前夜と交通事故のこと【第1章 別れ編】その3
教育熱心な母親を支える父親はサービス業の店長をしていた。金銭的には裕福な部類の家庭だったが父親は忙しく朝早くから夜遅くまで外にいた。こどもを寝かしつけた後、夜中に疲れた父を迎えに行くのが母の日課だった。
そんなサイクルを理解していたある晩、母が迎えの支度をする物音に目覚めた私はいつになく母を玄関で呼び止めた。「お母さん行かないで!」と、衝動を口にする私に「すぐ帰るから」と説得をして母は出かけた。
母を寝て待つ間に事故は起きた。父と母が乗った国産車は6叉路で信号待ちをし信号が青になった後に進んだ所で、信号を見間違て左側から直進してきた10tトラックにぶつけられたのだ。
母親が帰って来なかったことにも気がつかなかった私がその事故について知ったのは2日後の昼、祖父母に連れられて入院中の母親をお見舞いに行く車の中でだった。「何故、もっと強く止めなかったのだろう?」「喘息の発作が起きれば良かったのに。」などと後悔する暇もないほどの急展開だ。
発作が起きる度に通っていた「行きつけの病院」の一室で母は寝ていた。「よく寝ているから起こさずに帰ろう」と言う大人に促され母の寝顔をドア越しに眺めて帰宅した。
帰宅して眠りについたその晩、私は物音で目が覚めた。深夜に大勢の大人が家に入ってきて騒いでいる。大人たちの会話を聞く中で私は事態を理解し嗚咽した。嗚咽する子供に気づいた大人が1人そばに来て言う「もっと泣きなさい、もっと泣きなさい。」と。
その言葉を聞いて「見知らぬあなたに私の感情を指図されたくない」とおもいつつ「もういいからほって置いてくれ」と伝えてまた1人、ずっと大人たちの会話を私は聞いていた。その後、木の箱に入れられた母が運ばれてきたのだった。
続く。
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