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私のルーツ、『四月になれば彼女は』について考える

読書が好きだと、小学三年生の頃から言い続けている。はじめて挿絵のない本を読んだのがその年だからだ。私が初めて読んだ本、『四月になれば彼女は』。私の原点にして頂点の一冊だと言えるだろう。

そもそも私が読書を続ける理由は何なのだろうか。半分は、当然読書が好きだからだ。本を読み、その世界に入り込んでいる時間だけが、私を私でない誰かに変身させ、すべてを忘れさせてくれる。
もう半分は、原点にして頂点だと前述した作品『四月になれば彼女は』を超える作品に出会いたいからだ。この気持ちは私の中で年々大きさを増し、今や半分に止まらず七割ほどがこの理由だとも言えるかもしれない。

日々、何故この作品が好きなのかと考える。勿論言うまでもなく全てだが、それでは埒が明かないため、私の抑えきれず爆発する気持ちをここに書いておくことにする。

※この先作品のネタバレを一部含む

まず具体的な理由をひとつ挙げるならば、作中に描かれる世界の美しさだろうか。
世界中を旅して写真を撮り続けるハル(主人公である藤代の大学時代の彼女)から藤代に送られてくる手紙を読むたび、自分自身がそこに行ったことがあるかのような感覚になり、頭に浮かべる景色すべてが美しく鮮明である。

そして私は、登場人物の言葉が好きだ。
主要人物のどの立場にも立ったことがないのに、痛いほど気持ちがわかる。そのくらい、すべての言葉が丁寧で繊細。
タスク(藤代の飲み友達)が婚約者の弥生に逃げられた藤代に対して言った、「もっと悩んだり、苦しんだりしないんですか?手放したくないなら、じたばたしたり、あがいたりしなよ。結局フジさんは、弥生さんを見捨てようとしてるんですよ」という言葉は、私の脳によく刻まれている。
タスクは普段はおっとりしていて、掴みどころのないような性格だ。そんな人の、これだけは譲れない、という強い信念や考えにはどこか根拠のない説得力のようなものがある。義務、と言った方がより近いだろうか。私の周りにもタスクのようにハッキリと物事を言ってくれる人がいれば。藤代とタスクの会話を読むたびにそう感じる。

私が最も好きなのは、作中に出てくる表現、比喩だ。
独特で、思いつかないのに秀逸なところに惹かれ、何度読んでも胸が苦しくなる。それらすべてを書いていては疲れてしまうので、私が特に好きなものを紹介しようと思う。

恋は風邪と似ている。
風邪のウイルスはいつの間にか体を冒し、気づいたら発熱している。だがときが経つにつれ、その熱は失われていく。熱があったことが噓のように思える日がやってくる。誰にでも避けがたく、その瞬間は訪れる。

単行本61ページ/文庫本63ページ

わたしは愛したときに、はじめて愛された。
それはまるで、日食のようでした。
「わたしの愛」と「あなたの愛」が等しく重なっていたときは、ほんの一瞬。
避けがたく今日の愛から、明日の愛へと変わっていく。けれども、その一瞬を共有できたふたりだけが、愛が変わっていく事に寄り添っていけるのだとわたしは思う。

単行本259-260ページ/文庫本264ページ

ここに書いたふたつのものが、わたしが特に好きな表現だ。何度読んでも胸が躍る。興奮するほどに良い。
著者・川村元気さんが独自の世界観で紡ぐ言葉たちはとても素敵であるため、この他の言葉たちはこれを読んでいるあなた自身の目で確かめて欲しい。

小学三年生から現在に至るまでに何冊も小説を読んできた。どの小説も面白く、言葉たちは次第に私の中に取り込まれていく。
しかしこの本だけは別なのだ。ミステリーほど話が入り組んでいるわけでもなければ、ファンタジーのように浮世離れしているわけでもない。あくまでも主人公・藤代の日々を描いたもので、物語は淡々と進んでいく。それなのにどこかに壮大さを感じる。
ここまで文字を連ねておいて何だが、この作品の全てが私には言葉にしがたい。否、私の拙い語彙力では言葉にできない。だがこれは私なりの愛を込めた、言うなれば作品へのラブレターだ。もう少しだけ私の話にお付き合いいただきたい。

この作品を読んでいるとき、どこか苦しいと感じることがある。私自身がこの作品に匹敵するほどの美しいと思える経験をしたことがないからだろうか。しかし幾つか前の文章で書いたようにこの作品はそれほど縁遠い世界を描いているわけではない。藤代はよくいる平凡な人間である(その言葉のみでまとめるのは少々乱暴だが)。それなのに何故か、私にはこの本に描かれるような美しさは一生目にすることができないのだろうと思う。だがそれが悔しくなんてない。
この本を読むだけで、私はどこにでも行ける。世界の風景や人々の考え方、それらの美しいと呼べるものたちを余すことなく頭に浮かべることができる。長い時間をかけて世界中を旅するように、この作品を読んでいる間に私は様々な風景を見ている。その場所の澄んだ空気を感じている。なんて偉大な本なのだろうか。考えるだけでため息が出るほどに、私はこの本に描かれ、紡がれる言葉たちが好きで好きで仕方ない。

最後に。
人生の中でこの本を何度読んだのかと問われても、私は答えることができない。それほどに私の人生は常に、『四月になれば彼女は』という作品とともにある。きっとこの先も。
食事をする時間も惜しんで読み続けたこともあった。寝ている暇なんてないと思うことも。今になれば不健康で仕様がないとも思うが、それでも、生活を数日間狂わせてもよいと思えてしまうくらいにこの作品には魅力があり、価値がある。私はそう思い続けているし、それは私にとって不変の事実なのである。

この作品を超えると思えるものに、私はいつか出会うことができるのだろうか。今のところは当然、そう思える本に出会ったことはない。しかし、それでもよいのだ。一生見つからなくてもいい。この作品は、私が一生読書を続ける理由までをも与えてくれる。本当に頭が上がらないと常々思う。

『四月になれば彼女は』という作品に出会えたこと、こんなに、狂おしいほど好きだと思えるものがあること、それらすべてが素晴らしく、この気持ちと経験こそが私の財産だ。
命の尽きるその瞬間まで、私はこの作品を一生愛し続けたい。

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