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浦島太郎ノンフィクション説

ついに日本に帰国した時に思ったこと。
ついに、と言っても1年半しか外国暮らしをしていないので大したことはないのだが、やはり生まれ育った場所は安心する。

私がいた国は四季がなく一年中夏、そう、常夏の国であった。
年中夏ということは冬服が不要である。
1年中、夏服で過ごす。

これは私としては大変ありがたいことであった。
なぜなら私の大嫌いな年中行事・衣替えをしなくて良いのである。
6人分の衣替えを年に2回もスキップできる。常夏バンザイである。

同時にそれはずーっと同じものを着ているということを意味する。
我が家の男子の辞書にはオシャレや流行りなどの単語は存在しない。
そして、なぜか彼らはサイズアウトするタイミングがわからない。

一度衣替えを挟んでしまえば、次の着た時には「ん?ちょっとキツイぞ。弟にまわすか」と本人も思うようだが、毎日着ていると自分が大きくなっている事に気がつかないようだ。
彼らの中では「入る=何の問題もない」なのである。
帰国を迎えた息子たちは4人ともピッチピチのTシャツを身にまとい、ツンツルテンのズボンを履いていた。
断っておくが、大き目の服はちゃんと買い与えてあった。しかし彼らはなぜか着慣れたものばかりを身にまとうのだ。

ピッチピチのツンツルテンはさておき、常夏の話に戻る。

当然の事なのだが常夏は盆も暑い、クリスマスも暑い、正月も暑い、節分もバレンタインも暑い。
体感としては一年中なにも変わらないのにカレンダーは進み、年中行事は繰り広げられる。

子どもたちの身長はグングン伸び、私のシミとシワはどんどん増えた。
でもずっと夏である。
知らない間に時間が流れているような感覚である。

私は浦島太郎は亀と一緒についうっかり常夏の島に流れ着いたのではないかと思っている。

竜宮城は恐らく東南アジアのどこかであろう。

彼が見ていたものは鯛やヒラメの舞踊りではなく現地の人たちの舞踊で、日々のご馳走はマンゴーやドリアンだったのではないか。

何日経っても何ヶ月経っても周りの景色は何も変わらない。
木々や草花は常に緑の葉を付け、季節の花も旬の野菜もない。
時間が止まっていたと錯覚しても仕方あるまい。

日本で冷たい雨に晒されているとあの楽しかった常夏の日々は夢だったのかもしれないとも思う。

間違いない。
やっぱり浦島太郎はノンフィクションだ。

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