polski ród(白鷲の勝利だ ポーランド民族の勝利だ)」がそのまま歌われています。
チャントの歌詞にある Wawel とは、クラクフにあるヴァヴェル城のことです。ワルシャワに遷都するまではクラクフがポーランドの首都で、歴代のポーランド国王はヴァヴェル城に居城していました。そしてチャント中の Wisła は、もちろんチーム名も指しますが、同時にポーランド最長の河川でクラクフを流れるヴィスワ川のことでもあります。
ポーランドの怒涛の歴史のなかに宿る民族の強さ、長きヴィスワ川とともに歩んできたポーランドの繁栄、そして歴史ある街の誇りと決意がクラブに重ねられて、優しいメロディとともにスタジアムに響き渡ります。
ポーランドのサッカーシーンにおける国家権力との関係性、レギアのコレオグラフィーに込められたメッセージ、ポーランド語での「ファン・サポーター」を指す語彙の豊富さなど、このnoteでは紹介しきれなかったことがまだまだたくさんあります。今回紹介したチャントの歌詞からだけでもこの国のサッカーや国そのものの歴史までもが見えてきたのではないでしょうか。
フットボールは歴史と、文化と、言葉と、そして人々と繋がっています。ポーランド・フットボールはリーグやクラブが持つ歴史以上に、この国の壮絶な歴史や豊かな文化を反映しているのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?