20240326_健康は意思決定しているのか?

 ふと頭に浮かんだ疑問で、とくにゴールが定まっていないが考えてみる。

  健康になりたいというより、禿げたくない。いや、結局白髪か禿げにはならざるおえないのだけど。今の内から、短髪の髪型探していた方がいいよなとかたまに思う。
 逆に、禿げたら人生が変わりそうな気がする。人の目を気にする事がなくなりそうだから。けど、禿げたくない。
 健康という枠から逸れると罪悪感があるから、健康みたいな事をしている。極度に、けがをすることを恐れている。
 たばこも吸わないし、酒も飲まない。別に、なくてもいいという感じ。
 おそらく、タバコは吸い出したら依存すると思う。というか、身体に合うのだろうなという感じ。副流煙を苦だと思わないから。
 あと、タバコはクズが吸っているイメージがある。自分がクズなのは自明なのだけど、クズになりたくないという意思が働いている。抗力。
 健康診断では、いつも正常。馬鹿みたいに筋トレしていた時のほうが、不健康だったと思う。あれは、人の事を気にしていたからやっていたことだから。けど元々体を動かすのは好きはあるし、得意でもある。だから、運動の習慣はいまだにある。散歩が好き。永遠に散歩していられる、歩いているときのほうが頭は回る。
 禿げに抗う努力をして、禿げた時の今までの努力は感があるな。無気力になって、身を放り投げだしそうだ。

自分の健康について

 健康はなんの為にやるかというと、別のやりたい事があるからだろう。健康自体が目的なわけでは無い。その界隈で生計を立てていないかぎり。

 自分の健康についての考えをまとめてみると、私が健康でいるのは「他者を気にしているから」という言葉に集約出来てしまう。禿げたくないという切願も、自分1人だけの世界では考えないのだろう。逆に邪魔だからといって、坊主にするかもしれない。罪悪感という感情も、他者がいるから起きる感情だ。
 つまり、健康というのは自分の選択ではないのだろう。少なくとも私は。また、不健康すぎる状態になった事がそもそもないから、自分の最低限の健康ラインがどこなのか正直分かっていない。毎日、三食食べる事が正解なのかも知らない。けど、食生活が偏る(油モノばかりとか)と気分が悪くなる事くらいは知っている。
 現時点で健康ではある。よく言われることが、あたりまえとなって生活しているし、それで体調が悪くなる事もないのだから、別に今の生活を変える必要はないのだろう。
 変えるとすれば、それより優先するべき事が出来た時になる。その時の目的を達成する為にあった生活というのが重要なのかもしれない。

 話を無理やりつなげるが、私の場合、健康という他者からみた見栄えというのを捨てることを選択出来た時が、「没頭」と言われる状態なのかもしれない。後先考えずに動けていた幼少期の状態に近い。一個の指標として、頭に入れておこう。

 今日はこの辺で、本日もお疲れさまでした。

 

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