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4_koto_bungaku

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四コマ漫画みたいなノリで書けないかなと思い、始めたショートストーリー集です。
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#掌編小説

ストロー

 4月を待たずして、桜は散ってしまいそうだ。  公園の花見スペースにはいくつもブルーシートが敷いてあり、肩を寄せ合って春風の匂いを楽しむ男女もいれば、頭上の景色そっちのけで酒盛りに興じる中年男性グループもいる。  皆、仄かに頬が赤く、目尻が蕩けていて幸せそうだ。  ブルーシートの端に桜の花弁が舞い落ちる。頭上にある真っ青な空に旅客機が一機飛んでいるように花弁は目立ち、三人家族の娘が拾おうと手を伸ばした。すると風が吹き、隣のブルーシートへ転がっていってしまうので、娘は青年の背中

ワルツ・フォー・デビィ

「お前にとっての音楽ってなんだ?」 「そういうことはあんまり考えたことがない。考えないようにしてるってのが近いかもね」  この曲を作った時、そう答えたのを今思い出したよ。  あれは、3月頃だったかな。  兄夫婦に一人娘が生まれた。それはもう嬉しくてさ、赤ちゃんてすごい温かいんだね。僕びっくりしちゃってさ、気づいたら泣いてて、それを見た兄さんたちが笑っててさ、それで3人でひとしきり祝福しあったんだよ。  それからさ、なんとなくだけど、ここからは夫婦の時間だろうと思って、病室

メロン・ビーチ・クラブ

 レンズの分厚いメガネが似合うふみちゃんはプールの授業をさぼって屋上にいた。太腿の上にはお弁当用のバッグがあり、チャックを閉めたまま誰かを待っている。  建付けの悪いドアが音を立てて開く。  長い前髪で顔が隠れたうみちゃんが手を挙げた。彼女が持っている袋の中には夕張メロン味のミルクとレタスとハムのサンドウィッチが入っている。  消毒と着替えを終え、プールサイドには生徒たちが集まっている。今日はクロールの25メートルのタイムを計る日で、生徒たちはやりたくないと思いながら、日差

ドライアイス

 マイナス79度の二酸化炭素は空気に触れると昇華され、大気中の水分を逆に凍らせながら、白い煙となる。 「なんで、まだあの男と付き合ってんの?」  喫茶店の窓際の席、外気と室内の温度差でガラスは結露している。  彼女には付き合って6年の彼氏がいて、向かいに座る彼女の親友は結婚して三年目だ。親友の夫は馬車馬で、ファミリーカーであり、もはやレジャーシートだ。そんな親友のことを彼女は心から尊敬し、常に正しいと思っていた。  それでも前髪を真ん中で分け、耳のあたりから鎖骨まで緩く巻

バックレスト

 事の始まりは2月14日だった。 「好きです」  真っ白くなった指が、インクで擦れて汚れたアームカバーを摘んでいる。男の手には個包装されたチョコレートが収まっていた。  男は拳から両肩へと、震えを辿どるように彼女を見ている。目の前には幼気な旋毛があった。  男の薬指は光っている。俯いている彼女はそれを見つめている。通りかかる学生が彼らをちらりと見る。  ひとりの女子高生が事務員の男に縋り付いていた。 「じゃあ、1度でいいからデートしてください。映画見てお茶するだけでいい

トークボックス

 AM5:50。  僕は彼らの住所、誕生日、電話番号、本名を知らない。分かっているのはSNSのアカウント名と、LINEのID。夜明けになるといつも同じファストフード店に集まっていることぐらいだ。そして、僕同様、彼や彼女達も互いに互いを知らない。 kyoko ねえ、聞いて。 今日さ、相席屋からのクラブだったんだけど あたしと友達、男二人で4人出来上がってんのに、めっちゃ絡んでくる奴いて でもイケメンだったからホテル行ったの。 そしたらソイツ暴力団でしたww で、怖くなって今、

ミステリー

 炉に入った彼女の母親、あるいは彼の妻だった遺体は炎によって、肌を焼かれ、肉を削がれ、全てを奪われたあげく、ただの骨になった。  近隣住民から、あの人いつまでも年取らないわよねと羨まれていた美貌も、そんな当人がメイクで必死に隠そうとしていたこめかみのシミも、等しく焼き尽くされ、煙となった。  黒く艶のある石で四角く囲われた台の上には仰向けの状態になった白骨体がある。それを囲む遺族たちは故人を想い、鼻をすすりながら目元を拭っている。  火葬場のスタッフのアナウンスで骨上げが

ソーセージマフィン

 深夜一時過ぎの休憩室で私は食後にプリンを食べていた。  卵の味が濃厚なやつで、いつも買っているものより、色味が濃く、値段も高い。  二四歳の時に上京してきた私は、当時、賃貸管理の会社に勤めていた親戚の叔父さんを頼ってアパートを紹介して貰った。すると叔父さんは、知り合いが店長をやっているからと、雑居ビルの2階に入っている居酒屋のバイトも教えてくれて、私の東京生活はエスカレーターのように自然と始まった。  きっとその時の無知さと、怠惰によって生まれた負債を、私は今も支払わされ続

ニルヴァーナ

「わたしより井上さんの方がこの分野の経験ありますし、これぐらいできますって。よろしくお願いしますね」  彼女はこの日、定時でどうしても帰りたかった。  その理由はマッチングアプリで知り合った男との居酒屋デートだった。  中途採用で入ってきた3歳上の新人との何気ない会話のつもりだった。  3歳上の新人はその1週間後に過重労働を理由に会社をやめた。  部署で開いた送別会で、三歳上の新人はたらふく酒を飲み、串カツを頬張り、よく笑っていた。周りは巻き込まれるように騒ぎだし、縦に長

プレイヤー

 街灯の明かりが少しずつ減っていき、交代を告げられた朝焼けが頭上の空に橙と青のグラデーションをつくった。  両手で囲う小さな窓から人々を覗く。  駅の改札から溜息のように吐き出されたた人々はスクランブル交差点で歩行者信号が変わるのを待っていた。 「いい加減プロになりなよ。生徒はあくまで生徒。割り切らないと」  実習の時も、就職面接の時も着続けてきたスーツを纏い、彼女はパンツのポケットに手を突っこんでいる。ジャケットの上にはアイボリーのライトダウンを羽織り、首に巻いたマフラ

ステップ・イントゥ・インサニティ

 彼は売れない画家だ。  平日昼過ぎの電車内で彼はクロッキー帳を抱え、居眠りしているほろ酔いの中年男性を眺めながら描く。まるで縫い付けられているかのように、クロッキー帳を左手で持ち、いつもどこかしらのポケットに入っている鉛筆を手に取り、当たりを付けて輪郭を決めていく。降車駅までは、後二駅ある。  目的地に着くとクロッキー帳を閉じ、彼はホームに降りた。  風が冷たく、彼は羽織ってきたジーンズジャケットのボタンを締める。  冷凍食品工場のバイトまで、彼は公園にいることが多く、目に

ファースト・ラブ

 彼女の初恋は四歳で、相手は純白のニットだった。  忍び込んだ母親の衣装部屋で、彼女はそれと出逢った。サイズも、着こなせるスタイルも、何もかも足らなかったが、吸い寄せられるように手が伸び、気付けば指先はニットの触れていた。  小さな手でラックから一着手に取った。一目惚れだった。  だが、姿見の前に立ち、身体に当てると、それは全身を覆い隠した。最早、似合うとかそういった次元ではなかった。  もどかしくなった彼女はニットを床に放る。皺を伸ばすように丁寧になでつけながら広げるとフ

ステイン

 ドアを閉めて内側から鍵を掛けると、1k6畳の中に滞留している空気が、僅かに入り込んできた外気と混ざり合う。  外の気温は0度。部屋の中は20度前後。彼は電気を付けて、まずは買ってきた発泡酒を冷蔵庫に入れ、パソコンを起動させる。小雨で僅かに湿気を含んだコートはハンガーに掛けられた。 「ただいま」  彼がリモコンを手に取り電源を入れると、短い電子音の後にエアコンから吹き始めた風が、しんと冷えた壁に染みこみはじめた。ぬるい風と彼の溜息が混じり合って留まる。溜息を吐き出すのと同

ボディ・テンプラチャー

 駐車場に止めてある車のフロントガラスの隅に、霜が降り始めた日の明け方、ベッドのそばに置いてある丸椅子はしんと冷えていて、座面にはまだ日の光の温かさがない。  だから際立っているように感じるのだろうかと、彼は思う。  開いた股の間に置いた両方の掌は湿っていて、座面と掌の間に籠る熱は解放してくれと叫んでいるかのように熱い。 「これであなたの身体は、あなただけのものではなくなったからね」 「お―――、うん」  首の後ろから釘を刺されたように、喉の真ん中で言葉が詰まり、出てこ