誰かの説明書:ストレスと利己/繊細人間がセンスがいい理由

 ストレスについての自分なりの考え、そこから繊細人間の取り扱いについて考察を進める。あえて、自分を批判的に捉える事で、別のアイディアが生まれるのではないか?という思考実験だ。

 おそらく、自分がなぜストレスがたまるのかというと、理想が高いからだろう。心地よく暮らすためには、自分以外の人間が自分の思い通りに動く世界か、不快な刺激そのものを0な世界しかないだろう。つまり、ここでの第一の結論は、気にしい・人の目を気にする人間は、傲慢な利己的な考えで生きている。こんなこと、自分自身に言いたくはないが。

 「なぜ、ここがきにならないのだろう?」という言葉が何故生まれるかというと、自分の感覚・視点がすべての人間の基本性能として備わっていると思っているからだ。自分の感覚で他の人の目を想像しているか、自分が眼鏡をつけている事を気が付いていないかのどちらかだろう。気にしいな人間というのは、自分の感覚を他人が持っていると思っているので、あたりまえだが自分が気になるところ=他人も気になるところという事になる。なので、自分から見て恥ずかしい事だと思うと、他人から見た自分も恥ずかしい事だと思い込んでしまう。他人=鏡(自分が写る)という視点なのだ。鏡をみながら身なりを気にする私を見たおばあちゃんが「そんなの気にしてるのあんたしかいないよ?」と言ったのは、正しかったのだろう。

 逆の視点で、良い事を考えるとセンスがいい・趣味がいい事だろう。けど、私が思うにこれは必然なのだ。なぜかというと、先ほどの文脈にも繋がるが、恥ずかしい(客観的視点)という感覚の感度が強いからだ。つまり何が言いたいかというと、センスが良いのではなく、ダサいを外すのが上手いのだ。ここでの難点は、ダサいを外しているだけ=意見があるわけでは無いという事だ。なので、向いている職業にクリエイティブが勧めらているが、個性的な作品を作る人間というわけでは無いという事を頭に入れておく必要がある。またそれ以上に重要なのは、鈍感なフリが出来る勇気をもっているという条件を追加しないといけないのだろう。

 ここまで書くと、そろそろ自分が倒れそうになっているが、ここからは改善策を考えていこう。やり方は2つで、自分以外を無能だと思う「神の視点」or 無能なフリをする「凡人(フリ)の視点」しかないだろう。

 正攻法のやり方をまず言っておくと、「自分の視点で、他人の視点を見ない」という事になるだろう。とはいっても、これは難しい。なぜなら、我々が感じとった非言語的な感覚と、その人が考えている事が当たっている場合が多いからだ。なので、「自意識過剰」という言葉で解消しにくい・説明がつきにくいのだ。繊細な人間なら、この気持ちがわかるだろう。我々は、その日々の経験・データをもとに、正しい・正しくないを判断しているし、人の目を気にするようになっている。なので、この前提があるとして、意見を構築していくしかない。

 「神の視点」というのは、さっき述べたことを受け入れた上で、「私はそれをすべて受け入れますよ、神なので」という、少しイタめなやり方だ。
 だけどこれは、利己を捨て、利他に全ぶりしている視点なので、背徳感はある。「気になる事が多い」という悩みも、この視点であれば、いつか受け入れることが出来るのではなかろうか。その前に自分が崩壊する事だけは、避けてほしいが。

 「凡人(フリ)の視点」というのは、「私は何も知りません、リアルガチで」という、知っているけど、気づいていないフリをする、つまり自分に嘘をつくというやり方だ。私はこちらを採用している。単純に目立ちたがり屋で反骨精神が強いからというのもあるし、空気読めないフリをしていると、自分以外の同じような人間を助けることもあるからだ。

 ※自分の位置をあげるか、下げるかという、我々が日本語で身に着けてきた、丁寧語・尊敬語・謙譲語の違いみたいなものだろう。

 おそらく急に自分の視点を変えるのは難しい。それは、今まで自分の否定をするのと同等だからだ。なので、この意見を元に、自分なりの考えを新たに構築するか、時間をかけて受け入れていく(感覚を軽減させる)ことがベストだと思う。せっかく持っていて、それは才能なので、ゼロにしようとは思わない方がいい。生かす方法を時間をかけて、考えていただきたい。
 また、いいアイディアが思い付いたら私にもご教授頂きたい。

 ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?