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誰かのせいにするメリット

「オレは15年間ずっと我慢してきた〜💢」と父に言ったね。あれは、良かった‼︎自己主張できる息子に母はほっとするよ。3つ上の長女が反抗する様子を見ていたからか、次子のあなたは自己主張するより、どこか調整してしまうところがあるようだったから。

新型コロナで学校は始まらないし、鬱憤が溜まっていたのもあったんだろうけど、この3月から使い始めたスマートフォンの使い方で父と言い合い。そこから「父が気分で叱ったりするせいでオレはずっと我慢してきた💢」といった父の今までの理不尽さを責める発言になっていった。

私たちは下手すると大きく分けた3つの役割のどこかにいることがあるのね。それは「被害者」「加害者」「傍観者(批評家)」。

この役割のうちで最も注意すべきは「被害者」だと母は思っている。
何かのせいで、誰かのせいで、今の自分がこうなったという被害者意識を持つ、持ち続けることにはメリットがあるから意識しておいて欲しいの。

例えば、
・私は被害者だから自分から何もしなくていい。
・被害者になることで相手(今回のケースでは父)を加害者にでき、攻撃できる。
・被害者(可哀想な自分)になることで自己確認できる。
とかね。

もちろん小さい頃は生まれた環境に適応せざる得ない、仕方ないところが多分にある。けど、成長するほどにだんだんと自分で選択できる幅が広がってきている。それなのに、持ち続けている悲しい過去(今回の場合なら、父が気分で叱るせい)を手放さず被害者で居続けるメリットには、現状は自分の責任じゃないっていう被害者意識がある。

今を誰かのせいにしていると、その誰かが変わらなければ自分が変わらないことになり、人生の主導権がその誰かのものになってしまう。ましてや、誰かのせいであることを証明するためやその相手を責める道具を得るために、自分が幸せにならないことをわざわざ選択して「ほら!あなたのせいでこうなっている。あなたは苦しむべきだ!」といった人生を選択してしまっては、その相手のために生きているようなもの。仕返しのための人生になりかねない。

ただ、父はすぐにあなたに謝ったよね。「それは申し訳なかった」と。「今後はそうしない」とも約束した。父が責任を取れる部分は引き受けて、それ以外の責任はあなたに返した。責任を返されたあなたはスマホを使用する時間を約束することで、自分の責任を引き受けた。つまり、「被害者」「加害者」「傍観者(批評家)」のどこにも属さず、自分の中心に戻された。あなたの人生の主導権はあなたにあることがはっきりした。誰がどう指示やアドバイスをしようと、あなたの人生の最終決定権はいつもあなたにある。

こういったことを何度も繰り返しながら、思春期は青年期に移っていくんだよね。ふぅー。正直、疲れる。
 けど、母も娘だった時期は自分の両親にこんな想いを確かにさせてきた。
子育ては「お母さん、お父さん、ごめんね。」と心でいつも謝る日々で、改めて「ありがとう」と感謝する日々なんだなぁ。立場が変わると同じことでも違う面が見える。成長しているのはあなただけじゃない。私たち親も同時に成長していってるんだろうね。それほどに親は未熟だとも言えるな…。
未熟者同士、頑張りまっしょ。