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器となる感覚② --受動意識仮説--

こんにちは!四月一日庭の車田です。
今日は、先日の器となる感覚①の続きになります。

前回は算命学の極微極大論のお話までしたのですが、今回は、潜在意識と顕在意識について書いていこうと思います。
ちょっとまた専門的なお話になるので、この切り口に興味のある方は読んでいただければ嬉しいです。


受動意識仮説とは

極微の世界を潜在意識
極大の世界を顕在意識

私はこのように捉えています。

この潜在意識と顕在意識の関係については、慶応義塾大学・前野隆司教授の受動意識仮説というものを参考にしています。

受動意識仮説を簡単に説明すると、意識というものは自らが命令を出したり、物事を決定しているのではなく、脳の自立分散処理を受動的に見て、それを「あたかも自分がやったかのように錯覚する」だけにすぎない。という考えです。
つまり、顕在意識は潜在意識に対して受動的に存在しており、自分で自覚するより先に、意思決定は潜在意識で行われていると言っているのと同じ。
この内容を証明するような、いくつかの実験をご紹介します。

ベンジャミン・リベット氏の実験

カリフォルニア大学サンフランシスコ校ベンジャミン・リベット氏の実験(1983年)で、指を動かそうとしたときに、意識はどのように働くのかというのを調べたものがあります。
被験者に自分のタイミングで指を動かしてくださいと伝えておき、


①「動かそう」と意図する瞬間
②筋肉への指令が発せられる瞬間(脳の運動野を観測)
③実際に動いた瞬間


それぞれのタイミングを計測しました。
私たちの意識の世界では(厳密には顕在意識の世界では)、①の「動かそう」と意図する瞬間が一番先にあり、その後に②の筋肉への指令が発せられ、③の実際に動くという流れを思い描くと思います。
というか、私たちの脳はそのように認識するように働きます。
ところがこの実験で、①は②より0.35秒後に起こっていることがわかったのです。

顕在意識において自分が「意図」するより先に、顕在意識ではないどこかから、指を動かす指令が出ていたということです。

これはつまり、


潜在意識で本能的に選択したり判断したりしていることを、
顕在意識において、自分自身が納得・理解できるように理由づけしている


ということも言えるのではないかと考えます。

マイケル・ガザニガの解釈者理論

分離脳研究というものがあります。
アメリカの神経心理学者のロジャー・ウォルコット・スペリーという人物が、ノーベル賞を受賞した研究分野で、内容としては、薬での治療が困難なてんかん患者に対して「脳梁離断術」という外科的処置を行うことで、治療を試みた後、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証したものです。


重度のてんかんでは、脳の局所で発生した異常な電気信号が脳全体に伝わってしまうことで、強い痙攣や意識障害が現れますので、それを治療するためには、電気信号が拡がらないように右脳と左脳の間にある脳梁を外科的に切断してしまえばよいと考えられました。
※現在では認められていない手術です


彼の研究室で様々な検証が行われたわけですが、当時大学院生として研究室に所属していたマイケル・ガザニガは、現在分離脳研究の第一人者となっており、彼は分離脳患者も含めた人々が自己や精神生活の統一感を持てる理由を説明するために、「解釈者理論(interpreter theory)」という理論を編み出しました。

これは、分離脳患者の脳の右半球にのみ提示し、右半球によってのみ遂行される動作を、言葉(こちらは脳の左半球を使う)で説明してもらう課題から編み出されたものです。

言語を司る左脳と、イメージや想像力を司る右脳の連携を真ん中で遮断したとき、それぞれ片方の脳にだけ見える形で、2つの違う図を示したとき、人の脳が情報をどのように処理するのかを実験したのです。

それはこんな内容です。


Gazzaniga(ガザニガ)のお気に入りにこんな事例がある。
患者の右半球に「微笑む」という単語を提示し、左半球に「顔」という言葉を提示して、患者に見たものを描いてもらった。
すると、「彼の右手は、微笑んでいる顔を描きました。『なぜそれを描いたんですか』と尋ねると、彼はこう答えたんです。『あなたが描いて欲しかったのは悲しい顔なんですか。悲しい顔を描いて欲しい人などいませんよ』とね」。
左脳の「解釈者」は、実際に起こったことの説明を考え出したり、次々と入ってくる情報を選別したり、外界を理解する助けになる物語を組み立てたりするために、誰もが利用しているものだ、とGazzanigaは言う。

※出典:Natureダイジェスト


この実験からわかることは、脳が顕在意識内で常に当たり前に行っていることの一つに、情報を自分が理解し、記憶しやすいように整理し、場合によっては辻褄合わせ(都合の良いようにクリエイトする)をすることがあるということです。

先の指を曲げる実験結果で、実際は意図するより先に脳から曲げろという筋肉への指令が出ていても、自分が意図したと認識できている理由の一つと言えるように思います。

受動意識仮説と極微極大論

では、このいくつかの脳の実験結果を参考にして、極微極大論を改めて考えてみようと思います。

その前に、受動意識仮説について、本当ならもっと詳しく書きたいところなのですが。。今回のテーマの話がいつまでたってもできないので、また後日まとめたいと思います。

ご存知の方も多いかと思いますが、前野さんの研究領域は、ヒューマンロボットインタラクション、認知心理学・脳科学、心の哲学・倫理学と結構心の領域が多いのですよね。
この受動意識仮説は、自己意識における謎、


・自己意識はどこにあるのか
・無意識的に脳が処理している膨大な情報量を、自己意識が意識してやることは不可能ではないか(実際、不可能だから『無意識的に』やっているわけですが)
・クオリアという心の質感の発生メカニズム


といったそれまでの脳科学的な見解では解決できない問題を、視点を変えるだけで(180度くらい、かなり大きく変えてるんですが。。)解決してしまったようなところがあります。

10年以上前のものですが、前野さんの授業がYouTubeでも見られるので、ご興味のある方はぜひ見てみてください。

さて、この受動意識仮説をご理解いただけましたら、いよいよ、極微極大論との結びつけを始めたいと思います。

極微論が潜在意識と私が思えたのは、この仮説を知ったからなのですが、そう考えると、陰占に出てきている星が表す、その人の気質というものは、コントロールしようと思ってもできないエリアだということが、なんとなくお分かりいただけるのではないかと思います。
つまり無自覚なのですね。無自覚だから、コントロールもできない。

このことが言いたかったのです。。
ここまで長かった。。

そして、極大論である陽占に出てきている星の性質は、自覚ができるのですから、意識することで上手に昇華させていくことができると考えます。

この世界の物事には、陰陽の二面性が必ずあると、算命学では定義されています。ゆえに、自覚できる性質にも、陰陽の面があり、それらはケースバイケースで発動します。

例えば、「自然体であること」と「わがままであること」が表裏一体となるように。「意志の強さ」と「頑固さ」が表裏一体であるように。

本当の意味でコントロールを手放すということ

極微の世界である陰占に現れている気質が、得意不得意であるとか、好き嫌いであるとかと言った、理屈ではない何かを発露させているわけです。
これは潜在意識の領域であります。

特に心の場所である日干の性質が肝になっていて、砂時計の砂が細い管に集まって落ちていくように、陰占の全てのエネルギーはそこに向かって流れるようになっています。

そこですでに意思決定がなされているのだとしたら、そこと通じることが、自分自身を信頼することにつながっていくと私は考えます。

なぜなら、その潜在意識領域に流れ込んでくる天命は、この自然世界からやってくるからです。この世界に生まれ落ちた時に与えられた個人の生存範囲に対して、その気質(木・火・土・金・水という質に還元されるもの)エネルギーが常に自然世界から注がれている。

人間を生み出した自然世界と潜在意識で繋がっているのだから、この世界を信頼して生きていくのは、当たり前なのではないかと思えてしまうのです。

そういう意味では、算命学を知り、自分の命式を知るということは、なんて分かりやすく簡単に自分を知ることができるんだろう!
ということになりますが、そんなに簡単ではありませんよね。

そもそも、それをつらつらと説明して理解できたら、もっとみんな簡単に生きやすくなっているはずです。
なんとなく、自分の本能的性質を教えてもらえたからといって、コントロールできるわけではないからです。

やはり人は、自分で考え、体験し、経験し、納得して腹落ちさせていかなければならないようにできている生き物です。

だからこそ、極大の世界である陽占が必要で、陰占と合わせて初めて意味が出てきます。
そうでなければ、肉体を持って、この世界に存在する意味がなくなってしまいます。

ただ、こうして算命学などのツールによって、自分の気質を客観的に示されると、自分は「これで良かったのだ」と思えるようになるというだけ。

しかしもう一つ、大事なことは『コントロールできないのだ』ということを知ることではないかと思います。

努力しても意味がないと言っているわけではありません。
ただ、さまざまな出来事は起こっていきます。
良いと思えることも、悪いと思えることも、ただ起こるのです。
自然界の気候と同じように。

そこに一喜一憂せずに、良い悪いの判断を自分でせずに、委ねる。そのとき自分は、自分のコントロールできない質を信じて、腹を決めて生きていくわけです。

心が存在しているのは陰占なのです。

現代の脳科学の世界では、心がどこにあるか物理的に示すことはできません。そもそもの前提が違っているからとも言えます。
ちなみに、心理学においても、心の定義はなされていません。
心というものをきちんと定義しているのは、原始仏教です。

なぜなら、それについて考えるには、この世界の成り立ちや捉え方から示していく必要があるからです。

器となる感覚 その1

算命学の心の捉え方は、原始仏教ほど哲学的ではありません。
どちらかというと機能的な解説になります。

ただ私はこの捉え方がごちゃごちゃしすぎていなくて好きです。
天命という、潜在意識領域にあるよくわからない本能的欲求を、顕在意識において自覚させるためにあるものだということです。
そして、その心を天命エネルギーが通過するときに発露するものが感情だとされています。

そう考えると、自分という人間の、ぼんやりとした整理のつかないあれこれを、いくつかの名前のついた収納棚にしまい込んでいけるようになります。

すると、生きることはもっと単純で、気楽で、味わい深いものへと変わっていくのではないかと思えます。

私が今回、タイトルを「器となる感覚」としたのは、こう言ったところを改めて実感したからなのです。
自分の潜在意識を信じて委ねるということは、自分を器化するようなものだなと。

この器となる感覚には、まだ話すべきことがあります。

結構長くなってきましたね。。
こんなに長くなると思って書いてなかったのですが、書き始めたらだいぶいろいろ出てきてしまいました。

また次回にいたします!

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


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鑑定料は1件につき60分8,800円となります。
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