見出し画像

器となる感覚③ --宿命と運命--

こんにちは!四月一日庭の車田です。
こんなに長くなると思っていなかった、器となる感覚の話の③です。
前回までの内容は以下からどうぞ。

前回は、受動意識仮説をもとに、極微極大論を脳科学的に考えてみました。
今回は、その流れで宿命と運命そして天命についてお話ししていきたいと思います。

受動意識仮説は、私の中ではかなり哲学的な、そして東洋的な発想に基づいた脳科学的仮説だと思いました。ゆえに、算命学のような哲学思想をベースとした考えの説明にも使えるなと思えたのです。

前野教授はこの仮説をもとに、無意識の重要性や人間の幸せの在り方を4つのメンタルモデルを使って説明したりされています。
様々なジャンルの方々と対談されていて、その内容はとても興味深くおもしろかたのですが、それら全ての世界を繋いだ上で一つの思想のもとに解説できるのが算命学だと、改めて思ったのです。

うーん。こう書いてしまうと、まるで算命学が一番だといっているように聞こえるかも知れませんが、そういうつもりはないです。
あくまで私の見解なので、「そうは思わない」という方がいても当然だと思っています。
それに、現時点では私の中で算命学はそういう位置付けですが、この先変わる可能性もあります。

ただ、今の時点での自分の考えをまとめておきたいので、ここに書けるだけ書いておきたいと思います。


この世の理

算命学を学んでいくと、この世界の理について書かれているのだと改めて思い知らされます。
ですが、そんなこと知りたいと思っていない人の方が多いのかもしれないとも思います。

自分で生を経験して知っていきたいと思う人もいるでしょうし、人によって納得できる説明はいろいろでしょう。

また別の機会に書きたいと思っているのですが、インドのヒンドゥー教の聖典のひとつにバガヴァット・ギーターというものがあります。
算命学の考え方は、インドのこういった聖典の考え方にも通ずるところが多々あります。
ということは、仏教にも通じています。

算命学で知るか、中医学で知るか、仏教(特に原始仏教)で知るか、老子や荘子から知るか、ヨーガで知るか、いく人かの哲学の偉人たちから知るか、その他何か自分が納得できるものを通じて知っていくのだろうなと思うのです。

ちなみに私は今あげたものを渡り歩いてきました。
そういう方も結構いらっしゃるかもしれません。

それらは全て、山に登るための別々のルートであるだけで、頂上は一つです。
この世の理について、各々の言葉で綴っているものたちです。

昔から、勉強するときは一つの科目でも何人かの先生から学んだ方が早く理解できました。

なので、私にとって渡り歩くことは自然で、算命学以外を軽くみているわけでは決してありません。

ですから今後、算命学の話をするときは、きっとこの渡り歩いてきたものたちの言葉も借りながら説明していくこととなります。

算命学における「宿命」と「運命」

宿命と運命についての算命学上の定義をお話しします。


●宿命とは
人間がこの世に生まれ、天と地の間(地上)に与えられた不変の生存範囲

●運命とは
時間と空間における人間の生存範囲

宿命は変化しない→静
運命は自由に選ぶことができる→動

運命とは、宿命に合った環境と努力があって初めて好転していくものである。


私たちが、他人に自己紹介するときに最初に示すものは、基本自分の外側のもので成り立っていることにお気づきでしょうか。
生年月日、名前、生まれた場所、親、兄弟。
これらが宿命に近いものと言えるかと思います。
いや、純粋に宿命と言えるのは生年月日だけかも知れません。

そして、通っていた学校や趣味、特技などは運命の範囲にかかってきます。

そもそも、私たちが自分のものだと思っているものって、本当に自分のものなのでしょうか?

生年月日はこの世における個人の生存範囲をはじめに定義するものです。
いつ、どの場所に生まれ落ちるか、顕在意識の象徴の意味での自分では決めることができません。
この時点で、自分以外の力が働いているのだと認めざるを得ません。

この肉体は誰のものでしょうか?
肉体はこの世界において、自分という存在を最初に定義してくれるものですよね。この肉体と共に生きるというある種の生存範囲の一つです。
それを私たちは、自分の顕在意識で選ぶことはできません。
そして同じく、死んだ後に生きている時と同じレベルで持ち続けることもできません。

私は、この現実世界で生きる上で、本当の意味での自分の持ち物など一つもないと思っています。
この肉体ですら、いずれは自然に帰っていきます。
なぜなら人間は自然から生まれているからです。
この宇宙(地球=自然界)が存在しなければ、人間は誕生すらしていないはずです。

人間は、この宇宙(地球=自然界)に立脚しています。
この宇宙(地球=自然界)から生まれ、帰っていく存在です。
これは算命学の基本原理でもあります。

つまり、この宇宙の法則を無視しては生きられないですし、生きている間はその法則の影響を受け続ける存在だと言えます。

「宿命」と「運命」の範囲

前野教授は、彼の提唱している受動意識仮説をもとに、様々なジャンルの方々と対談されてると書きましたが、その中に古武術研究家であり、自身も古武術を体得されて、稽古もつけている甲野善紀先生との対談があり、その中で、甲野先生の信条(信念)が語られているシーンがありましたのでご紹介します。
-------
運命は完璧に決まっていて、同時に完璧に自由である
-------
これが、甲野先生の信条(信念)だそうです。

まだまとめ途中ですが、この『信念』というものは人が生きていく上で非常に重要であると私は考えています。(以下、信念についてのマガジンです。)

甲野先生がこの考えを獲得するに至った理由は、まさに『どんなことが起こってもブレない自分でいるため』だったそうです。

皆さんはこの甲野先生の信念をどう考えるでしょうか。

私の見解は、運命というわけのわからないものに決めつけられて生きるのは嫌だけれど、正面から受け入れる覚悟がなければこの先、生きていく上で腹が据わらない。という、矛盾を抱え続ける人間の出す解として、正直で武術家らしいなぁと思いました。

前回も書きましたが、算命学では、人は矛盾を抱えた生き物であるとされています。しかも、その矛盾こそが才能につながったりもします。

しかしこの信条を引き合いに出したのは、矛盾の話ではなく、潜在意識と顕在意識のそれぞれの役割をそのまま言葉にしているように思えたからなのです。

これまでお話してきた、


・潜在意識は天命を人間個人に伝えるところまでを役割としている極微の世界である
・顕在意識は天命を地上の世界で再現する極大の世界である


という、この考えを思い出していただきたいのです。

甲野先生の言う運命が算命学でいうところの天命になるかと思います。
(厳密にいうと、算命学では宿命と運命を分けて定義しているので、甲野先生の言うところの運命は、算命学の運命とは認識が違うと思いますが、それは今回はスルーします。)

天命は完璧に決まっていて、だけれど天命を地上世界においてどのように再現するかは、完璧に自由なのです。
厳密に言えば、陽占である顕在意識も宿命の範囲のものです。
しかし、自分で自覚できる範囲にあたるため、運命の範囲に被ってきていると私は考えます。

宿命や運命という言葉を聞くと、まるで小さな鳥籠にいれられたかのような感覚に落ちいる方がいらっしゃいますが、そうではありません。

それらの範囲は、ご自身で思うより全然広いのです。

その理由は、木・火・土・金・水の五元素にあります。
個人の極微界に流れる天命の気はこの5つ(厳密にはさらにそれぞれに陰陽があるので10種)のどれかになります。

木・火・土・金・水にこの世界は集約される

算命学上、この世界は、木・火・土・金・水に集約されています。
なぜなら、この自然世界を成り立たせるのに必要最低限の要素は何かを突き詰めた結果がこれだからです。

これは、一番抽象度の高いものになります。

どういう意味かというと、たとえば、「コリー犬」と私がいったら、雄と雌どっちかな?とか、ボーダー・コリーかな?ラフ・コリーもいるななどと想像する方もいらっしゃるかも知れません。
では「犬」と私がいったらどうでしょう。皆さんはいろんな種類の犬を想像するでしょう。
では「哺乳類」と私がいったら、、犬だけでなく猫やクジラなど様々な哺乳類を想像しますね。
では「動物」といったら、、想像の幅がぐーんと広がりますね。
このように、包含されるものが増えていけば行くほど、その言葉の抽象度は高くなっていきます。

木・火・土・金・水というのは、現実世界において算命学上では最も抽象度の高いものになります。つまり、その一つ一つに包含されるものはとてつもない数になるということになります。
形あるものも無いものも、全てがここに集約されて行くのです。
ある種、想像できるものは全てこの一つ一つに紐付け可能になっていくのです。
それは、食べ物や臓腑などのわかりやすいものだけでなく、音や匂いといったちょっと抽象的に感じるものまでも、そして、魂といったかなり飛躍してそうに見えるものまでもが紐づけられます。

この感覚がなんとなくわかるでしょうか。

「あなたは木の気質ね」と言われたとして、そこにどれほどの要素が込められているのか。

もしわかっていただけたなら、宿命や運命の範囲の広さもご理解いただけるかと思います。

もちろん、さっぱりよくわからんという方もいらっしゃるでしょう。

あとは、実際にご自身の命式を知った上で生きながら検証していく世界になります。

器となる感覚2 —生きる目的とは—

さて、ようやくここで前回からの続きの器となる感覚についての話ができそうです。

これは算命学の極意でもある、自然と一体となって生きるということに関係します。

算命学の命式に出てくる星もそれぞれ、木・火・土・金・水に集約されています。
そしてこれらはこの自然界の集約された姿でもあります。
つまり、天命が何かわからなくても、自分の気質を知った上で、自然と一体となって生きることで、それは自ずと見えてくるものだろうと感じたということなのです。
船乗りが風を読む感覚に近いと思います。

自分の持ち物など何一つなくても、この世界で生きる権利を与えられており、そこには何かしらの役目役割がある。
それをスムーズに発揮していくためには、自分をある種、器だと考えるととても楽だと思うのです。

その器が、どんな形をしているとか、どんなものを入れるのに適しているとか、どんな素材でできているとか、そういったことは命式からでも探ることができます。
そこに流れ込んでくるものをどう扱うかはその人次第です。

どちらにせよ、潜在意識には逆らえません。
もはや、そこを全肯定できた方が、よほど楽ですよね。

自分を知るということは、自分の潜在意識を受け入れて、整えていくことにつながります。そこから静かに信頼が築かれていきます。

もし生きる上でよくわからなくなったら、そこに尋ねれば良いのです。
何かしらサインがやってきます。

私には霊感とかそういうものはありませんが、自然と一体となって生きることを意識して生きていると、何かしらのサインを確かに感じられるようになります。というか、サインとして受け取れるようになるのだと思います。
魂の声を聞くとかそういうイメージにも近いのかも知れません。
先ほども書きましたが、船乗りが風をよむのと同じです。

それは自分を器として捉えることから始まるような気がします。

自分を起点に世界を捉えるのではなく、宇宙(地球=自然界)の中にいる自分という視点を常に忘れないということです。
むしろそちら中心に生きるということです。

自分を起点に世界を捉えていると、そんなに視野を広く取れません。
すると、物事の流れをよむ感覚は失われてしまうので、目の前の出来事に振り回され、原因を他人に見出そうとします。

気流や磁場と同じように、人の中にも「流れ」が存在します。
木質なら「木質の気の流れ」を持った人もいれば、「火質の気の流れ」を持った人もいます。そういう「流れ」を持ったものが集まりますので、そこにはまた一つの「大きな流れ」が生まれたりもします。

そういった「流れ」の中では、流れに逆らって泳いでも自分が苦しいだけですよね。場合によっては事故に遭います。それは例えば交通と同じです。「流れ」を無視することはルールや法則を無視することと同じです。

船乗りが風をよむ感覚なのです。
少し先の未来の天候を、風や匂いや肌で感じる温度などの五感や、飛ぶ鳥の反応や波の立ち方、雲の出方などの目に見えるものの反応を見ることでよんでいく。そうやって舵取りをしていく。そういう感覚に似ています。

もちろん、それでも不測の事態はやってきたりします。
そういう世界で私たちは生きています。
腹を決めて生きるというのはそういうことだと思うのです。

そうやって生きることで、生きる目的のようなものが見えた時、スムーズに力を発揮できるようになります。
そうやって生きていくと、自然と生きる目的も立ち上がってくるように思います。

きっと、まだまだよくわからんと思う方も多いと思います。

算命学には他にも理論があります。
そういったものを通して、また追々お話ししていきたいと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!


=Notice=
算命学の鑑定のご依頼も受け付けております。
鑑定料は1件につき60分8,800円となります。
以下より、お気軽にお問い合わせくださいませ。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます☺️ noteにアカウントがなくても「♡スキ」が押せます。サポートも頂けたら大変ありがたいです。どうぞよろしくお願いいたします!