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サステナブル・ハビット

 明け方の渋谷のセンター街で、若者たちがオアシスのDon't Look Back In Angerを歌っている。アルコールに侵された彼らの脳では英詞を上手く発音できないのだろう。分からないところは強引にハミングで誤魔化し合ってはいるが、皆楽しそうだ。

 日本から8167㎞離れた街では今日もミサイルが降り、遺体にはブルーシートが被せられ続けている。遠くで爆撃音を聞いた家族はベッドから起き上がり、身を寄せ合いながら家の外に出た。
 一足遅れて寝袋から出た彼は居候中のカメラマンで、起き上がると彼はすぐにカメラを手に持ち、シャッターを切った。
 すると家族が振り返って一人娘がピースサインをした。少し遅れて夫妻が振り返り、娘の頭の上で掌を重ねる。写ったのは、そこだけ赤く明るい空を背にして微笑んでいる三人家族の姿で、想像していた表情と違い、彼は戸惑いを覚えた。

 翌朝、母親はすでに台所に立っていて、父親は仕事へ出かけていた。彼は幼い頃、いつまで寝てるのと叱られた記憶を思い出しながら朝食をとり、午前中はカメラの手入れや、一人娘の子守に勤めた。時折鳴り響く爆発音さえなければ、街の人々の営みは循環しているように見える。
 午後になると作業を終えた父親が帰ってきて、彼を釣りに誘う。こんな状況でも釣りに出掛けるのか、危なくないのかと尋ねると、竿を片手に持った父親は一度だけ首を縦に振り、家の外へ出ていった。
 バンに乗り込み乾いた道を走り続けている間も、戦地の状況をラジオは絶えず流し続ける。父親は窓を開けて口笛を吹きながらスピードを上げた。
 港に辿り着くとすでに先客がいた。父親は構わず少年の隣で釣り糸を垂らし、彼もその隣で同じように釣り針を水面に向かって投げ込む。浮きは風のままに揺れ、また投げ込まれては波のままに流れる。
 人懐こい性格をしているのだろう、少年は父親とすぐに仲良くなり、彼がカメラを向けると必ずへんてこなポーズをとるので、撮れた写真はどれもぶれている。
 誰も魚はつれないが、話は盛り上がる。
 少年は絵描きを目指していて、今は友達の空きガレージを会場にして展示を行っている。彼がそこへ行っていいかと訊くと、少年は嬉しそうに笑った。
 ガレージに飾られた少年の絵は美術品というよりかは、落書きに近く、決して練度は感じられない。だがどの絵にも活力が漲っていて、少年によって描かれたこの街の住人達の笑顔は鮮烈な色遣いで塗られている。
 夢中になってそれらを撮り収め続けていると、少年がこれからここでちょっとしたパーティがあるからいて欲しいと誘ってくる。彼は少し迷ったが、帰国の予定をキャンセルしてパーティの招待を受けた。

 外出禁止令が出ている夜10時までのナイトパーティ。
 閑散としていたガレージには、若者がひしめき合っていて、誰もが音楽に合わせて体と心を躍らせている。ガレージの様相が変わると少年の役割もDJに変わり、使い古したブースに立つ姿はいくらか様になっている。
 少年を撮り、カメラを向ける彼は、どこからこの人達は沸いてきたんだと戸惑いながらも、シャッターを切り続ける。なんとなく音楽に合わせて腰を揺らしていると一人の若者が彼の踊りの拙さを揶揄った。すると若い女が頼んでもいないのにレッスンを始め、彼が教えた通り踊ると若者たちはまた笑った。気恥ずかしさも、危機感も、何もかもを捨てて、音楽に身を委ねるとそこにはいつの間にか渦が生まれていた。
 渦中の景色は彼が大学生の頃に見た景色と類似していて、日本でもこの国でも変わらないことがあるんだと彼は実感する。渦の外では酒におぼれた若者が気持ちよさそうに数人倒れている。

「こっちへ来る前はもっと深刻だと思っていた。でも、まさかこんな夜がくるなんてな」

「たのしいだろ?」

「ああ。これが君の生活なんだな」

「忘れるな。どんな状況でも楽しむんだ。わかるだろ? 君は写真を撮ってる。きっとそれはどんな状況でもそうする。だから俺も友達と会って、音楽を聴いて楽しむ。俺はこの習慣を続けていくよ。持続可能だとみんなに証明し続けるためにね」

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