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メタモルフォーゼの記憶

ランドセルを背負った4、5人の男の子が、歩道いっぱいに広がりながら歩いてきた。誰ひとりとして前方の私には気がついていない。
大きく迂回して彼らを避けたすれ違いざま、1人が「蝶をさなぎから羽化させたことがある」というエピソードを自慢げに話していたのが聞こえた。

蝶のさなぎの中は液体で満たされている。さなぎになるとからだがほとんど溶けてしまって、あおむしの原形はなくなってしまうらしい。
さなぎの中で一度液体になった幼いからだは、時間をかけて成虫へと変態する。

さなぎの仕組みについて初めて知ったのは小学生の頃。自分で育てたモンシロチョウのさなぎが羽化せず死んでしまい、蝶の生態について調べていたときに発見した。

衝撃を受けた。
もしも私が顔、脳、何もかもが溶けて大人の身体になるのだとしたら、それは今の自分と同じ人だと言えるのだろうか?
両親、兄弟、友達、学校の先生、これまで読んだ本、やりかけだったポケモンのゲームやディズニーランドに行った思い出すべては、今と同じくらいはっきりした記憶として残るのだろうか?

さなぎから羽化した蝶は、あおむしだった日々を覚えているのだろうか?



子供の頃は、忘れることは怖いことだと思っていた。
5歳のとき映画館で観た『千と千尋の神隠し』のトラウマだ。

豚になって娘のことがわからなくなる千尋の両親、自らの名前を失う千尋や湯屋の人たち、海の向こうに行ったっきり戻ってこなくなった電車、千尋に忘れられていたハク。

5歳児のあたまで言語化できていたわけではないけれど、なんとなく「忘れることは悲しいことで、取り返しのつかない悲しさは怖い」と感じるようになった。

そんなわけで、一度からだが液体になって作り変えられてしまうさなぎの不可逆性は、まだ小学生だった私をなんとなく不安な気持ちにした。
蝶が幼虫の頃を「憶えているのか、忘れているのか」という問いは、当時の私にとってそわそわするような命題だった。

とはいえ、生きた年数に応じて人の記憶は増え続けるし、加えて脳のワーキングメモリは有限だ。
歳を重ねるにつれて、私の中にも曖昧で思い出せない過去がだんだんと増えてきた。
例えば幼稚園でよく遊んでいたあの子の顔とか、小学校の給食で毎日配膳されていた牛乳パックの細かい絵柄とか、中学2年生のとき隣のクラスの担任だった先生の名前とか。
蝶はあおむしだった頃の記憶があるのか否か、という疑問も、いつのまにか忘れてしまっていたのだった。



今日かつての純粋な問いかけを思い出したところで早速調べてみると、なんと世界では2008年にそれらしい答えが見つかっていたことがわかった。

アメリカのDouglas J Blackiston氏を筆頭とした研究チームが行った実験である。幼虫の頃に薬品の臭いや電気ショックで嫌な思い出をつくった蛾は、成虫になってからも同じ条件で回避行動をとったという。

Blackiston DJ, Silva Casey E, Weiss MR. Retention of memory through metamorphosis: can a moth remember what it learned as a caterpillar? PLoS One. 2008 Mar 5;3(3):e1736. doi: 10.1371/journal.pone.0001736. PMID: 18320055; PMCID: PMC2248710.

https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/18320055/


蛾の行動の理由が、小学生の頃に心配したような "はっきりとした" 記憶によるものかは定かではない。蝶や蛾にとっては「なんだかこれは嫌な気がするぞ…」程度の感覚なのかもしれない。

『千と千尋の神隠し』はDVDが傷だらけになるほど繰り返し観た。画面の中に広がる不安で不思議な世界に見入った。
銭婆の「一度あったことは忘れないさ、思い出せないだけで」という言葉に安心した。

ずっと在るものはないのかもしれないけれど、消えないものも確かにあるらしい。
蝶々にだってあおむしだった頃の記憶があるのなら、いつか必ず消えゆく私たちが明日を生きる意味もそんな感じであるのかもしれない。

少なくとも、全ての経験が無に帰すわけではなさそうだという事実は、20年ほど前の私を少しだけ安心させてくれそうな気がした。

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