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「高次脳機能障害」ってなんだろう?

夫が交通事故に遭い、事故6日後に高次脳機能障害であると診断されました↓

さて…高次脳機能障害ってなんだろう。


東京都医師会の公式サイトによると、

“高次脳機能障害とは、病気や事故などのさまざまな原因で脳が部分的に 損傷されたために、言語・思考・記憶・行為・学習・注意などの知的な機 能に障害が起こった状態を指す”      

というもの。

はたしてこれは治るものか、一生付き合っていくものか…わからないなりにドクターやリハビリの先生にいろいろ尋ねてみました。



ー高次脳機能障害の原因は何ですか?

高次脳機能障害は、一般的に脳梗塞や脳出血、くも膜下出血などの脳血管障害や脳外傷が原因で起こる障害の事です。

「ご主人の場合は、交通事故による外傷性くも膜下出血が原因です。また、脳の至るところにCTでも見つけられない小さな損傷(びまん性軸索損傷)があるため、今後どのような後遺症が残るかはっきりと言えない」とのこと。

このまま寝たきりになってしまう場合もあれば、会話さえできない可能性もある。人によって、脳の損傷具合によって、大きく変わるという話をされました。

―高次脳機能障害は治るの?

次に「高次脳機能障害は治療できますか?」ということを聞いてみました。

リハビリの先生は、少し困った顔をしながら、「基本的にはこれといった治療法はなく、できないことに対して補助をしていくようなリハビリをします。

たとえば記憶ができない場合には、紙や付箋を使ってメモを取る習慣をつける。そのようなトレーニングをしていきます」とのこと。

つまり、治るものではない。そんな風にも聞こえてしまいました。

ほんの少しでも可能性があるなら治したい!いろんな先生に話を聞いたり、検索したりしていると「リハビリで身体機能や高次脳機能はある程度回復する」ということが見えてきました。

そのなかでも、私が一番心強い!と感じたのはこちらのサイト。

ここでは「脳は、適切な方法で働かせることで、損傷を受けた部位の代わりとなる新たなネットワークをつくり、機能を回復させることが可能」と書かれています。

もちろん全快!とはいかないかもしれないけれど、ほんの少しでも「回復する・治る」という医師の声があることが、とても心強く感じました。

夫は幸運にも、能力の高いリハビリスタッフに恵まれ、当初の予想より早いスピードで回復していきました。

リハビリを死ぬ気で頑張った夫の6カ月

夫はとにかくリハビリに一生懸命でした。「何がなんでも元の自分に戻りたい」と言い、有酸素運動をはじめハードな筋トレ、漢字や数字を使った脳トレまで、弱音は一切吐かず、涙も流しませんでした(感動して泣くことはしょっちゅう)。

もともと体育会系だったのも良かったのかもしれません。6カ月みっちりとハードなリハビリをこなし、着実に結果も残してきました。

そんな記録を簡単に残してみたいと思います。

▶事故後1週間〜2週間の様子
・事故以前の記憶がほとんどない。家族の顔がわからない日もあった。
・文字が正しく書けない。漢字間違い、ひらがなの型崩れがとても多い。
・せん妄により常に恐怖心を感じていた。
・ラグビーを見てサッカーという。
・急に滋賀県に住んでいると言う(全然違う)。

事故後1週間ほどは、夫は私が面会に行っても「誰ですか?」という顔でポカーンとしている日がありました。ほぼ寝たきりで、車いすに10分すわることがやっと、という状態でした。

変化が訪れたのは事故後3週間めくらいから。

▶事故後3週間~4週間の様子
・少し前の記憶はないが、昔の記憶は戻った。
・ひらがな、漢字など、問題なく文字が書けるように。脳トレのプリントで成果が出始めた。
・ICUから個室へ。子供たちと面会が叶ってリハビリにやる気が出てきた。
・車いすに座れるようになった。
・気管切開が外れて会話ができるようになった。
・少しだけLINEを送れるようになった。

一般病棟へうつり、子供と面会ができるようになったことでますます良い変化が見られました

「髭を剃りたい」「髪を切りたい」と身なりを気にするようになり「いつものパパ」の姿を見せようと頑張っている様子が伺えました。

またリハビリの先生と毎日過去の記憶をさかのぼることで、少しずつ記憶を取り戻しました。少しずつ車いすの時間が増え、筋トレも始めました。

▶事故後2カ月の様子
・自分で食事ができるようになった。
・自分の病状を理解し始めた。
・過去の記憶をほぼ思い出せた(事故当日は思い出せない)。
・新しい出来事は覚えられない。
・会話が問題なくできるようになった。

夫はこの頃リハビリ病院に移りました。

新しい病院では、毎日PT・OT・STすべてのリハビリを50分ずつ行ってもらい、身体的にも精神的にもかなりイキイキとし始めました。

ここの病院の良いところは、患者が自由に過ごせること。毎日リハビリの時間は決められているものの、病室→リハビリ→コンビニ→お風呂など、ある程度自由に行動してもOK。

病院にいるけれど、自分でスケジュールを組んで生活するという「自立」を与えてもらえたので、病人扱いされない点が良かったです。

▶事故後3カ月の様子
・興味のあること・毎日繰り返し行うことは記憶できるようになる。
・頭痛・めまいが出始めた。
・杖をついて歩けるようになった。
・外出許可が出て、外食がOKになった。

事故後3カ月がたつ頃には、外食に行く楽しみが出来、今度家族で何を食べようか考えることがリハビリの原動力になりました。

もっと遠くの店に行くためには、もっと歩行練習をしよう!」というような感じ。美味しい食べ物のパワーは強力ですね。

▶事故後4カ月の様子
・興味のあること・毎日繰り返し行うことは時間がたっても記憶を保てるようになった。
・人の話を聞いて覚えること・目で見て覚えることはまだ苦手。
・バス・電車に乗ることができるようになった。
・病院から外泊許可が下りて、娘の卒園式に出席できた。

事故後4カ月ごろから退院後の生活を想定し、外泊やバス・電車のリハビリを始めました

夫は交通事故だったので、乗り物への恐怖心が強く、最初は1駅、1停留所から少しずつ長い距離を乗れるように慣らしていきました。

ここの病院では、社会復帰・職場復帰に向けて、必要なことをリハビリでトレーニングしてくれます。例えばパワーポイントを使っての資料作りなどもリハビリの一つです。

▶事故後5カ月の様子
・パワーポイントを使用して資料を作ることができるようになった(事故前より3倍かかる)。
・退院。杖がなくても歩けるようになった。自宅からリハビリに通う生活へ

病院にPCを持ち込み、いつもの3倍以上の時間をかけて資料を作成していました。時間がかかる上に内容も以前より劣るもの。本人はとても悔しい気持ちを感じているようでした。

医療関係の人や保険会社の人にとってはPCができる=社会復帰可能として判断する人も多いようですが、実際はそうではありません。

元の能力に対してどれぐらい戻っているのかで判断をしないと、早期に社会復帰を促されてつらい思いをするのは被害者である患者本人です。

どうか正しく見極めてほしい、と思います。


苦しかったリハビリを経て退院へ。娘の入学式にも出席できた!


入院してから5.5カ月後、夫は無事退院。

長かった入院生活を終え、また家族一緒に暮らせることになりました

当初から夫は「娘の入学式までに退院する」を目標に、毎日つらいリハビリを頑張ってきました。そして見事に娘の入学式に出席。

事故直後には「かなり重い後遺症が残るかもしれない」と予想されていましたが、現在では自分の足で歩き、楽しく会話をし、ご飯も食べられています。

今でも全身の痛みやめまい、精神不安など、多数の不自由さは残っていますが、今後もリハビリを続け、少しでも明るい未来を目指します。

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今年の4月「入学式にパパが来てくれるんだ~」と嬉しそうに語る娘の表情は、とっても輝いていました。

それもこれも、今まで夫をサポートしてくれた全ての人のおかげだと思います。

ありがとうございました。

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